14.愉快な暗殺者さん
温泉は最高だ。
宮殿には無論立派な浴室があったのだが、皇帝といえども湯に浸かるというのはなかなか機会に恵まれない行為だった。なにせ宮女や侍女らが鍋で湯を沸かし、それを浴室に運んで水位を上げていく必要があったからだ。
その騎士団を総動員してすら大変な作業を、俺ひとりのためだけに女性である彼女らにさせるのは気が引ける。ゆえに大半の日が湯浴みであり、仮に入ったとしても真夏の水風呂であることが多かった。
思わず声が漏れる。
「あぁ~……」
「これで妙齢の女性が一緒だったらねェ」
「アホ、入り口で男女に分かれてただろーが」
「階段上の露天だけ共用らしいよ」
沈黙が訪れた。
しばらくして、ダリウスがつぶやく。
「…………行く……?」
「何を言っているんだ。嘘に決まっているだろう。このムッツリ思春期め」
ダリウスがロットナーの頭部に手を置いて、一気にその顔面を沈めた。
「んぶっ、ぼががが……。ぶはッ! ……ぐ、まさか信じるとはね」
「やかましい。行くわけねえだろ、それこそ冗談だ」
「冗談で私を殺さないでくれたまえよ。――で、さっきは何を見ていたんだい? 孤児院?」
横目で睨まれたロットナーが視線を逸らせながらそう言った。
ダリウスがため息をつく。
「いつのことだ?」
「部屋に入ってからだよ」
「ああ、強突く張りの露店だ。煙が上がってたからな。夜にも商売をするのかと思ったんだが、店主があの強突く張りじゃなくなってた」
「彼女のご主人かねェ。既婚者だったのは残念だ。割と私のタイプだったのだが」
ロットナーがそうつぶやくと、ダリウスは両手で湯をすくって顔を擦った。
「だといいがな。正直、夕刻に感じた視線のことも気になる」
「愛しのメルミィ嬢からの熱視線だったのかもね」
「それなら最高なんだ――が!」
ダリウスが勢いよく振り返る。
湯煙の向こう側――!
ロットナーが湯を跳ね上げながら慌てて立ち上がった。だが当然魔導銃はない。鷹の間だ。
そこには――。
「レニだよー! お背中、ぶん流しまぁ~す!」
猫娘がなぜか愉快なポーズを決めて立っていた。
頭の上に手拭いと、片手に木桶を持っている。ひらひらの袖は捲られていた。
「どしたー? お客ぅ?」
「……や、浸かる前にもう洗っちまったよ。湯を汚しちゃ悪いだろ。そんくれえのマナーは知ってるよ」
気が抜けたように、ロットナーが再び胸まで湯に浸かった。一方でダリウスは逆に立ち上がり、湯から出てレニの方へと向かう。言葉とは裏腹に。
「お。やっぱお背中、ぶん流すんか?」
「……」
無言で少女に手を伸ばして桶を奪い取ると、レニの着物と呼ぶらしい服の襟首をつかみ上げ、湯の中のロットナーへと投げた。
「おお?」
空中でレニがワチャワチャと両手両足を動かす。
「持ってろ、ロットナー」
「うわっ!? 何をするんだい、ダリウス!」
その瞬間――!
コココと小さな音が鳴って、ダリウスが持ち上げた桶にナイフが三本突き刺さった。刃部分は指のような細さ長さで、黒く塗り潰されている。暗器だ。
「合図したらレニを連れて脱衣場まで走れ。例の視線の主だ」
「ええ……!? 勘弁してくれ、私は裸だぞ!? 脱衣場まで行けても魔導銃は鷹の間だ」
「お? お?」
屋根。凪の大海亭の屋根に、上がり始めた月を背負って誰かが立っている。風に長い髪をなびかせて。
女……?
