20.どうにもならないこと
ロットナーはため息をついて、静かに続ける。
「帝国の里親制度に金銭の発生はない。あるのは受け容れ可能かどうかの調査だけだ。近年その法律を作ったのは私だから間違いない。凪の大海亭で調査が行われたかどうかも調べればすぐにわかる。調査が行われていれば、まず大海亭のような潰れかけの宿では通らないだろうが」
メルミィがうつむいた。
それでもロットナーは容赦しない。
「いま私たちがこの孤児院内に踏み込んで捜索すれば、あるはずのない相当額の金銭が出てきそうだ。質素な食事に痩せた子供たち、着ている服に見合わないような額のね」
「……っ」
「最初から疑ってはいたんだ。シエルはとても高価なエルフだから。だからしばらくの間、私は彼女を預けた孤児院を見張るためにエイラに滞在するつもりだった。何日でも、安心できるまで。これはダリウスには言っていなかったことだけれどね。彼は私と違い、とても正直者だから」
ロットナーが首を振りながらうつむいた。
「残念だよ、メルミィさん」
「……何が私の作った法律よ……」
ぼそりと聞こえたその声は、メルミィのそれだ。
ダリウスがぽかんと口を開け、眉間に皺を寄せる。
「神父様が亡くなられて中央教会からの支援を打ち切られ、頭下げて回って寄付金集めて、どうにかこうにかやってきたんだ! そんな苦労も知らないやつに魔物の子まで押しつけられてさあ、これ以上わたしにどうしろって言うのよッ!」
それは孤児院の子供らが怯えるほどの金切り声だった。
「魔物の子……?」
メルミィがレニを指さした。
「レニもシエルミルも人間じゃないわ! みんなで仲良く飢えるくらいなら、誰を犠牲にして生き延びるかなんて決まってるでしょ!? レニは大した金額にはならなかったけどね!」
メルミィが歪な笑みを浮かべる。その目にいっぱいの涙を溜めながらだ。
「シエルミルはとてもいい子だった。強制なんてしていない。こうしなければみんなが飢えて死ぬと言っただけで、おとなしく変態貴族のところに行ってくれたわ。おかげで向こう十年はこの数の子供たちが食べていける」
ダリウスは震える声で問う。
「あんた……シエルの良心につけこんだのか……。あんな小さい子の……」
「何が悪いの? どこが間違ってたの? ねえ! みんなで仲良く飢えて死んだ方がよかった!? もう限界なのよ、この孤児院はッ!!」
直後、ダリウスの体熱が上がった。その周囲にいるロットナーやメルミィ、レニにさえわかるほどにだ。陽炎が揺らいだ。
「~~ッ」
ダリウスの腕が背中まで引かれ、メルミィの頬へと放たれる。だがぶつかる寸前、両腕を絡めてそれを止めたロットナーが、ダリウスの胸を押して下がらせた。
「よせ、ダリウス。平手とはいえキミが全力で叩いたら、か弱い女性ではどうなるかわからん」
そう告げて、ロットナーがメルミィを振り返る。
ダリウスの怒気にあてられた彼女は青ざめた顔で腰を抜かし、ぺたりと床に座っていた。
「救いはなかったのかね? 教会はだめでも、なぜそれを帝都に訴えなかったんだい?」
「訴えたよ……。この数年、何度も何度も帝国政府あてに手紙を書いた……。でも、帝国政府は何の返事もくれなかった……」
ロットナーが顔をしかめる。
「貴族派――いや、ローウェン公に握り潰されたな。かの大公爵殿は帝都とコロセウムの復活のみにご執心だ。地方にまで意識を広げる器がない。ましてや差出人が地方の孤児院では、手紙はおそらく封を切られてもいないだろう」
「野郎か……ッ。あの日ぶっ殺しときゃよかったぜ!」
ローウェンが叛乱を起こした日だ。殺さぬ程度に痛めつけはしたが、どうやらそれでは足りなかったらしい。
ロットナーが腰砕けとなったメルミィの前で膝を折り、目線を合わせた。
「……っ」
「大丈夫だ。もう一度、現状を記した手紙を書きなさい。届け先は帝国政府ではなく〝ラルシア評議会〟だ。差出人にはメルミィさんの連名でブレア・ロットナーと書くといい。そうすれば必ず封は開かれる。評議会は市民の味方だ」
「あ~……」
ダリウスが頭を掻く。
「その隣にダリウス・マクスミランとも書いとけ。そうすりゃ絶対に動かざるを得なくなる」
「え……」
目を見開き、あらためてダリウスを眺めるメルミィの肩に、ダリウスの大きな手がのせられた。
「さっきはその……あんたの事情も考えず、頭に血ィ上らせちまって悪かった。詫びと言っちゃなんだが、あんたが犯した罪をぶっ潰してきてやる。だから教えてくれ」
ダリウスの体熱がさらに上昇した。
「――シエルはいま、どこにいる? どこに連れて行かれた?」
「……ロア火山の向こう、商業都市ブレッドロアです。メルキス領主、ランベール伯爵の館に……」
ダリウスとロットナーが目を見合わせて立ち上がり、彼女に背を向ける。
目に涙を浮かべながらへたり込むメルミィの前に、小さな影が座った。レニだ。
「レニな、魔物とか、人間とか、難しいことようわからん。でもな、凪の大海亭はすきだ。あそこで働くの、楽しぃかった。だから、センセのこと恨んでないぞ。お別れが、ちょっと寂しかっただけだ。センセ、山に捨てられてたレニ助けてくれて、ありがとなー?」
「……っ」
その直後、堰を切ったようにメルミィが大声を上げて泣き出し、崩れるように突っ伏した。
「ああ、あああぁぁぁ……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
孤児院の子供たちが彼女の周囲に駆けつけてきて、その肩や頭を撫でる。
そうしてレニはふたりの男の背を追って走り出したのだった。
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