前編 暴走自転車
自転車に対する規制が厳しくなるようですが、どうしてこうなったのか?
ひとつは自転車の乗り手が、あまりにも身勝手であり、歩行者を跳ねて殺してもどうとも感じないところにあるようです。
ただ、これはあくまでも極端な事例ですが、しかし死亡ひき逃げ事故やそこまでいかなくても歩行者に怪我や障害を負わせるような事故も発生しており、ついに権力が目に余ると判断した、それが今回の規制強化になると思われます。
私も自転車との接触事故の経験がありますが、相手の自転車は夜間無灯火であり、しかも一時停止違反でした。
こうなるとどっちが被害者か分かりませんが、少なくとも自転車に乗った人が救急車で運ばれているので、私が加害者になるようです。
とは言え、警察署での取り調べでも、私はむしろ同情され、被害者は何やら説教されていました。
もっとも、私はこの時初めて、警察署での取り調べが大部屋でしかも多人数で行っていることに驚きました。
個室でライトを当てられ、しらばっくれてもネタは上がっているんだとか、故郷のお袋さんが泣いているぞとか、かつ丼食べろとかはどうもないようです。
まあ、私の態度が良かったからかもしれませんけど。
私が加入している保険を使い、不足分は私の財布から出した訳ですから。
とは言え、相手が死亡しなくて良かったと思いますが、夜間無灯火ではさすがに気付くのに遅れてしまい、事故になってしまいました。
今だったら、どうなっていたか?
ドライブレコーダーでは明らかに相手に非があり、裁判にでもなったのだろうか?
でも、相手が怪我をしているのなら、やっぱり救急車を呼ぶだろうし、保険を使うでしょう。
いずれにせよ、自転車による事故は目に余るようになったのも、自転車側に明らかに非があっても、悪いのは歩行者であると主張するところにあります。
非がどっちにあっても、怪我をするのは弱い立場、この場合歩行者であるので、それで居丈高な態度を取ろうものなら、反省していないと警察が判断するのは自然でしょう。
だいたい、自転車は速度が出るので回避出来ないからなんて、良い訳にもなりません。
回避義務は歩行者にあり、悪いのは歩行者だとなるからです。
それでも歩行者側に何らかの非が認められるような行為があったのなら、まだ話も分かりますが、自転車は明らかに交通違反をしており、歩行者に非は認められない事例が殆どと言います。
自転車が絡む事故が発生すると、だいたいが自転車に非があるとなるからです。
つまり、自転車側に交通ルールやマナーの自覚が無く、思いあがっていることにより悲劇が発生すると、そういうことになります。
では、何故こうなるのか?
自転車に乗ったからと言って、すぐに事故が発生する訳もなく、しかもスマホを操作しても、飲み物を飲んでいても咎められません。
いや、咎めても無視すればいいか、逆切れすればいいと、そうなっています。
それが成功体験となり、その積み重ねがやがて、信号無視して歩行者を跳ねて殺す事故になります。
ずっと咎められない、叱られない、事故に巻き込まれないゆえに、安全神話になってしまいます。
自分は何があっても、事故に巻き込まれないし、非は相手にあると。
だいぶ前ですが、飲酒運転をする知人を咎めたところ、自分は運転がうまいからいいんだと開き直っていました。
警察だって、自分を捕まえないと自信たっぷりでした。
では、飲酒運転に賛成なのかと言えば、飲酒絶対ダメと言います。
これはダブルスタンダードになりますが、理由があるようでした。
運転が下手な奴が飲酒なんかするから、事故が起きるんだと嘯いたのです。
ゆえに運転のうまい自分が飲酒しても、何も問題はないと。
正直、開いた口がふさがりませんでしたが、この人が運転する車には乗らないようにしたのは、私が臆病で愚かだからでしょうか?
後に飲酒運転で事故を起こしたそうですが、悪いのは相手と息巻いていたそうです。
つまり、暴走自転車を運転する者も、この一種の遅れてきた反抗期さながら、まるで尾崎豊バリに好き放題しているとなります。
自由を満喫しています。
しかし、自由には代償が求められ、仮に事故を起こせば莫大な賠償と場合によっては社会的に抹殺されます。
それが分かった時には手遅れであり、それでも自分は悪くないと思うのでしょうか。
割に合わないのが被害者であり、何ら咎められるような行為をしていないのに、障害を負ったり、死亡したりします。
相手が保険に入っているのならまだマシで、これが無保険とかだったら、始末に負えません。
これが暴走自転車の問題であり、つまり悪いのは自転車を暴走させることではなく、暴走している自覚がないことが問題と言えます。
だから自分のことを棚に上げ、平気で他人のすることを批判出来ます。
それこそ、審判を下すのは自分であると。
しかし、その下される審判の対象者が自分になった時、それをどう受け止めるかでしょう。
それでもやっぱり、彼らは反省もしないのだから、審判を受け入れないでしょう。