頭部はヘルムでも被っているのだろうか。月のように丸く、そして犬猫のように耳が立っている。服装は黒色だが、まるで何も着用していないかのようにボディラインの浮き出すシルエットだ。またそれが抜群に均整の取れたものときたもんで。
「――ッ」
女がもう一度ダリウスへとナイフを投げた。今度は両手から六本。
だがダリウスは最初の二本をステップで躱すと、残りを再び桶で受け止めた。そのときにはすでに女は着地していて――!
先ほどとは別の大型ナイフでダリウスへと斬りかかっていた。ダリウスはとっさに桶から二本の暗器を引き抜き、両手に持って大型ナイフを受け止める。
ギィンと金属音が鳴り響き、穴の空いたナイフだらけの桶がふたりの足下を転がった。
「く……!」
痺れた。暗器は刀身が短すぎる。それ抜きにしても、なかなかの手練れだ。
「待て待て。待ってくれ。一旦落ち着け。きっと人違いだ。こっちは男湯を堂々と覗くような痴女に恨まれる筋合いはねえ」
「ふっっざけんなっ、あたしのどこが痴女よ!」
ヘルムの中でくぐもった声だ。
ダリウスの視線が女の顔から身体へと落とされる。
「いやすごい格好だから……」
「どっちがよ!?」
互いに弾けて距離を取る。
「みっともないものぷらぷらさせてる男の言葉とは思えないわ! いつまでも汚いもの見せつけていないで、さっさと仕舞ったら? それともそういう趣味なの?」
ひどい言い草だ。自分から男湯に入ってきておいて。
「よく見ろ。汚くねえ。ちゃんと洗った。それとも何か、こいつぁエキセントリックな宿のサービスかなんかか?」
レニがロットナーに抱かれながら、ぷるぷると頭を振った。
「レニ、そのおばさん、知らん人」
「顔隠してるだけで、まだおばさんじゃないわよ!? 言っとくけどめっちゃ美人なんだから!」
愉快な性格をしているようだ。
ダリウスが視線を女に戻す。
「だとしたら、やっぱ貴族派が送り込んだ暗殺者か」
「あはっ、笑える。あんた、評判の割にずいぶんと頭の回転が鈍いのね。剣奴帝ダリウス・マクスミラン。あなたの命と宝剣リュネットをもらいにきたわ。……一応聞くけど、ご本人で合ってるわよね?」
「確信ねえのに襲いかかってきてたのかよ……。なんて女だ……」
「うるさいっ。どうなのよっ」
しらばっくれてしまいたいところではあるが、他人に迷惑をかけるかもしれない。そんなことを考えたダリウスは、ため息をつきながら口を開いた。
「そうだ。俺が――」
言いかけて、女の言葉を思い出す。
この女、先ほど妙なことを口走らなかったか。
「………………いや、待て。待て待て待て。何やら聞き捨てならんことが聞こえたぞ!? 宝剣リュネットをもらいにきただと?」
「しらばっくれんなっ! 叛乱のあった日に、あんたが持ち逃げしたんでしょっ!」
ダリウスが勢いよくロットナーの方へと振り返ると、ロットナーは苦々しい半笑いを浮かべていた。
「作戦通り、私は評議会にちゃんと預けたぞ。ただそれでも、受け取った側がそれを世間に公表するかどうかはまた別の話だ。未だにそれがないということは、ダリウス、宝剣リュネットの所有者はキミということになる。つまりキミはまだラルシアの皇帝ということだね」
唖然呆然。ダリウスは立ち尽くす。
目眩がした。
てっきり、ようやくあの重責から逃れられたとばかりに思っていたというのに。まさか皇帝の証たる宝剣のありかを、評議会が隠蔽してしまうとは。そんな可能性など微塵も考えなかった。すぐに次の皇帝が評議会によって選出されるとばかりに思っていたのに。
ラルシア評議会は本気で、ダリウスを皇帝の椅子へと引き戻そうとしている。
「勘弁してくれぇ~……」
「ごちゃごちゃうるさいわね。まあいいわ。宝剣はあんたを始末してから探すから」
女が大型ナイフを構えた。
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