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この学園長室、普段はほとんど使われていない。
というのも、この学園の長は元老院の長である翁が兼任しており、行事や重要な会議で学園に来た時にしか使われないのだ。ゆえに、学園長室とは名ばかりで、もはや控え室的な役割だといっても過言ではない。
その学園長室に置かれた接待用の長ソファの中央に座るフェルナンド様。テーブルを挟んで向かい側の長ソファには、連れてきた少年を座らせる。私とナルはそれぞれフェルナンド様と少年の背後に立った。
「さて。自己紹介も済ませたことだし、本題に入ろうか」
「は、はい」
少年――ボリスと名乗った彼は、身体をこれでもかと縮こまらせる。元々華奢な身体がなお一層際立って見えた。
フェルナンド様はその様子を見て、すっと目を細めた。そして、背後にいる私の方へ振り向いてくる。
言わんとすることは分かった。しかし、ここで明言してしまうのは時期尚早だ。だから、ただ頷くだけに留めた。
「君がここに連れてこられた理由は分かるね?」
「はい。本当に……ごめんなさい」
ボリスは深く頭を下げた。
一方、フェルナンド様は微笑みを浮かべ続けている。そして、両手の指を組み、太腿の上に置いた。
「僕達は第二課長から依頼があって来たんだ。生徒の中に、不正な薬物を使用して元老院の職を得ようとしている者がいるってね。でも、それは君じゃない」
「……えっ?」
ボリスは驚き半分、戸惑い半分といった風で、探るような視線を私達に寄越してきた。
「この件は第二課長だけでなく、翁にも報告しなければならないんだ。だから、それは当然、正しい事実、真実でなければならない」
「私達の目を誤魔化し通せると思っているなら、それは大きな間違いよ。今すぐ認識を正した方がいい」
「これで何人も部下を抱えているからね。観察する力は他よりもあるつもりだよ」
「……っ」
他の課長達と歳が離れているため、課の長の中では実力不足に見られがちな彼だが、相手を見るということに関しては人事を司る第二課の潮様や諜報を司る第五課のレオン様にだって引けを取らないと思う。
そんな彼が、その大きな紺色の瞳でボリスをじっと見つめた。やましいことがある者は、大抵これですぐに視線をそらす。ボリスもそうだった。
「君は確かにこの箱を手に取った。それは事実だ。でも、君はその箱の中身を使えない」
「……」
「うん。賢い子だね。下手な言い訳をすることをしない。そうすれば、ボロがでてしまうこともないものね」
「……」
「庇っているのは誰? 君の今後が関わってくるのに、そんなにその相手は大事な方なのかな?」
「……し、仕方ないんです! 家同士の関係で、僕は逆らえないっ!」
フェルナンド様が矢継ぎ早に問いかける。
ボリスは拳を握りしめ、言葉を吐き捨てるように口から出した。
彼の言う通り、確かに人外の家格関係は人のソレよりも厳しい。第三課に入ろうとしているような家柄ならなおさらだ。
成り上がりやら下克上やらも、人の世であれば成功する可能性があるものが、人外の世界ではほとんど聞かない。その種族特有の力による歴然の差であったり、呪いや術式といった如何ともしがたい誓約による楔をうたれることもままある。
もちろん、失敗した段階で一族郎党に至るまで滅ぼされ、そこに慈悲はない。
「――逆らえないんじゃなくて、逆らわなかっただけでは?」
……あぁ。ナル。お前もか。
空気を読まず、なおかつ悪意の欠片もない発言はフェルナンド様だけで十分だというのに。
案の定、少年は背後に立つナルをキッと睨みつけた。怒りのせいか、それまで蒼白だった頬に赤みがさしている。
「貴方に何が分かるんですかっ!? そんな簡単にっ!」
「あ、いやっ、そんなつもりはなくて! ごめんなさい! ……でも、そんな関係なら、なおのこと主人を諫めるべきだったのでは?」
ナルは胸のあたりまで上げた両手をパタパタと振って否定するが、ボリスは完全に頭に血が上ったらしい。シャツの釦に手を伸ばし、手荒く勢いに任せてそれを一つずつ外していく。そして、シャツを下して横を向き、背中を露わにした。
「これを見ても同じことが言えますか?」
「……酷い。放置していたんですか?」
「いえ、治しても治しても、上書きされるように付けられるんです。逆らうだの、諫めるだの。そういうのは自分も十分な実力がある方だから言えるんですっ。僕にはそれがないっ」
そういう従属筋の話は、もう何度も聞いてきた。
中には、保護を求めて元老院に逃げ込んでくる者もいる。そういった場合、すでに重度の怪我を負っている場合がほとんどだから、まず先に第六課に連れてこられる。その時、普段と同じようにその時の状況も併せて聴取すると、涙ながらに語り始める者が圧倒的多数を占めるのだ。
私ももうほとんど第六課につきっきりだけど、本来は主家持ちの身。
だからこそ、分かることもある。
――ただ。
その場を離れ、部屋の隅に行く。そこには、レオン様が予算に計上して購入させたティーワゴンが置かれている。そして、さすがはレオン様御用達。私が準備することは何もなく、すべて自動で行われた。
貴重な予算で購入されている以上、あまり言いたかないが、確かにこれは便利。淹れることも楽しみたい時以外はこれもアリだろう。
「とりあえず、落ち着いて。この紅茶を飲むといいわ。すごく楽になれるから」
「……いりません」
「いいから。せっかく淹れたんだもの。もったいないでしょう?」
「……それじゃあ、一口だけ」
シャツを元通りに着なおさせ、ボリスに紅茶の入ったティーカップを渡す。
こくりと彼の喉が鳴って、きっかり呼吸十回分。
ボリスはネジの止まった機械仕掛けの人形のように動きをとめ、顔面から前に突っ伏した。紅茶の入ったティーカップを危なげなくさらう。彼自身は後ろにいたナルが腕を伸ばし、テーブルまであと僅かという所で受け止めた。
「――あの、星鈴? 紅茶に何を入れたの?」
「特殊な自白剤を少々」
「そんな、料理の時に言うような“調味料を少々”と同じ抑揚で」
滴下した自白剤の小瓶をふるふると振って見せると、フェルナンド様は苦笑を漏らした。
自白剤と一口にいっても、玉石混合。人が使うモノは証言にあまり信憑性がないことが多いから、急ぎの問題がある時しか使われない。
けれど、これは正真正銘の自白剤。第六課印で自白剤と銘打つからには、それを服用して発した証言は全て真実である。少なくとも、自白剤を飲まされた相手の中では。それが主観が入ったものかどうか調べるのは、その後の話。司法を司る第四課と、諜報を司る第五課の役目だ。
「本来は別の相手――主犯に使う予定だったんですが、この子もこのままでは厄介そうなので」
「またそんなこと言って。……彼、君が嫌いなタイプだもんね」
「そうですか?」
「うん。間違いないよ」
「まぁ……そうですね」
……本当、調子が狂わされるとはこのことだ。
にこにこと笑うフェルナンド様にそう言われてしまえば、こちらも認めざるを得ないような気がしてくるっていうのに。
一方、私達の会話に一人首を傾げたナルだったが、受け止めたボリスの身体をどうしたものかと逡巡し、そっと長ソファの背もたれにもたれかけた。




