10 元いた世界へ
目が覚めるとそこは、むしろ見慣れた景色だった。
少し広めの土の地面で、周囲には木がまばらに生えている。さらに外にはコンクリートのビル群が、木とは比較にならない密度で林立している。
「確かここは……」
異世界帰りで若干記憶が混濁していたが、間もなく思い出した。ここは我が家の近くにある、遊具すら無い小さな公園だ。公園と言うよりは、むしろ大きな空き地と言うべきか。
暗さから見て、今が夜である事が分かる。ただこちらの夜は、向こうに比べて遥かに明るい。
「奴を探そう」
久しぶりの自宅周辺の地理を思い出しながら、私はあの老人を探す事にした。
結果として、奴はすぐに見つかった。私が殺されたあの場所に、まだテントがあったのだ。
「おや? お主は」
奴自身も、ちゃんとあの時のままの姿でそこにいた。
「この姿は、お前の側の世界にいた少女のものだ。そして私は、かつてお前にここで殺された者だ」
「では何故ここに?」
「方法なら、お前が私達に倒させたかった竜の心臓を使った。目的なら、お前に殺された恨みを晴らし、同時にこれ以上の被害者を出さない為だ」
そう言って私はおもむろに剣を構えた。
顔には出さないが、ようやくこの時が来たんだと、久しく感じていなかった歓喜の高揚感を覚えていた。
「ワシを殺す、とな?」
「ああ。もちろん、お前が神である事も、神を殺す術も心得ている。現に私は、あちらの世界で蜥蜴の神を殺した」
老人の表情がにわかに変わった。しかし、私の言葉がまだ信じきれないためか、行動にまでは移さない。
それならそれで良い。私はそのまま奴の胸に剣を突き刺した。やはり何かを貫いた感触は無い。
蜥蜴の神の時と同じく、神の存在の核を探り出し、それを根こそぎ食らう。
僅かばかり満たされた感じと共に、目の前から老人の姿が消えた。
「終わった、か……」
復讐は何も生まず、何も残らない。誰かがそう言っていた気がする。
今、私はそれを強く実感していた。
本当に、何も残らないのだ。自身を蝕む怒りも、命を燃やして誰かを恨むエネルギーも、何もかも。
全てを失った今の私は、かつて無いほど清々しく、安らかだった。
テントが、まるで初めから何も無かったかのように消えて、住宅街の隙間に一人取り残される形になった。
「じーーーーー」
何だあれは。
外の様子が見えるようになると、側の電柱の影から、誰かがじっとこちらを凝視していた。ちなみに、謎の擬音は本当にその人物の口から漏れ出ている。
よく見ると、その人物は後輩だった。彼女は何故か、見知らぬはずの私をじっと見ている。
「ねえ、そこの君」
唐突にに、電柱の影から声を掛けられた。
「……何か?」
復讐を成し遂げた達成感から頭がぼーっとしており、正直何もしたくない気分だったが、彼女を無視すると大変な事になる気がしたので、仕方なく応対する事にした。
「歩栄と言う人を知りませんか?」
赤の他人にいきなりそれを聞くのか。まあその無鉄砲な単刀直入さが、以外と取引先に好評だったりもしていたが。
「私はそんな名の男については何も知らない」
無論、歩栄とは赤の実質他人である私は、知ってはいるがシラを切る。さらっと失言している事に気付かぬまま。
「やっぱり何か知ってるんですね!?」
後輩は猛スピードでこちらに駆け寄り、いきなり私の肩を掴んできた。
「知らないと言ったはずだが……」
「その名前を聞いて男性だとすぐに分かる人は、先輩を直接知っている人だけです! さあもう言い逃れはできませんよ!」
相変わらず無駄にテンション高いな。でもこの声を聞いていると、ちょっとだけ帰って来たという実感が湧いてくる。
「分かった。話すからとりあえず離れろ」
「おっと失礼」
後輩と話しているうちに徐々に冷静さを取り戻し、今のこの状況がかなりまずい事実に思い至った。
何より今の私は、抜き身の剣を持ち、ボロ布のみを纏った、はっきり言って不審者そのものだ。そしてもしここで警察沙汰になれば、戸籍を持っていない事による更なる混沌は必至だ。
なので後輩に提言し、場所を変える事にした。
「……で、ここは?」
「はい、アタシの家です」
意気揚々とした態度で着いて来るようにと言われ、どこに連れて行かれるかと思いきや、直にお持ち帰りされたようだ。確かに外よりましではあるが。
部屋は随分と広い。部屋数が多いのではなく、いわゆるスイートルーム的な大きな一部屋の形だ。後輩は独り暮らしだと聞いた気がするが……
「さて、何から話そうか……」
それはさておき、ここに来るまでの間、私は彼女に何をどう語るかをずっと考えていた。困った事に、真実こそがどんな作り話よりも胡散臭い。さりとてどんな嘘を散りばめれば良いか、それも思い浮かばない。元々私は噓が苦手だ。
「さ。準備ができましたので、こっちに来て下さい」
「え? うわあぁ!」
その後にいとも容易く行われたえげつない行為は、もう二度と思い出したくない。
「うん。似合ってて良かったです」
「……」
「女の子なんですから、ちゃんと綺麗にしないとダメですよ」
さっきまでと違い、精神的ショックで放心状態だった私の体からはほのかに湯気が上り、小綺麗な女の子用の服を着ていた。
「……この服は?」
モルガンの体はかなり小柄で、今の後輩の体型とは明らかに合わない。しかし今私が着ている服は、それほどブカブカではない。
「アタシが昔着ていたものです。残ってて良かったです。はい、これどうぞ」
何気なく渡され、私は思わずそれを受け取る。
湯気が立つマグカップの中は、甘い香りを漂わせるココアだった。
ゆっくり一口啜る。暖かい。
妖精に転生してからは、食事から栄養を摂取できない身体になってしまったが、味や香り、そして熱を感じる事はできる。今はそれが素直に嬉しい。
「美味しい。ありがとう」
「くすっ、初めて笑ってくれましたね。さっきからずっと、まるで先輩みたいな仏頂面だったので」
そう言えば、最後に笑ったのはいつだっただろうか?