12.出たとこ勝負はやめてくれ
孤児院を出ると、先ほど道を尋ねた露店はすでに店仕舞いをしていた。店はあるが、女店主の姿はもうない。炭火も消えている。
ロットナーが頭を掻いた。
「私としたことが。困ったねえ。店主に安宿の場所も聞いておくのだったよ」
「あん? あ~んな強突く張りに聞かなくてもいいだろうが。まぁた魚を買わされんぜ。これ以上食わされたら、宿のうまい飯が食えなくなっちまう。……ちっとだけ戻って、メルミィさんに聞いた方が遥かにいい宿を教えてくれるだろうよ」
「いまさら戻るのもね。ああ、キミが彼女に逢いたいのなら、私は止めないよ」
ニヤけ顔でそう言われて、ダリウスは憤慨する。
「う、うるせえな! そんなわけねえだろ!」
まるで思春期だ。わかりやすい男だと、ロットナーは考える。
橋の上で一度立ち止まり、欄干にもたれてせせらぎに視線を落とした。
「つかロットナー、おまえ、彼女の前で変なこと言うんじゃねえよ」
「ついつい意識してしまうね」
「ぐ……っ。そ、そうだよ。俺は女に慣れちゃいねえからな」
「よぉく知ってるよ」
ロットナーがため息をつくのを、ダリウスが怪訝な表情で見つめる。
「……それよかおめえ、なんでメルミィさんに明日出発するなんて出鱈目言ったんだ? あてのねえ旅だ。そんな予定なんざ決めてねえだろうが。何ならエイラに留まって商売始めんのも悪かねえ……だろ」
唇を尖らせ、人差し指で鼻を擦りながらそんなことを言う友人に、ロットナーはもう一度ため息をついた。
「うーん。いまのキミには言えないな」
「あん?」
「ま、とりあえず今晩は安宿を探そう」
「ああ」
歩き出し――……数歩。
ダリウスが勢いよく振り返った。釣られて振り返るロットナーだったが、観光客らしき人々の姿や、買い物中の住民たち、それに孤児院の庭にいる子供ら以外の姿はない。
「どうかしたかね?」
「……妙な視線を感じた気がしたが、たぶん気のせいだ」
「それはどういうものだい?」
「どう言やいいのか、ちょいと説明が難しいんだが。何となくこっちに視線を向けられたってわけじゃなくて、俺たちと知った上でこちらを見たやつがいた――ような気がしたんだ」
ロットナーが腕組みをして左右の眉の高さを変えた。
ダリウスが頭を掻く。
「あ~、うまく説明できねえが、描かれた人物込みで風景画として認識するんじゃなく、風景画の中のひとりの人物を注視するような視線だ」
ロットナーが視線を回す。
「何となくわかった。追っ手かねェ」
「だと思ったんだが、それらしきやつがいねえ。気のせいだろ。久しぶりに外に出てコロセウム時代の過剰な警戒心が戻ってきたのかもしれねえ」
ダリウスが頭を掻きながらそう言った。
コロセウムの危険は何も闘技のみではない。逆立ちしても勝てない相手との闘技を組まれてしまった剣奴は、闘技の当日がやってくる前に闇討ちを狙うことが少なくないのだ。
つまり長く生き延びた強者であればあるほど、闇討ちに遭う可能性が高い。ダリウスは何度もそのような憂き目に遭ってきた。ゆえの警戒心だ。
「そうかぁ」
ロットナーが懐から薄く小さな箱を取り出して蓋を開け、中にあった煙草を一本咥える。気持ちを落ち着けるにはこれが一番だ。身体に悪いと叱ってくる妻もいないのだから。
「俺にもくれよ」
「お好きに」
ダリウスも煙草を一本咥える。だが火がない。
ロットナーが魔導銃を取り出して、ダリウスが咥えた煙草の先に銃口を置いた。
「……マジで?」
「そんな顔しなくても。頭ごと吹っ飛ばすようなミスはしないよ。他に火がない。露店の炭火を借りるつもりだったのだけど、もう消えちゃってるしねェ」
「おい、頼むぜ。細心の注意を払ってくれよ」
「少しは私を信じたまえよ。魔導銃は魔導杖と変わらないものだ。何も攻撃にだけ使うものじゃあないからね。――火よ」
引き金を絞ると、小さな火柱が上がった。
多少前髪が焦げてしまったが、ダリウスは礼を言うように煙草を一度持ち上げると、うまそうに吸った――直後に咳き込み、涙を流す。
「ウェッホ! ゲァ……。……くぅ、二十年ぶりなせいで喉が閉まっちまった。ああ、だがこの毒の味が懐かしい」
「それはよかった。ところで、気配はどうなったんだい?」
煙草の先に火をつけて、ロットナーは欄干に背中でもたれて紫煙をくゆらせた。
「いまはいねえよ。やっぱ気のせいだったのかもな。まあ、いたとしても人気のねえとこ歩いてたらそのうち向こうから襲いかかってきてくれんだろ」
にこやかに物騒なことを言うダリウスに、ロットナーは煙のため息をつく。
「それが嫌なんだよ、私は。いきなり出てきたら心臓に悪いだろう。キミのような戦闘民族と一緒にされては困る」
「だ~いじょうぶだ。俺が反応するから心配すんな。そもそも心臓を気にしてんなら、煙草なんてやめとけよ。俺に全部くれ」
「私は正論も嫌いなんだ」
ふたり同時に噴き出し、笑った。
「さて、日が暮れる前に宿を探しに行こう。お言葉に甘えて人気のない道を通ろうか」
「いいねえ。もうちっと運動したかったところだ。気配ねえけど」
どちらともなく歩き出す。
観光客向けの露店の多いメイン通りを避け、建物と建物の間を通って路地裏を歩いていく。
一本奥の通りに入っただけで、ずいぶんと寂れた印象だ。露店は出ていないからか、観光客の姿はない。左右には古い木造の家屋が建ち並んでいるだけだ。
「どうだい?」
「来ねえな。つーか宿探しに夢中んなっちまって気配探るの忘れてたわ。俺、こういう趣のある町並が好きみてえだ」
「おいおい、しっかりしてくれたまえよ。蛮族のキミと違って、奇襲なんて私は避けられないからな」
「戦闘民族だの蛮族だの。こう見えて一応皇族なんだが。……ま、出たとこ勝負でどうにかなるだろうよ」
その感覚がわからないのだと、ロットナーは言いたい。
だが結局のところ、路地裏にひっそりと建つ宿を発見するまで、追っ手も刺客も現れなかった。
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