18.紛う事なき怪文書
翌日は疲労を取るべく温泉にゆったりと浸かり、夜を迎えた。
ダリウスは孤児院に行きたがったが、ロットナーの「毎日顔を出したら迷惑だよ」の一言で、こっそり様子を見にいきこそしたものの、礼拝堂の扉を叩くことはしなかった。露店の男が焼いた魚を囓りながら、何をするでもなく遠くからシエルや子供らの畑作業を眺めていただけだ。
それに自身らはシエルを孤児院に預けたとはいえ、何ら繋がりのない赤の他人だ。行きがかりに拾っただけ。親でもなければ子でもない。あまり世話を焼くのもどうかという気もする。
結局、この日もシエルの身に危険が迫ることはなかった。
そんなことを思い出しながら、ダリウスは宿の窓枠に腰掛け、温泉街エイラの夜を眺める。
何もしていなくとも一日が終わっていく。
宿から借りたユカタとかいう民族衣装姿のロットナーが、酒の入った徳利を傾け、お猪口に注ぎながら呆れたようにつぶやいた。
「そんな顔するな。明日また会いに行けばいいじゃないか。それくらいは許してくれるさ」
「そうだな。で、何かメルミィさんの助けになりそうな方法は思いついたか?」
差し出されたお猪口を無視して徳利を奪い取り、ダリウスは一気にそれを喉奥へ流し込んだ。異国の酒だ。甘い飲み口は悪くない。
「気は進まないけど、評議会に手紙で提言するしかないね。その場合、我々がエイラにいることが彼らにバレてしまうから、旅立った後に、というふうにせざるを得ないが」
「そうか……」
再び皇帝の椅子に座らされるのはご免だ。
「すまないね。この方法だと旅立ちは早い方がいい。孤児院のことを考えれば、次の機会が彼女と会える最後になる。言いたいことがあるなら言った方がいいよ」
ロットナーがため息をついて、竹で編まれた椅子に腰を下ろした。
椅子の脚の下に曲げた板を張り付けたロッキングチェアだ。窓から流れ込む穏やかな風に、ゆらゆら揺れている。
ダリウスは唇を尖らせる。
「わ、わかってるっつーの」
「それに温泉はいいけれど、毎日二度も三度も入っているとさすがに飽きてきた。あれ以来、痴女さんも現れなくなってしまったしなあ」
「んだな」
「明日には発つかい? 私たちは追われる身だ。なるべく早く帝国からは出た方がいい。相手が例の痴女さんだけなら楽しいだろうけれど」
遠回しに、別の暗殺者がやってきた場合には孤児院に危険が及ぶことになると、ロットナーは言わんとしている。それくらいは鈍いダリウスにだってわかる。
「……そうするか。それによ、あの孤児院にゃ早急に金が必要だ。あの分じゃ近いうちにガキどもが飢えちまう。俺たちが旅立った後にしか評議会に手紙を送れねえなら、そりゃ早え方がいい」
「今夜はゆっくり眠って、明日の昼に発とう」
「ずいぶんのんびりしているな」
ロットナーが指先で髭をしごきながらつぶやいた。
「少し気になることがあってね」
「何が?」
「まだ言えな――」
突然、ガァンと音が響いて扉が開かれた。
「!?」
ロットナーが肩を跳ね上げながら反射的に視線をやると、樽を抱えたレニが立っていた。廊下から近づいてくる気配をつかんでいたダリウスは、驚きもしないけれど。
「ふぬ~、レ、レニだ、よー!」
どうやら樽を下ろさず、足で勢いよく蹴って扉を開けたらしい。左右に揺れながら運ばれる重そうな樽からは、水音がチャプチャプ鳴っている。獣人族というのはとてつもない怪力だ。己の肉体よりも大きな樽を運んでくるのだから。
レニは部屋の隅にそれをドスンと下ろすと、ふぅと一息ついた。
「レニ、女将に言われた。酒持ってけって。前見えんからふらふらした」
「追加は頼んでねえぞ。――おまえか、ロットナー?」
「いや、私も知らないな。資金にそこまでの余裕はないからね。――レニくん、他のお客さんの間違いじゃないのかね?」
少し遅れて、女将が現れる。
両手に大層な料理の膳を持ってだ。
「他の客は一組もないよ。こいつはあたしの奢りさ。今夜で凪の大海亭は店仕舞いだからね。あんたたちふたりが最後の客ってわけだ」
凪の大海亭は温泉街最古の宿だ。
元々は数十年前、エイラという何もなかった小さな集落にやってきた温泉技師たちが宿泊をするため、最初に造った施設が凪の大海亭だった。その後、開拓者自身の手によって一般客向けの経営がなされ、大いに繁盛をしたのだが、人が集まれば集落は町となる。
多くの商人らがエイラに同じような商業施設をいくつも造り始めた。エイラはさらに発展を遂げ、いつしかやがて温泉街と呼ばれるようになっていった。
開拓者と移住者。両者は当初こそ互いの存在に集客のメリットがあったのだが、移住者の数が増えるにつれ町は様相を変えた。
次々と建設される温泉宿によって、メイン通りというものができたのだ。そしてそれは山の起伏により、開拓者の造った凪の大海亭からは少し外れた場所となってしまった。
当然、客の多くは華やかな温泉街を味わえるメイン通りに集まる。
そこまで語り、女将はため息をついた。
「凪の大海亭にとっちゃあ、それが運の尽きだ。あたしらの親が開拓した温泉だってのにさ。ま、こればっかりは移住者を恨んだって仕方がない。開拓当時は、温泉街がここまで大きくなることは想定していなかったんだからねえ」
「山の起伏でこっち側にメイン通りを造れなかったことが原因で、客足が途絶えたってことか」
「そういうこと」
しんみりとした空気を払うように、女将がパンと両手を合わせて笑う。
「というわけさ! 金ならともかく、酒や食い物なんざ残したって腐るだけ。だから最後の客のあんたたちに大盤振る舞いってわけだよ」
「つってもさすがに食い切れねえぞ。ならよ、女将やレニも一緒にどうよ」
ダリウスの提案にロットナーがうなずいた。
「そうだねえ。料理も酒も、ここの従業員が作ったものなのだろう。なら全員を集めて宴会ってのも悪くないね」
「あっはっは。これが全員だ。料理も酒もあたしの仕込みさ。だからそこまでの量はない。それくらい客がいなかったってことだ。ぽんこつ宿に辿り着いちまったあんたたちも、運がなかったねぇ」
ダリウスが鼻で笑う。
「バカ言っちゃいけねえよ、女将。俺たちゃ運がよかった。――な、ロットナー」
「だねェ。いい酒に、いい料理に、いい温泉。そこにいい女が加わったらもう言うことはないね」
「お客、それはレニのことかー! 照れるなー!」
「あたしのことだよ、バカレニ」
その夜は互いに酒を酌み交わし、会話に花を咲かせ、料理に舌鼓を打った。記憶が途絶えるまで飲んで食べて笑った。
そして迎える翌日の昼、ダリウスとロットナーが目覚めたときにはもう、女将の姿は消えていた。
……ぐーすか眠ったままのレニと、彼女の身柄を差し上げるという怪文書を、彼らの部屋に残したまま……。
「おい、女将のやつ、もうどこにもいねえぞ!? どうすんだよ、ロットナー! またガキ拾っちまったじゃねえかよ!」
「うーん、これはさすがに想定外だったよ……」
こうしてダリウスとロットナーは、レニを連れて孤児院へと向かうのだった。
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