転生妄想症(1)
みんな口々にトラックにはねられただとか、電車に轢かれただとか、雷に打たれただとか、階段から落ちただとか、暴漢に刺されただとか言うのに、何一つ外傷が見られないことはずっと不思議に思っていた。ただ、これらを「ある種の妄想症状」以上のものとして扱おうとする医師が、果たしているだろうか。というか、いるべきだろうか。患者の精神状態はさまざまであるが、必ず自己認識の歪みが認められる。義務教育を終えたばかりの女子高生と主張する猫型ホムンクルスや、反社組織の長を名乗る幼女、ひどい時には中世の武将を名乗るアンドロイドまで現れた。私が所属している科の正式名称は「霊長目および自律意思保持有機生命体群のための精神・神経特殊専科」で、精神2科と呼ばれている。我々の診療対象はあくまで意思を持った"生物"に限られるため、ロボットは診れないと言うか、みる資格がそもそも、ない。
奇怪なことに、その手の患者は話す内容が妙にリアルで、正気のようなフリをするので正直処置に困っていた。「人類は月に探査機を送った」だとか、「アフリカの中央には砂漠が広がっている」だとか、「魔法なんてものはフィクションであり、実在しない」などに始まり、おおよそ「私は別世界から転生してきた」という趣旨の根も歯もない嘘を、ありありと語るのだ。別に俺が無知で怠惰なわけではない。と、俺は思っている。以上のような妄想症候について何度も文献を漁り、何度か学会発表を行った。真面目に勉強して、データベースを見直し、何か手がかりはないかと必死になって考えたが、学会の誰もその症状の特異性に関心を抱くことはなかった。でも、彼らはどこか何かが普通と違うような気がする。既存のものには当てはまることのない、何かを持っている。思い込みが特徴的で強烈ではあるものの、挙動や態度も一貫しており、聞かれたことにははっきりと、少なくとも文脈を崩壊させずに答えることができた。彼らの主張を「単なる病的な妄想」と言い切るには、あまりに自己矛盾がなさすぎるのである。何か我々のまだ知らない別の要因が、彼らにそのような妄言を言わしめているのだ。
だが現状、俺の仮説を決定的に裏付ける事実はないし、第一その事実が見つかったとしても、彼らを診療するのが非常に難しいことに変わりはない。堂々巡りの議論の後大声を上げ憤るもの、自分の主張が受け入れられないことに絶望しその場で泣きじゃくるもの、さまざまあった。殆どの患者は初回で、多少通院したとしても初回と同じような話をして、すぐに来なくなった。俺も多少投げやりになって、対話を諦めて薬だけ出して帰してしまうこともあった。本当に彼らは我々の知らない世界からやってきたんじゃないかと、思うこともあった。もっとも、そんなオカルトじみた言論を真面目な学会で主張する勇気はない。それに、そんな姿勢で患者を診るのは、医者としてあまりにも不誠実であるように思う。
ともかく心苦しさはあるが、いなくなった患者にいちいち思いを馳せていては精神科医など務まらないからすぐに忘れることを心がけねばなるまい。現代の科学・魔法の発展のめざましさに期待して、俺は俺にできることをやるしかない。今日は本当に天気も良く、冬にしては温度も快適で、診療もそこまで入っていない。何より明日は非番だから、午後は張り切って仕事をして定時に帰ろう。今日は久々にいい日になる気がする。"異世界転生妄想癖がある謎の患者"が来たとしても、一人くらいなら親身になって相談できるかもしれない。あ、でもいっぺんに3人とか来られたら絶対に対処できないな。それだけは確信を持って言える。
メディカル・サイレン(これが鳴ると、急患が来るぞという合図である)が、昼下がりの廊下に響いた。気を引き締めて、診療室へ向かう。
「…ユーオーディア、外で何かあったのかい」
「どうやら広域アウトバーン48δの敷島IC付近での自動車事故のようです。添付データを解析します」
「おい」
「解析中です。ちょっと待っててください」
「おい!君にデータが転送されるってことは、ここに患者が来るってことだぞ。ここは精神科だ!なんで自動車事故で精神疾患の患者を診なきゃいけないんだ!聞いたこともない!というかアンドロイドはうちの管轄じゃないだr」
「1次解析完了。患者は敷島IC近辺を走行していたトラックの荷台に搭乗しており、なんらかの衝撃を受けてトラックは破損、操作を失った結果壁に衝突。運転手は逃走し今も行方不明。患者の内訳はサピエンス雌1、半ホムンクルス雄1、精神移植型アンドロイド1、いずれも目立った外傷は確認できない、ただし…」
「メンタル口頭検査段階で重度の妄想症を確認。高濃度魔法暴露による精神障害を考慮されたい」
「……ちなみに、何と供述していたんだ」
「皆異世界からやってきたと主張しているようです」
ああ、これは、だめだ。淡々と状況説明を受けたが、状況が全く掴めていない。これは定時に帰るどころか、今日中に帰れるかどうかすら怪しくなってきた。
「2次解析完了。患者の容態は極めて安定かつ健常。精神障害をトリガーする特定の疾患も見られず、国際規定値以上の魔法暴露も見られない。緊急性レベルを緑に下方修正。患者は診察を希望。間も無く到着する模様です」
「…相変わらずガバガバの急患AIだな!ほとんど無傷じゃないか。救える命も救えないぞ、そんなでは」
「AIを目の前にして他のAIの悪口を言うのは、ブーヘンヴァルト条約の第9条AI人権予備規定に抵触する可能性があります。ハラスメントですからお辞めになった方が賢明です」
