3.賢者なる者
帝都を見下ろす風吹く丘に、剣奴帝ダリウス・マクスミランと賢者ブレア・ロットナーの姿があった。足下には木の葉が積もり、時折風に流されていく。
宮殿内にいては気づかなかったが、もう夕刻だったようだ。煌々と赤い空を、鳥が鳴きながら巣へと帰っていく。
ダリウスはじっとりとした目で、胸元のはだけたシャツを着ている口髭の中年男に視線を向けた。そうして素の口調で言うのだ。この親友に対してだけは。
「おい。死にかけたじゃねえか、ロットナー。助けが遅すぎだろ」
「これでもずいぶん急いだのだがねェ。だから無血開城なんてやめておけと進言したろう」
転移魔術だ。ロットナーはダリウスを転移魔術によって救い出していた。世界で唯一、〝賢者〟ブレア・ロットナーだけが使えるこの固有魔術によって。
「無駄に犠牲を出したかねえんだよ」
不機嫌なダリウスに対し、賢者ブレア・ロットナーは悪びれた様子もない。ダリウスにはそれが気に入らない。だから目を剥いて手にした剣を指さし抗議する。
「見ろよ、この剣。飾りだぞ、飾り。あ~あ~、弟豚を打ち上げたせいで、刃がすっかり曲がっちまってら。いくら俺が剣奴王っつったって、こんなもんで数十人の騎士に囲まれてみろ。正直チビるかと思うくらいびびったわ」
「チビったのかね?」
ニヤつきながら問うロットナーに、ダリウスは顔をしかめた。
「どこに食いついてんだよ。ぎりセーフに決まってんだろ。大人の尊厳失うかと思ったわ。最後の方なんて必死でべらべら喋りながら時間を稼いだんだぜ?」
「ふはは。それは私も是非見てみたかった。惜しいことをしたものだ」
「おまえな……」
緑の丘に爽やかな風が吹き、さわさわと草木が揺れる。
しばらく睨み合っていたふたりだったが、ダリウスが唇を曲げると、それが合図だったかのように同時に盛大に噴き出した。
「く、くく……、ぶはーっはっはっは!」
「はは……ふ、はっはっは!」
揃って腹を抱えての大笑いだ。
実際のところ、久しぶりに晴れ晴れした爽快な気分だった。死のコロセウムから堅苦しい宮殿へ。そしていま、ようやく二十年ぶりに外の世界を自由に歩けるようになったのだから。
やがて片目を指で擦りながら、ダリウスは言う。
「ぶはははっ、しかし貴族を締め上げて搾り取り、わざと叛乱を起こさせるとは。十年前に聞いたときにゃ、こんなにうまくいくとは思わなかったぜ」
「おお、なんと人聞きの悪い。私は帝都をよくしただけだよ。今回は仕上げの掃除にすぎない。それに、そうでも言わないと、キミは皇帝の座につこうともしなかっただろ。なかなか笑えたよ、キミの妙ちくりんな皇帝っぷりには。いつも堪えるのに必死だった」
ロットナーが指先で口髭をしごきながらニヤつく。
「やかましい。ま、これでようやく窮屈な状況からは解放された。命もありゃ、万々歳だ。――長え間、付き合わせて悪かったな、ロットナー」
「構わんよ。私は元々先代に魔術の才を買われただけの根無し草だしね」
ロットナーは言う。
世界で唯一の転移魔術を使える〝賢者〟ゆえに、ラルシア帝国の宿敵であるエウリカ王国から招聘されたため、先代皇帝レオニアが慌てて抱え込んだらしい。
しかし出身が身分の低い平民であったため、飼い殺しにされていたそうだ。卑しいレオニアのしそうなことだ。もっとも、ロットナーにとっては割と気楽な暮らしではあったそうだが。
ちなみにすべて自称の話である。真偽は不明だ。世界で唯一転移魔術を使える〝賢者〟であるということ以外は。
「しかしローウェン公には気の毒なことをしたね。宝剣は評議会にあげちゃったし、いまじゃ皇帝の椅子なんて豪華なだけのただの椅子になっているとも知らずに」
向かい合ってまた笑った。実にあくどい笑みだ。
客室のベッドで目を覚まし、真実を知ったときの大公爵殿の顔が見られないのが残念でならない。
ひとしきり笑って、ロットナーが切り出した。
「ダリウス、これからどうするんだい?」
「コロセウムに収監されて以来、二十年ぶりに得た自由だ。青春を取り戻す旅にでも出るさ」
「青春ね。手遅れだと思うけどねェ。四十路もすぎて、もう若くないだろ」
「言うな。――おまえこそどうするんだ? もうラルシアにはいられねえだろ?」
ダリウスは夕日に向けて両腕を突き上げ、ぐぐっと伸びをしながら問う。
ロットナーの〝転移〟は固有魔術である。固有魔術とは、使い手が世界でただひとりしかいない稀少な魔術のことをいう。そして今回、多くの騎士がダリウスの転移による脱出を目撃した。となればもう、共犯者は明白だ。
ロットナーが気障なウィンクをした。
「そうだねェ。しばらくはキミに付き合うかね。目的地がないなら、まずはエイラの温泉地なんてどうだろうか。麗しき美女とともに温泉と酒に溺れようではないか」
「お、いいね。う~し、遊ぶぞー!」
「だが、まずはキミの新しい下着を買うことからだな。そのままでは女性もどん引きだろう」
「だからぎりでチビってねえって! ……やめろ、なんだその察したみたいな殊勝な顔はっ!?」
四十路同士。不良中年ふたりが笑いながら肩を組んで歩き出す。
ダリウス・マクスミランとブレア・ロットナーの第二の物語は、ここから始まった。
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