16.だいたい残酷では?
女が去ったあと、ダリウスは大急ぎで鷹の間に戻った。腰に剣を佩いて部屋から飛び出そうとしたダリウスの腕を、ロットナーがつかんで止める。
「どこへ行くんだい?」
「決まってンだろ、孤児院だ! あの女、シエルを人質にするつもりだ!」
「そうだろうか」
「そうに決まってる! 聞いてなかったのかよ!? おめえもさっさと支度しろ!」
だがロットナーの手は、ダリウスの腕を一層強くつかんだ。
「行かない方がいい。今夜は大丈夫だ。私を信じろ」
「ああ?」
「おそらくシエルは無事だよ。いまのところはね。そもそもあの痴女の狙いは私たちの命だ。シエルは関係ない。むしろいま様子を見にいけば、シエルが私たちの弱点だと女に教えるようなものだ。やめておいた方がいい」
「そりゃ、ただのおめえの予想だろうがよ」
顔をつきあわせて睨み合う。
ロットナーがため息をついた。
「そうなのだが、それなりの根拠がある。思い出してみたまえ。彼女はこう言った」
――一応言っとくけど、露店はそこにあったものを勝手に使わせてもらっただけだから。
「それがどうしたよ?」
「キミと同じだ。周囲を巻き込むことを望んではいない。露店の店主は関係ないからと、私たちに釘を刺した。だからおそらく人質を取るような真似はしないはずだ」
ダリウスが言葉に詰まった。その全身から力が抜けたのを確認してから腕を放し、ロットナーは続ける。
「そもそも人質に取るつもりなら、魚屋のふりをしていたときにシエルの顔を覗き込んだ時点でできていたはずだ。――さらにはなぜ確認する必要があった? 関係があるか無関係であるかを知りたかったのではないか?」
「そりゃあ、ちっとあの女を信用しすぎじゃねえか?」
「かもね。でも、私にはそれほど悪人には思えんのだ」
「暗殺を生業としている女が?」
「それを言うなら、キミだって剣奴王になるまで五百名の罪人を屠ってきただろ。少しは信じてみてもいいと思うがね」
ダリウスが再び言葉に詰まる。その表情が陰った。
そうして不承不承、あぐらを掻いて座る。
「いいか、ロットナー。もしシエルに何かあったら、俺はおまえを許さんぞ」
「先ほども言ったが、いま行ってシエルが我々の弱点だと彼女や他の暗殺者に知られることの方が危険だ。それに、仮に人質にされたとしてもどのみち無事だよ。殺せば人質にならない」
ダリウスが苦々しい顔でため息をついた。
「……確かにな。生きてさえいりゃあ、取り返しゃ済む話か」
「そういうこと。だが何度も言うけど、私にはあの女がそんな真似をするようには思えない。ただ――」
ロットナーが言葉を切る。
「どうした?」
「何でもないよ。メルミィ嬢と約束した通り、明朝に一度様子を見にいこう」
「お、おう」
「特定の女性の名を出してすぐにわかりやすく動揺するのはやめたまえよ。気持ちが悪いぞ」
「うううるせーな」
ニヤつきながら、呆れたようにロットナーが言う。
「女暗殺者の方は丸出しでも割と平気そうだったのに」
「あたりめえだ! あんなもん女にカウントできるか! こっちにしてみりゃ命を狙われた上に風呂まで覗くようなやつだぞ!?」
「あの場合はどっちもどっちだったと思うけどね。私は好きだよ、ああいうおもしろい女性」
ダリウスは心底嫌そうな顔で顎をしゃくった。
「じゃあ引き取ってくれよ。それよかロットナー、評議会が宝剣を隠しちまったのは、まさかとは思うが、おまえの差し金じゃねえだろうな」
ダリウスはロットナーの鼻面に指を近づけて睨んだ。
「正直言って、可能性としては予想していた。半々くらいでね。ただあのときはもう、ああする以外に方法はなかったろ? 宝剣の存在は私たちにとってはかなり厄介だ」
「む、う……」
「ま、宮殿に帰らなければそれで済む話だよ、皇帝陛下殿」
「皇帝言うなあ!」
ぐうの音も出ない。確かに、ローウェンや貴族派に奪われるくらいであれば。
その瞬間、凄まじい勢いで横開きの扉が開かれた。ふたりして肩を跳ね上げ、とっさに視線を向ける。
「レニだよー!」
何やら両手と頭に料理ののったトレイをのせている。大道芸のようだ。
「お客、ご飯持ってきた!」
「おお、ありがとう。そこのテーブル……座卓に置いてくれたまえ」
「はぁ~い。お客、頭のだけ取れ。レニ、下向けん」
ダリウスがレニの頭のトレイを取り、テーブルに置いた。
「さっきは桶に穴空けちまって悪かったな」
「お客、あんま来ない。一個くらい平気だ。かっちょよかったぞ」
レニが両手で残りのトレイを置く。
「料理の説明するなー?」
真ん中に置いた刺身の舟盛りを指さして。
「これはな、生きてる魚、半殺しにして、生皮剥いだ残酷なやつだ。生だな。まだちょっと動く」
確かに。魚は身を削がれているにもかかわらず、ぴくぴくと動いている。
「これがサシミってやつか」
「ほう、お客、知ってたか。やるな」
「食ったこたぁねえけどな」
ダリウスは興味深そうに見ている。ロットナーは苦笑しているけれど。
レニがせっせと米をよそった。
「これはな、生きてる稲、ぶっ殺して、皮剥いで茹でた残酷なやつな」
「それも知ってるぜ。米だろ」
レニがビッとダリウスを指さす。
「お客、さては物知りだな!」
「だろう? こう見えて俺ぁ高貴な出なんだぜ?」
「かぁ~! すっごいな、お客!」
耐えきれずにロットナーがわずかに噴き出した。
そうして付け合わせを指さして、レニに尋ねる。
「ぶふっ、く、くっく……こ、これはなんだい?」
「これはな、なんか緑色の木の子供だけぶっ殺して、茹でて刻んで、腐った豆をのせた、残酷なやつだ。こっちはな、一所懸命生きとる緑色の草をぶっ殺して、腐った豆の黒汁で味付けしたやつな。ほいで、これはな、腐った豆で味付けた汁だ」
「やたらと腐った豆が多いな……。腹を下さんだろうか……」
真剣に返すダリウスに、ロットナーがついに盛大に噴き出した。
「ぶく、く、ぶはーっ、ばぁ~っはっはっは、ひぃ、ひぃぃぃっひっひっひ!」
「な、何だよ?」
スン、とロットナーが笑みを消す。
そしてまじめな顔で言った。
「いや、何でもないよ。ほら、箸を持とう。この食器のことだ。いいかい、ダリウス。箸はね、右手と左手に一本ずつ持って、ナイフとフォークのように使うのだ」
「へえ。切れんのかよ、こんな棒きれで」
ダリウスが焼き殺された牛の肉を右手に持った箸で擦っている様を見て、ロットナーが噴出しながら仰向けに倒れた。
「ぶぁーーーーっ、ひっ、ひぃぃッハッハッハッハ!」
「……」
……ぶん殴られた。
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