7話
「それで?どうして僕の婚約者を断るのかな?」
終わって流したかった話題に戻されてしまった。
「私はデウス様のことを、好いていません」
「はっきり言うなぁ…僕のことを好きじゃないなんていう娘、初めてだよ」
「光栄でございます」
「君ね……」
最近、ルーミアの毒舌が移ってきたかな?とミリアは思う。
もっとも、肝心のルーミアには全く通用しないけれど。
「僕の何が不満なの?」
「何も」
「無いのに婚約してくれないの?」
「何も無いので、婚約したい気持ちもありません」
「王妃になれるよ?」
「体調がよくありませんので」
「それは、まぁ……そうだね。でも、その分は僕がサポートするから」
どこまでも食い下がるデウスに、ミリアはほとほと困り果てた。
ミリアは自由恋愛がしたい。自分の意思で相手を見つけ、自分の意思で相手を好きになり、そして自分の意思で相手と結婚したい。そんな考えがあった。
理想は白馬の王子様。といっても、本当のところはそんな理想は無い。
ルーミアに聞かれたときは、ただ世間一般的な理想像を語ったに過ぎない。
もちろん、目の前の本当の王子様が白馬にまたがったからと言って、好きになることは無い。
「…君って、ほんと昔から僕のこと好きじゃなかったよね。どうして?」
どうしてと聞かれたところで分からない。
昔のミリアがどう思っていたかはわからない。
けれど、今のミリアならこう言う。
「興味が無いんです。デウス様」
再び固まるデウス。
後ろで拍手するルーミア。
(もうほんとやだ……)
早く帰りたい。
早く帰って心の癒しをしたい。
今のミリアはただそれ一心である。
「それでは」
今度こそとデウスを置き去りにし、ルーミアと共にその場を去る。
今度はデウスは追ってこなかった。
***
夕飯を終えて湯あみをし、髪を整え終えるとミリアはベッドに横たわった。
「何なのかしら…」
今日のことに独り言ちてしまう。
「ルッツ様とデウス様のことでございますか?モテモテですね」
「勘弁してほしいわ…」
元婚約者にこの国の王子。
今のミリアにとっては二大厄介な男からの求婚だ。
「なんで二人して私に構うのかしら」
「お嬢様のことが好きだからじゃないですか?」
「やめて」
それは本当に勘弁してほしい。
「…あの二人って、モテないのかしら?」
「私調べでは、お二方は学園の二大モテ男でございます」
「……嘘でしょ?」
それは切実な間違いであってほしい。特にルッツは。
「マジにございます。もちろんデウス様は王子にしてこの国の王位継承者でございますから言わずもがな。そしてルッツ様も、見た目と鍛えられた体格、家も最近盛り返してきた伯爵位、普段はお嬢様に見せたような残念なお姿とは対極でございまして、優しく紳士的、それでいて女性をエスコートする余裕と力強さから、夜会では令嬢からダンスに誘われてばかりと」
「……前半は分かるわ。後半は誰の事?」
「ルッツ様でござます」
「別人という可能性は?」
「ございません。ミリア様のことになると相当影響があるようですね」
つまり、これからもミリアが見るルッツは、残念な姿しかないかもしれない。
残念な姿じゃない姿を見てみたい好奇心もあるが、それが叶えられそうにはない。
「そんな二大モテ男に求婚されたお嬢様は、明日から視線という名の針の筵にございますね」
「やめてよ…」
「なお、先ほど旦那様宛に王子から求婚の手紙が届いたという一報がございました」
「嘘っ!?」
思わず声が上がる。
「無い…と思うけど、お父様受ける気じゃないわよね…?」
「『本人の意思を優先する』とのことでございました。ついでに『殿下にもモテるとはさすがは我が娘!』と残念っぷりも披露していました」
そのついでの情報はいらなかった。
とにかく、無理やり家同士での婚約は回避された。
「…明日、学園に行くのが憂鬱だわ」
「休みますか?」
「……行く」
間違いなく面倒事が待ちかまえていると分かっていつつも、学園に行くのはミリア自身が決めたこと。それを破りたくない。
***
翌朝。
身支度を整え、屋敷を出る。そして馬車に乗り込…もうとしたところで、見覚えのない馬車が屋敷の門によこづけされている。ついでに、その馬車には見たことのある、今一番見たくない家紋があった。
「む、迎えに来た」
その馬車の隣で待ち構えていたのはルッツ。その顔には緊張の色がうかがえる。
まさか学園外でも関わってくるとは思わず、ミリアは唖然としてしまう。
ルーミアは涼しい顔だ。…問いただせば事前に聞いていたとか。
「なんで教えてくれないのよ!」
「敵前逃亡など乙女の恥でございます」
