15.多少の趣味と
女が地を蹴った。ダリウスとの数歩分の距離が、一瞬でゼロになる。
それでも剣奴王だ。左手――逆手に持ち替えた指ほど長さしかない暗器ナイフで、女の大型ナイフを受け止める。甲高い金属音とともに火花が散った瞬間、ダリウスはすでに右手の暗器を女へと向けて振り上げていた。
「ふん――!」
だが女は一瞬早く上体を反らして斬撃をやり過ごしながら両足を振り上げ、後方一回転で着地する――と同時に、その肌に貼り付いたような服装のどこから取り出したのか、闇に溶け込む黒の暗器を再び三本投げた。
「お?」
高速で飛来するそれらの隙間をダリウスは苦もなくかいくぐり、笑顔で女の懐に踏み込む。
「やるなぁ、おまえ」
「~~っ!?」
瞬間、女が身を引いた。大きく後退しながらさらに三本の暗器をダリウスの足下へと投げて追撃を牽制し、着地する。
ダリウスが蹈鞴を踏んで止まった。
「ああもう、だめだめ! あんたの下半身が気になって集中できないわ! それ、早く仕舞ってくれない!?」
「つってもおめえ、こんだけ動いてたら手拭い巻いたところで意味ねえだろ。両手に桶持って隠しながら戦えってのかよぅ」
「やり方はどうでもいいわよ! 恥ずかしくないの!? 仮にも皇帝陛下なんでしょ!?」
「恥ずかしいだと? ヘッ、笑わせるぜ」
ダリウスが両手を腰にあて、分厚い胸を大きく反らす。
そうして、くわっと目を見開いて。
「鍛え抜かれたこの肉体に恥じる部分なんざねえ! 何なら第二の武器だ!」
ロットナーとレニが、湯の中からパチパチと拍手をする。
「おー……」
「よっ、お客っ、ご立派っ」
女がダリウスの股間を指さして叫んだ。
「そこは鍛えられないでしょうがッ!! 丸出しの弱点ぶら下げてイキってんじゃないわよ!」
「そう思うなら狙ってみろ。ほ~れ、ほ~れ」
ダリウスは少々自棄になっていた。
「ゆ、ゆ、揺らすなぁぁぁっ!!」
何やらヘルムの上から頭を掻き毟っている。もどかしそうだ。
はすっぱな言葉遣いで暗殺者という剣呑な職務についている割に、女は意外と純朴だったようだ。
ゆえに視線を逸らして吐き捨てる。
「――ああ、ああ、もういいわ! 今日のところは見逃してあげる! でも近いうちに絶対に殺しにくるから、覚悟しなさいよ!」
「……」
「返事!」
「……」
無言で見ていると、地団駄を踏んだ。
おもしろい女だと、ダリウスは考える。
盛大に舌打ちをした女が、露天風呂の岩に飛び乗り、次に魔導灯の上に立った。そうして背中を向けて膝を曲げ、思い出したように肩越しに振り返る。
「ああ、そうそう。シエルって言ったかしら、あのエルフの娘。いまはエイラの孤児院にいるのよねえ?」
「――!」
途端にダリウスの目の色が変化した。
「……それがどうした? 言っとくが、あいつは偶然、旅の道連れになっちまっただけだ。俺たちとは何の関係もねえ」
「ふぅん? もしかして彼女、あんたたちの弱点になったりする? 貴重だものねえ、エルフは」
「他人を巻き込むんじゃねえよ。いくら薄汚え暗殺者ったって道理ってもんがあんだろうが」
それまで黙っていたロットナーが対話に割り込む。
「それ以上の脅迫はやめておいた方がいい。私もこのダリウスも、キミのステキな素顔を知っているからね。どこまでも追うことができる」
「え――」
「え――」
女とダリウスの戸惑いの声が重なった。
ロットナーが湯から出て、堂々と両腕を組む。これまた一切隠さない。
こちらは自棄ではない。女の純朴さを利用した、身を守るための立派な作戦だ。多少の趣味と。
「確かに、そんなヘルムを被ってしまうのはもったいない美人だ。そうだろう、魚屋さん?」
「な……っ、んで?」
「薄々そんな気はしていたんだが、エルフという言葉で確信を得た。キミは焼き魚を渡す際、私たちのときとは違ってわざわざ露店を回り込み、シエルの顔を確認していた。ターゲットは二名と聞いていたのに、三人目がいたからだろう。そこで彼女がエルフだと気づいた」
ダリウスが目を丸くしてロットナーを睨んだ。
「おまえ、気づいてたなら言えよ」
「確信がなかったんだよ」
そんなやりとりを掻き消す勢いで、女は叫ぶ。
「し、知らないわよ、そんなの! あたし、エルフなんて言ったからしらぁ?」
ロットナーが苦笑いを浮かべた。
「いやさすがにそれは無理があるのではないかい?」
「うぐ……」
「シエルは街道からフードを一度も取っていない。知っているのは私たちが明かした孤児院関係者か、彼女を狙っていた賊、そして顔を覗き込んだ魚屋しかいない。それにさっき殺しにきたばかりのときにも、私たちの正体を私たち自身に尋ねてきていただろう?」
――一応聞くけど、ご本人で合ってるわよね?
ヘルムががっくりうなだれる。
すっかりと暮れてしまった夜に、大きなため息が響いた。
「ま、いいけど。どうせふたりとも殺すんだし。そうよ。認める。あの魚屋があたしの素顔。一応言っとくけど、露店はそこにあったものを勝手に使わせてもらっただけだから。あんたたちが知っているのはあたしの顔だけ。――それでも捜せる?」
ダリウスが即答する。
「捜す。どうせあてのねえ旅だ。時間なら山ほどある。帝都に戻っても無駄だぜ。俺ぁな、宮殿を退く際にわざわざ無血開城したんだ。なぜだと思う?」
女が肩をすくめた。
「さあね。興味ないわ」
「無関係なやつらの血を流させねえためだ。そいつを破るやつがいたら、どこに潜もうが必ず殺しにいく」
小さく鼻を鳴らした女が、ヘルムの視線をダリウスから外した。片手を腰にあて、前方の闇を見つめる。後ろ向きでも様になるポーズだと、ダリウスは場違いにも考える。
やがて女が言った。
「……ただの忠告のつもりだったんだけど、余計なお世話だったみたいね」
ロットナーが微かに眉根を寄せた。だが言葉はない。
ダリウスは続ける。
「同じこった。俺たちを狙うのは構わねえが、関係ねえやつを傷つけて歩くのはやめろ」
「……せいぜい後悔したらいいわ」
それだけを言い残すと、女は高く高く跳躍して、夜の闇の中へと溶けていった。
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