食人クラブ
私は退屈を持て余していた。
子供の頃はゴミ拾いでその日を生きる下層民だったが、私はそこから這い上がり、40代でひと財産を築き上げてアッパークラスの住人になった。
今はもう黙っていても金が入ってくる身分だ。だから40代半ばで一線を退き、あとは念願だった悠々自適の生活を楽しむことにしたのだ。私は、稀なほどの人生の成功者だと言っていい。いいはずだ。
そのはずだった。
・・・・・・・・・
しかし、若い頃憧れていた遊びもひと通りやりきってみると、いつしか何をやっても心弾まない自分がいることに気がついた。
今さら新しいビジネスに手を出してみたって仕方がない。成功しても失敗しても、大勢に影響ないほどに金は有り余っているのだ。
その金を狙ってくる「慈善団体」とやらも数多く接触してきたが、私は体よくあしらっておしまいにしていた。
胡散臭さのない団体なんて、存在しない。
ここまでくるのに、私だってあざとく人を騙してきたし、法ギリギリの事だってやってきたのだ。
私は退屈を持て余した。
そんなある日、執事の1人がひどく刺激的な話を持ち込んできた。
「食人クラブ、だと?」
「ごく限られたアッパークラスの方だけに知られる、裏のレストランでございます。」
「人肉を食わせるのか?」
「さようで。」
「よく摘発されないな。」
「それほどの上層の方がご利用になっているのでございます。」
「・・・・・・・」
以前の私なら決して乗りはしない話だ。人生の罠の中でも、最も危険な類のものだ。
だが私は、死にそうなほど退屈していた。
「お前が紹介するというのか?」
「以前お仕えしておりました方の縁がございますれば——。旦那様があまりにも退屈をされていらっしゃるようでしたので。」
私は、悪魔の誘惑に負けた。まだ食していない味がこの世にあった・・・と思ってしまったのだ。
「頼めるか?」
「はい。ただし——」
執事は少し間を置いてから続けた。
「ご紹介する以上は、秘密厳守でお願いいたします。さもないと、私だけでなく、旦那様のお命も危うくなりますので。」
それを聞いても、私は久々に自分の内側で血が熱くなるのを感じただけだった。
ばかにならない金額だった。
私のようなクラスの金持ちでなければ、とうてい払えない額だろう。
「お客様。申し訳ありませんが、到着するまでアイマスクをお着けください。」
ロイヤル仕様のフライヤーで迎えにきたボーイのような人物が、私にアイマスクを差し出した。
私が受け取ってから一瞬躊躇すると、そのボーイはもう一度恭しく頭を下げた。
「詳しい場所はお知りにならない方が、万が一の場合にお客様を司直の手から護りやすくなりますので。」
アイマスクを取って良いと言われたのは、フライヤーが直接乗り入れることのできるロビーに着いてからだった。
ボーイが案内したのは、ホテルの個室のような扉の前だった。
「どうぞ。こちらにご用意してございます。これが使い捨てのカードキーでございます。出入りは1回だけでございます。こちらはスタッフとの連絡用端末でございます。」
ボーイは2つの品を渡したあと、もう1つ当然のような顔でレーザー銃を手渡してきた。
「こちらは、もし暴れたりした時のために。」
暴れたり・・・?
ボーイがマスターカードをドアの端末にかざすと、ドアがすっと開いた。
「どうぞ、ごゆっくり。」
私が中に入ると、深々とお辞儀をしているボーイを外に残してドアが閉まった。ドアを入ってすぐの所にジャパニーズ風の暖簾が掛かっている。
白い絹の地に、金糸で上品な花柄が刺繍してあった。
その暖簾を押し分けて中に入ると、その先は1つの部屋だった。
中央に大きなテーブルがあり、その上に大きな皿に乗って1人の少女が全裸で座っていた。亜麻色の髪は背中まであり、年の頃は12か13くらいだろうか。
怯えた目をして、体は小刻みに震えている。
なんだ、これは?
