10.ただの身代わり
せせらぎの音が聞こえ、温泉の香りがどこからともなく漂ってくるエイラの中心部に、その孤児院はあった。
木造の多い温泉街で、珍しく石造の建造物だ。むろんドアは木造だが。
ドアを開くまでもない。竹で作られた垣根越しの庭では、痩せた子供たちが土いじりをしている。何かの作物の植え付けだろうか。年齢は一桁前半から十代前半くらいまでか。覇気はおろか子供らしい元気もなく、みな老人のように頬が痩けていた。それでも、楽しそうに。
経営が厳しいのだろうか。ダリウスとロットナーは顔を見合わせ、そんなことを考える。
彼らをベンチから見守っているのは、おそらく二十代と思しき可憐な女性だった。少なくともダリウスの目にはそう映ったようだ。
ダリウスは少々うわずった声で、女性に話しかける。
「あぁ、えっと、すみません……」
いつもの覇気はない。何事においても豪快な態度の男は、女性慣れだけはしていない。ロットナーにはそれがおかしい。
「はい」
女性が三人に気づいて、垣根の近くまでやってきた。
修道女のような服を纏っている。黒のウィンプルには白のレースがあしらわれており、そこからはみ出す長い髪は花のような金色で、緩くウェーブしていた。瞳は空のように青く、輪郭はどちらかといえば、あどけなさを残すかのように少々丸い。だが子供ら同様、修道服から出る手首は細く儚いと感じられる。顔色もあまり優れないようだ。
美しいというよりは可憐だと、ダリウスは考える。
「子供を預かってもらいたいんだが……」
「一時預かりでしょうか?」
「いや、えっと……俺たちの子じゃなくて、道すがら拾っちまって……」
「え?」
ダリウスがシエルの背中を押して垣根に近づけた。シエルは緊張した面持ちでぺこりと頭を下げる。だが修道女は呆気に取られたままだ。
「えっと……道すがら?」
見かねたロットナーが助け船を出した。
「ああ~、私たちは旅の者でね。帝都方面から来たんだけど、街道でちょっとした事件があってね。そこでこの子を保護したんだ」
「事件……ですか。込み入った用件でしたら、どうぞ中にお入りください」
導かれるままに、三人は孤児院内へと入る。
中は修道院の礼拝所のように長椅子がいくつも並べられていたが、鎮座すべき場に神の像はない。そういえば教会であるならば、外壁に神を示す宗教的シンボルが飾られているものだが、そういったものは見受けられなかった。
ダリウスがぽつりとつぶやく。
「神は不在か」
「ええ。以前ここの神父様が亡くなられた際に、資格を取り消されてしまいまして。それで――」
ロットナーが自身の口元をさすりながら口を開いた。
「中央教会からの補助金を打ち切られて、よく孤児院の経営を続けられたものだね。失礼ながら、かなり厳しい状況なのではないかい?」
「おい、ロットナー。ほんとに失礼だぞ」
女性を伺うようなダリウスの抗議に、ロットナーは半笑いで両手を広げる。
「キミに礼儀を解かれるとは、私も焼きが回ったなァ。ショックだよ」
「いまのはどう考えてもおめえの方が非常識だろうがよっ!?」
「わははははーっ。レディの前で地が出ているよ」
「バ、バカ、そういうこと言うのやめろ。やめなさい」
そんなふたりの様子に、シエルが顔を隠してクスクス笑った。
女性は柔和な笑みで首を左右に振る。
「いいえ、どうかお気になさらず。その通りなのです。ですが神父様が残してくださった分をやりくりしつつ、温泉街の組合からも寄付を多少いただいておりますので。……それでもいまはもう、ぎりぎりですけれど。資金も、人手も……」
そう言って、疲れたようなため息をつく。
神妙な面持ちでダリウスがうなずいた。
「今日に限らず神ってのはいつも不在だ。きっと天国の居心地がよくって、下界になんざ目も向けねえんだろうよ」
「キミが言うと重すぎるからやめたまえよ。――ああ、この男には冤罪で十年ほどぶち込まれていた過去があってね。でも、心配はいらないよ。善人だから。悪そぉ~な顔をしてるけどね」
「やかましい! おまえの性格ほど悪かねえわ!」
女性が小さく笑う。
「神はいつも不在……。そうかもしれませんね。あの、身元引受人として、おふたりのお名前だけ頂戴してもよろしいでしょうか。実子ではないとしても手続き上、どうしても必要でして」
ダリウスとロットナーが目を見合わせ、小さくうなずいた。
「――ああ、申し遅れたね。私はブレア・ロットナー。こっちは……」
「ダリウスだ。ダリウス・マクスミラン」
シエルを預けるのだ。さすがに偽名を名乗るわけにはいかない。名乗ったところで、評議会に問い合わせでもされたらすぐにわかってしまう。
女性が喉を詰まらせたように「え」と発する。ロットナーはその様子を眺めながら、慌てた様子もなく付け加えた。
「現在、叛乱によって行方不明中の皇帝陛下と同じ名だが偶然だよ。そもそもこんな粗野な言葉遣いの人間が陛下なわけがないからねェ」
「おい」
「……あ、ええ……。そうでしたか。わたしはメルミィ・アレインと申します」
わずかにメルミィが目を泳がせた。
ダリウスをちら見して、ロットナーをちら見して、また眼球を揺らす。
「ロットナー様は……その、もしかしたら……」
「ああ、私の名まで知っていたか。珍しいな。陛下の陰に隠れて表舞台には立たぬようにしてきたのだが。察しの通り〝賢者〟ロットナーは私だ。私がシエルくんの身元引受人になろう。ラルシア評議会に照会してくれて構わない」
「だ、だとしたら、こちらはやはり――」
ダリウスが重い咳払いをした。
だが頬を赤らめ、視線を逸らしたまま何も語らない。
ロットナーは馬鹿正直すぎる親友の態度にため息をついて、代わりにこたえる。
「別人だからそんな目で見なくていいよ。ダリウスもそれっぽい仕草はやめたまえ。彼女が無駄に萎縮してしまうだろ。キミはただの平民で、陛下を逃がすために突発的に雇っただけの身代わりなのだから」
ブレア・ロットナーは嘘をつくのがうまい。
「お? お、おう。ああ、すまん。そういう感じだ」
一方でダリウス・マクスミランは嘘をつくのがヘタである。
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