「うるさい!正当な批判だ!どうして自動車事故で搬送された患者、しかも無傷の奴を精神科に転送するのか!?何よりこっちは有機生命体しか診断できないはずなのになぜアンドロイドを診療によこすのか小一時間問い詰めてやろうk」
「来たようです」
診療室直通のエレベーターはまだ精神2科のある42階まで登ってきていないのに、何やら35階あたりからガヤガヤと騒ぐ声が聞こえてきて、だんだん大きくなる。エレベーターが42階に近づくほどに、やかましくなっていく…
「覚悟決めてください。あなたはお医者さんなんですから」
「…わかってるよ、はあ」
口論のように聞こえる喧騒と共に、エレベーターのドアが開いた。
「だから僕が先!」
「俺だろ!」
「いや儂が!」
「「「あ!!!!!!」」」
3人はやっと診療室についたことに気づいたようだ。
「皆さん落ち着いてください。皆様3人同時に搬送されましたので、名簿順に診療いたします。身分証明書はお持ちでしょうか」
「俺、多分持ってないな…」
「身分証明書って何?」
「身分は大名。見てわからんか」
「では身分証明書を持っていない、一人称が「俺」のそこのあなた。あなたから診療しましょう。」
「なんでー!ずっるーい!」
「大名を差し置いてこのような仕打ち、許せん」
「これ以上騒いだら全員帰ってもらいますよ」
看護AIのユーオーディアは、たとえ相手が精神を病んだ患者であってもいつも塩対応だ。もう少し対応を柔らかくしろと頻繁に言っているのだが、演算結果は間違っていないと言って憚らず、いつも毅然、あまりにも毅然とした態度で患者と接している。もちろんこんな場所で暴れられたらたまったものではないから、致し方ない対応だとは思うが…
「「帰る…場所……」」
アンドロイドとホムンクルスが顔を向き合わせる。
「僕の…帰る場所…帰る場所……無いよおおおお!」
「本陣にはもはや戻れぬ!おのれ家康…貴様がいなければこのような屈辱はなかったものを!無念なり…」
アンドロイドは機械のくせに目に涙を浮かべ、おそらく撥水加工されている腕で涙を拭いているためか、涙の滴が腕をつたって床にぽたぽた落ちている。ホムンクルスは立派な毛並みの耳を垂れ下げ、下唇…なのか?とりあえず、口の下部を噛み締めて悔しがっている様子。全くもって状況が掴めないが、何かかなりセンシティブなワードを口走ってしまったらしい。静かにはなったものの二人はかなり落ち込んでしまって、少し可哀想にも思えた。
「ユーオーディア、今のは流石に言い過ぎじゃないか」
小声で呟くと、ユーオーディアは素っ気なく返した。
「彼らばかりを気遣ってはあげられません。他の患者様もいらっしゃるのですから。それより静かになったのであなたは早く診療してください」
「……じゃあ、俺から頼みます」
「…わかりました。ではこちらにおかけになってください」
一人称こそ「俺」だが、見た目はどこからどう見ても女子高生である。グラデーションがかかった薄い水色の髪に、デコレーションの施された黒い眼帯。化粧は濃くはないが広範囲に及び、手が込んでいるといった印象。青系のアイシャドウに薄いピンクの口紅。耳についた大量の星形ピアスはなかなか重そうで、制服は水色を基調に大幅アレンジされている。そのたアクセサリーもじゃらじゃら付いていて、まとめると、俺からするとかなり、怖い。焼きそばパン買って来いとか言ってきそうなオラつきと、怒ったときは躊躇いなく包丁を構えて追いかけてきそうな危うさを感じる容貌である。その実在を確かめたことはないものの、いわゆる地雷系メイク、というものだろうか。でもこの身なりの割には、俺が学生時代恐れ慄いていたような人種の、いわゆる"覇気や勝ち気からくる近寄り難さ"のようなものが全く感じられない。むしろ非常におどおど困惑している様子が見て取れる。目線はずっと俺の膝に固定されていて、人と目を合わせることが苦手だった学生時代の自分を見ているようで、多少心にズキズキくるものがあった。
「あの…鏡ってありますか」
「ございます」
ユーオーディアは奥の方から手鏡をとり、”彼女"に手渡した。”彼女”は小刻みに体を震わせながら手鏡を受け取って、おそるおそる自分の顔を見た。
「嘘だあ…絶対…認めないからなぁ!!!」
さっきまでの内向的な態度からはおよそ想像できない大声。少しびっくりした。
「だから言ったであろう。おぬしは女子であると」
「僕たち信用ないんだね~」
「あ、ちょっと!まだ順番じゃないでしょ。戻ってください」
「儂らがいた方が説明が早いであろう。此奴はな、自分は男だと言い張っておったのだ。転生してくる前は男だったらしい。男にしては随分貧弱な性格であるが」
「男の子って言い張るのはちょっと無理があったねえ~。わかるけどさ、現実を認めなって」
「男だよ!体はもう女の子になっちゃったけど、元は男だったんだよ!信じてくれ…」
…完全に引っ張られている。まだこっちは何も本題に入っていないのに、彼らはすでに転生トークに花を咲かせている。何の説明もないまま提示された「我々は転生してきたのだ」なんていう素っ頓狂な前提を、俺と共有しているとすっかり思い込んでいる。ああ…折角の金曜夜のプランが、音を立てて崩れ落ちたような気がした。
「…わかりました。それでは、何か3人同時に診療した方が都合が良さそうな気がするので、一気に質問してしまいますね。精神3科のフリードリヒ・リンネと申します。まずあなた方のお名前と、ここにくるまでの経緯、そうですね、トラックの荷台に乗っていると気づいたところまでの流れを教えてもらえますか。まずはそこのお嬢さんから」