児童売春?
いや、テーブルにはサラダと飲み物と取り皿、それに鋭い肉切りナイフとフォークが置いてある。
このまま?
生きた少女を食え、だと!?
私はスタッフを呼び出した。
「何か問題でも?」
「何か、じゃない! 生きた女の子じゃないか!」
「逆らいましたか?」
あまりにも当然だというような声音に、私は次の言葉を失った。
「い・・・いや・・・」
「お好きなように調理してお召し上がりください。」
通信は切れた。見れば、サイドテーブルには調理器もある。これが・・・!
これが、アッパークラスの秘密クラブのやり方か? そうなのか?
すると・・・。執事が言っていたように、本当に危険なクラブ・・・。
ならば・・・、食わずに帰るなどという選択肢があるのだろうか? 一口でも食わなければ・・・、それは秘密を漏らす危険な人物と見なされて・・・・。
私は再び少女を見た。
子供だ。
「どうぞ・・・。お好きなところを・・・。」
少女は震える声で言う。
「我慢・・・しますから・・・・、ひ・・・悲鳴もあげませんから・・・・。だから・・・どうか・・・・殺すのだけは・・・。」
私の中に久しく忘れていた感情の渦がまき起こってきた。
これは・・・・怒り? 屈辱感?
そうだ。
あの最下層でゴミを漁っていた頃の感情だ。
アッパーの中のアッパークラスの連中は、こんなことを裏でやっていやがったのか! こんな悪趣味を通り越したような・・・!
この子はたぶん、最下層から連れてこられたのだろう。栄養失調のやつれは取れても、手足の先の長年の荒れは隠せない。
「お前は・・・、君は、自分が何をされようとしているのか、わかっているのか?」
言いながら、私は自分自身をも嘲笑している。そう言うお前は、自分が何をしようとしていたのか、わかっているのか?
私はてっきり、調理されたものが出てくるとばかり思っていたのだ。それがフェイクであったとしても、背徳の刺激を求めたんじゃなかったか? いや、むしろ、フェイクであることをどこかで望んでいて、それがわからないことでなけなしの良心を納得させようとしていなかったか?
それがまさか・・・、まさか、こんな形の提供だとは・・・。
「はい・・・。」
と少女がか細く答えた。
私は入り口の絹の暖簾を引っぺがして少女の肩にかけた。
「私が食べなかったら、どうなる?」
「つ・・・次のお客様に、提供されます・・・。どうか・・・」
少女は懇願するような目で私を見た。
「どうか、ひと口だけでも・・・! それで・・・わたしは借金から自由に・・・」
少女の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ始めた。
そんなはずはない。
私はいろんな階層を見ながらのし上がってきたのだ。こういうケースがどうなるか、くらいはわかっている。
この子はアッパークラスの裏の「秘密」を知っているのだ。私が食べ残した分は臓器として売られるに決まっている。
どうする?
あまり痛そうでない場所を1口だけ切り取って食って、あとは素知らぬ顔で出るか?
それが自分の身にはいちばん安全だろう。
私はもう一度少女をふり返って見た。
美人、というよりは、かわいい、と言った方がいい子だ。最下層の住人でさえなければ、それなりに幸せな人生があっただろう。
私の中に、それまでとは全く別の感情が突き上がってきて、私はそれに逆らうことができず、ついに人生で最も危険な選択をするハメになった。
私は片手でレーザー銃を持ち、もう一方の手で少女の手を取った。
「ついてこい!」
少女は怯えた目をして、それでも私の剣幕に引きずられたのか、おずおずとテーブルから降りた。そのまま入り口まで引っ張ってゆき、カードキーをかざす。
もう、後戻りはできない。
開いたドアを体で押さえながら、廊下を見る。
誰もいない。
左手奥に非常階段のマークが見えた。
少女の手を引っ張って、そちらに向かって走り出す。
「こっちだ!」
「何をしているんです? お客様!」
背後で声がして振り向くと、警備スタッフらしき男がレーザー銃を構えていた。私は、肩越しにレーザー銃を撃つ。
それは男の胸に当たって、男は声も出さずに前のめりに倒れた。
人を・・・殺した?
