21.紳士の嗜みだから……
ラルシア帝国西方――。
ロア火山の周辺一帯をメルキス地方という。
メルキスに存在する大半の都市や村は、ロア火山を中心とした山脈の麓に広がる大樹海の動植物により栄えてきた。加えて数十年おきに起こる小さな噴火により降り注ぐ灰は、農作物を例年豊作にし、現在ではメルキス地方領が帝国全土の食糧事情を支えていると言って過言ではない。……なかった。少し前までは。
だがおよそ十年前――ちょうど剣奴王となったダリウス・マクスミランが皇帝の座につき、数ヶ月後のことだ。その食糧事情を大きく揺るがす事件が起きた。
メルキス地方の領主であるジェラルド・ランベール伯爵が、帝都を含む帝国領内へと出荷する農作物や肉類の相場を、何の前触れもなく引き上げたのだ。
当然、メルキス領以外の帝国民は新たな皇帝ダリウスに対し、不満を抱き始めた。
それが貴族派筆頭である大公爵ローウェンによる、皇帝下ろしの政略であったことをダリウスが知るのはもう少し後の話であるが、この一件を海向こうのアルメリア神権国との交易を新たに拓いたことにより打開できたことが、皮肉にもダリウスの皇帝としての地位を確かなものとさせた。
要するに、大公爵ローウェンは自らの策略により、それまで剣奴上がりの新参にすぎなかったダリウスを、ラルシア帝国の皇帝たらしめてしまったのだ。
むろん、帝国とアルメリア神権国との間で、ロットナーがずいぶんと骨を折っていたことは特筆しておく。
結果としてランベール伯爵はメルキス産の農作物や肉類の値下げを断行せざるを得なくなったのだが、そのときにはもうすでに価格の低いアルメリア産の食糧がラルシア帝国内の市場に多く流通していたため、かつてほどの利益を生むことはなくなっていた。
この一件を引き起こす切っ掛けとなった件の大公爵は、その頃にはすでに我関せず。
「クソ、時間がかかっちまった。シエルのやつ、まだ無事だといいんだが」
温泉街エイラの北方、ロア火山を迂回して反対側に位置する場所に、商業都市ブレッドロアがある。メルキス領主であるジェラルド・ランベールの治める街だ。メルキス地方各地で採れた野菜や肉は、流通の要となるこのブレッドロアを通し帝国中へと広く出荷されていく。
山脈越えの街道を夜通し歩いてようやく辿り着いたレニを含む三人は、朝靄の中で貴族街に建つ大きな館を見上げていた。
ロットナーが顔をしかめながらしみじみとつぶやく。
「ジェラルド・ランベール伯爵か。また懐かしい名前だねェ。大公爵殿の腰巾着だ」
「姑息な強欲貴族が。さっさと没落すりゃあいいものを」
ダリウスが苦々しげにそう吐き捨てた。
「領地を没収できれば簡単なのだが、相場は上げても犯罪ではないからね。なかなかしぶとい」
「だが、そいつも今日までだ。エルフは紛う事なき人類で、帝国では人身売買は立派な犯罪行為だからな。ようやっとぶっ潰せる」
メルミィがその口から出した名が、ジェラルド・ランベールだったのだ。
「――が、その前にだ」
ふたりが同時に足下へと視線を落とした。
レニがにこにこ見上げてきている。
「どしたー、お客? さてはレニのことがすきだな? 見すぎぃ~!」
ダリウスが呆れたように口を開いた。
「いやもう客じゃねえって……。女将に勘定はしたし、何より凪の大海亭潰れたし」
レニは首を傾げている。
「大海亭、まだあるぞー?」
「経営破綻っつーんだ。わかるか? 経営破綻」
「レニ、わからん。女将いなくなっただけ。レニが女将なる?」
ひとりであの宿を切り盛りするつもりなのだろうか。レニの頭で。
ダリウスは想像し、そこはかとなく不安になった。
「これだよ。――どうするよ、ロットナー」
「事情が事情だ。あんな孤児院に残してくるわけにもいかないからねェ」
「まあな」
レニはエイラの孤児院によって売られたのだから。人類ではなくケット・シーという猫に似た種族であったことが理由で。
レニの猫耳がぴくぴく動いている。
ロットナーが視線をダリウスへと戻した。
「おや? メルミィさんのことはもういいのかい? てっきり怒るかと思ったのだが」
「あ? ああ。そういやそうだな。確かに魅力的な女性ではあったんだが。でもよぉ、シエルもそうだが、こんなクソチビを人間じゃねえっつって金に換えちまえるんだって思うと……な。限界まで追い詰められてたのはわかるが……」
深いため息をついて、ダリウスは苦笑いを浮かべる。
「女ってのは怖えなァ……」
「今頃知ったのかい? それでもよいと思えなければ、結婚などできはしないのだよ」
「レニは怖くないぞー? レニ、噛んだりしないからなっ」
ダリウスがレニの頭に大きな手を置いた。そうしてくしゃくしゃと頭を撫でる。
「おっ、おっ。お客じゃない人、なかなか、てくにしゃんだな。レニ、気色エエ感じ」
「しゃあねえ。レニ、これからちっと荒事になるが、なるべく俺たちから離れるなよ」
「ほお? ぷろぽずーか?」
「違えよ。これから囚われのお姫さんを迎えにいくけど、館ん中は危ねえから俺たちから離れるなよっつってんの」
しばらく考える素振りを見せた後、レニがくわっと目を見開いた。
「ゆーかいかっ」
「人聞き悪ィな!? ちゃんと知り合いだよ。あんま知らねえけど」
「ほお」
「――んじゃま、行くかね」
ダリウスが腰から剣を抜き、閉ざされた格子の門を蹴った。明け方の静かな街並みにけたたましい音が鳴り響いた。
「ダリウス。大きな音を立てたらバレるぞ」
「いいだろ、別に。どのみち伯爵は張り倒すんだぜ」
たった一蹴りで曲がってしまった門を、今度は完全に蹴破るべく、ダリウスがもう一度足を持ち上げた瞬間――。
「うおっ!?」
後方から飛来した圧縮空気の塊が格子の門を大きく弾き飛ばし、その勢いで庭を越えさせ、館の扉へと叩きつけた。
ガァンと凄まじい音が鳴り響き、両開きの扉の右側が破壊されて外れる。
やにわに館の内部が騒がしくなった。
「それもそうだ」
魔導銃を掌でくるくると取り回し、ロットナーが気障なウィンクを見せる。
「ついでにノックまで済ませておいた。紳士の嗜みだ」
「おまえ、ほんと短気だな……」
不良中年ふたり組――と、獣の子約一名。
あくどい笑みを浮かべながら、領主の館へと踏み込んでいく。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