しかしある意味これで、私もここの秘密を漏らすわけにはいかない立場になったのだ。クラブ側と穏便に話す余地は生まれたのではないか?
そんなことを断片的に考えながら、少女の手を引いて非常口へ向かう。
警報が鳴り響いた。
さっきの男が押す暇はなかったはずだ。ならばこの廊下での出来事は監視カメラで見られているのだろう。
非常扉を押す。それはあっさり開いて、半屋外の鉄骨階段に出られた。地上からそれほど高くはない。8階層ほどだろう。
私はそこでスタッフとの連絡端末を使い、交渉を試みた。
「廊下の映像は見ているのだろう。私も秘密を漏らすことのできない立場になったが、このままこの少女を買い取ることはできないか?」
「そういうことはクラブの規約に反するので、できません。あなたをここから出すことはできなくなりました。」
返ってきたのは、冷たい返事だった。
少女は今や、私だけが世界で唯一頼れる人間であるような目で私を見ている。
私は少女の手を引いて、階段を駆け下り始めた。
2階層ほど降りたところで上からレーザー弾が降ってきて、階段のあちこちに当たって火花を散らした。
私は応戦しながらさらに駆け降りる。
「私の前を走れ!」
少女に言いながら、レーザーを撃ち続ける。
「あっ」という声が聞こえて、上の方で人が倒れる音がした。
少女は私を心配そうに見上げるが、私はレーザーを撃ちながら少女を急かした。
「行け! 行け! 気にするな!」
何人かが倒れる音がすると、上からの攻撃はなくなった。
あと4階層ほどのところまで下りたところで、今度は下からの銃撃に見舞われた。私は少女を引っ張って私の後ろに回して庇う。
レーザー弾があちこちに弾けて火花をちらした。私も鉄骨の隙間から下に向かってレーザー銃を撃って応戦した。
銃撃戦になった。
「うっ」という声とともに、1人が倒れるのが見えた。撃ってくるレーザー弾の数が減る。
警備はそれほど大人数ではないらしい。
ここを切り抜ければ——。切り抜ければ? その先はどうする?
そんなことを頭の隅で思いながらも、私は自分の内側で血が熱く湧き立つのを止められなかった。少女が私の上着を両手でぎゅっと掴んでいるのを、背中で感じる。
そうだ。
こんな活劇ヒーローになってみたい——と、子供のころ思っていたんじゃなかったっけ。私は銃を撃ちながら、この銃撃戦の中で自分の顔が笑み崩れているのを意識していた。
私はこの時、自分でも驚くほどのデスぺラートなタフガイになっていた。
はっはぁ! こいつぁ最高の退屈しのぎだ!
明日のことは野となれ山となれだ!
やがて下からの銃撃が止んだ。
私は少女の手を引いて、用心深く非常階段を降りる。
2階層のあたりに、4人の警備員がうつ伏せになって倒れていた。その死体を避けながら、地上まで降りると、私は自分の上着を少女にかけてやり、自分の端末で無人フライヤーを呼んだ。警察を呼ぶわけにはいかない。直接自分のビルに逃げ込むべきだ。
私はビルの警備主任に電話をして、警備レベルを上げるように指示を出した。そんな緊張感の中でも、ひどく満足している自分を面白がりながら。
少女を保護した翌日、ビルの警備をさらに強化してから私はあの執事を呼びつけた。すでに、この闇とどう戦うかの作戦を考え始めている。
執事は悪びれもせず、抜け抜けと私の前に姿を現した。
「なぜ、全てを説明しなかった?」
私はそう詰問して、昨日のレーザー銃を執事に向けた。それでも執事は顔色ひとつ変えない。
「お楽しみになられましたか?」
「なん・・・だと?」
「ご心配なく。誰も襲ってはきません。全ては旦那様のお好みに合うよう調整いたしましたアトラクションでございます。そのレーザー銃も人を傷つけるほどの出力は出ないようになっております、撮影用のものなのでございます。」
私は呆気にとられた。
「リアン、もうお芝居はいいですよ。出てきてご挨拶なさい。」
執事が言うと、私が机の後ろに隠れているように言った少女が、机の陰から立ち上がって、おずおずと前に出てきた。
私が怒り出すのではないか、と不安そうに私の顔を見るその目がみるみるうちに涙ぐんでゆく。
「ごっ・・・ごめんなさい!」
私の脇で少女が体を折るくらいに深々と頭を下げた。それから顔を上げた時には真っ赤になっていて、目の涙はあふれそうになっている。
「ど・・・どこまでがお芝居なんだ・・・?」
私は虚をつかれて少女に怒る気になれず、執事の方に間の抜けたような質問をした。
「その子が弟の病気のために多額の借金を抱えたのは、本当のことでございます。それを私どもの団体SSCが肩代わりしまして、今回のプロジェクトに起用したのでございます。
私どもの団体は最下層の子供たちを救い上げるために、時おりアッパークラスの方たちに対してこのようなプロジェクトを提供しているのでございます。その方が十分にお楽しみいただけるようなプロジェクトをカスタマイズいたしまして——。お気に召しませんでしたでしょうか?」
あまりの展開に、私は怒ることさえ忘れてしまった。
「わ・・・私が本当に食べたりしたら、どうするつもりだったんだ?」
「旦那様はそんなことをなさるお方ではありません。それは私がいちばんよく存じ上げております。必ず助け出そうとなさる——、と。
旦那様のお支払いになった『料金』のおかげで、リアンを含む100人近い子供に住む所と学校に行く機会を与えてやることができます。ありがとうございました。
アッパークラスの方々にも善良な方は多うございます。しかし『善意』だけでは、なかなか・・・。多くの子供を救うまでには至りませんのでして——。」
ここまで見事に転がされれば、もう笑うしかない。
「ごめんなさい! 嘘をついて!」
少女がまた体を二つに折った。
「い・・・いや、いいんだ・・・。実際、楽しかったしな——。」
そう言って私は少女に笑いかけてやった。
少女は初めて、ほっとしたような笑顔を見せた。そこだけに陽がさしたような飾り気のない笑顔だった。
そうだ。これが見たかったんだ、私は——。長らく見ることのなかった、こんな素朴な表情が——。
「面白いプロジェクトだった。おかげで退屈が吹き飛んだよ、ジェームス。」
私は執事を名前で呼んだ。
「恐れ入ります。」
「そこで提案なんだが——。君たちの団体のプロジェクトに、私も参加させてもらうわけにはいかないかな? やる方はやる方で、イタズラを仕掛けるみたいで楽しそうだ。違うかい?」
私は少し意地悪い目でジェームスを見てやった。
「お、おっしゃる通りでございます。」
「ならば、私も少し運転資金を提供しよう。それと——、リアンはここから学校に通わせてもいいかな?」
「それはもう! リアンには、将来は俳優になりたいという夢があるのです。旦那様のところからそういう学校に通わせていただけるのでしたら、夢はうんと近くなりましょう。」
私がふり返るとリアンは口元に両手を持ってきて、朝日を浴びたように目を輝かせていた。おそらく誰もが、このいたいけな少女のシンデレラストーリーを暖かく喜んでくれることだろう。
そんなふうに思いながら微笑み返した私の笑顔が、少しだけ引きつったのを敏感なジェームスは気がついたかもしれない。
私は見てしまったのだ。
顔を輝かせたリアンの、わずか13歳の少女の、その瞳の奥に宿った『野心』の光を・・・。
いやそういう私だって、かつてゴミ拾いからドアボーイに就くことができた頃、時おりそれを垣間見せていたのではなかったか。
いいだろう。
戦ってみろ。お前自身のポジションを手に入れるために———。
了