「どこにいるのよそんな乙女!それに逃亡じゃない!戦略的撤退よ!」
確かに事前に聞いていれば逃げ…いや、裏口から出たりとかしただろう。
しかしルーミアはそれが気に入らないようだ。
「ここで無理やり乗せられそうになるお嬢様を救出すれば、特別給付金がっぽがっぽでございます」
「ル~ミアぁぁ……」
もうやだこの侍女。
「…そんなに乗りたくないか?」
(出た、小型犬の瞳…)
うるんだ瞳がミリアを見つめる。
眉尻を下げ、上目遣いに窺うさまは見るものが視れば庇護欲を誘うだろう。
尤も、ミリアには通用しない。
「さて、行きましょう」
華麗に流し、侯爵家の馬車に乗り込む。
「給付金…」と名残惜しそうにつぶやく侍女はこの際無視である。
そうして走り出せば、ルッツの馬車もそれについてくる。
「…明日も来るかしら?」
「お嬢様が婚約するまで」
「……困ったものだわ」
何度来られたとしても、ロード家の馬車に乗るつもりはミリアには無い。
自由恋愛を望むミリアからすれば、間違っても朝、同じ馬車から降りる姿を見られようものなら一気に学園のうわさだ。それだけは断固拒否せねばならない。
「朝から憂鬱だわ」
「学園でも憂鬱だと思います」
「そうね…」
ちらりと、見えはしないがルッツが乗った馬車の方向へ目を向ける。
距離は事故にならない必要最低限の距離しか空いてない。
馬車から降りればすぐにでも近寄ってくるかもしれない。
「そちらだけではないと思います」
「ああ……」
そう言えばもう一人いたことを思い出した。
ルッツとは別の意味で厄介な人物だ。
……平穏な学園生活は望めないかもしれない、とミリアは盛大なため息をついた。
***
学園に到着しルーミアのエスコートで馬車を降り…ようとして、ルーミアのものではない手が差し出された。
その手が誰のものなのか、分かった時点でミリアの顔が引きつる。
「…おはようございます、デウス様」
「おはよう。さっ、手を」
まだ馬車の中にいるのにすでに視線が痛いほどに集中しているのが分かる。
これは筵どころではない、剣山だ。
そんな中でデウスの手をとれば何が起こるかわからない。
ミリアは自身の安全の為に、同じく手を差し出していたルーミアの手を取った。
「ありがとう、ルーミア」
「フッ」
鼻で笑ったルーミアに、デウスの頬が引きつる。
切実にやめてほしい。
(挑発しないでほしいわ…)
そこに、一歩遅れて到着したルッツも現れた。
その登場に黄色い歓声が上がる。
…どうやら昨日のルーミアの話はホラではなかったようだ。
それにデウスも気づく。
「やぁおはよう、ルッツ君。一緒ではないんだね」
「おはようございます、デウス様。ええ、エスコートを拒否されたあなたと同じく、ね」
瞬間、周囲に火花が散った。…ような気がした。
そして、二大モテ男がそろった光景に、令嬢たちの更なる歓声が上がる。
「やはり素敵だわルッツ様」
「顔はあんなにイケメンで、でもお身体も制服からもわかるくらい素晴らしくて…ああ、あの腕に抱かれてみたいわ」
「デウス様の、あの柔らかな笑顔を独り占めしたい…」
「ああ、あんな風にほほ笑みを浮かべながらにらみ合うお二方のなんて絵になること…!」
周囲の感想に、なるほど真実だったのかと頷く。
そして、今が脱出の時であると。
「…それにしても、なんであの二人がミリア様なんかを…」
「ルッツ様おかわいそうに…ルッツ様の傷ついたお心を私が癒してあげたい」
「デウス様…きっとあの女が父上に頼んで城の財布を握らせて脅したのよ。なんて卑劣な…」
その後の感想も言いたい放題である。
癒したいのなら存分に癒してあげてほしい。そのまま持って行ってくれるとなお嬉しい。
あと、お父様にそんなこと頼んでない。むしろ求婚されたのはこっちだ。
…と、さんざん言い返したいことがあったが、また余計な種になりそうなだけなのを悟り、ミリアは足早にその場を去った。
***
昼休み。
いつものように食堂へと立ち上がり、教室を出ようとしたところで二人の男と出くわす。
ルッツとデウスだ。
「食堂に行きたいので、用件は後にしていただけますか?」
「奇遇だね、僕も食堂に行こうかと思っていたんだ」
「お、俺もだ」
絶対に嫌だと断りたい。
朝から今に至るまで、教室…いや、学園の噂になっている。
ミリアは、ルッツ・ロードとデウス王子の二人から求婚されている、と。
それ自体は噂でも何でもなく事実なのだが、それを面白がって周囲が騒ぎ立てている。
それに疲れ果てたミリアにとって食堂は唯一安らげる空間になるかと思いきや、一層心労が上積みされかねない状況だ。
「はぁ……」
ついため息が漏れてしまう。
その様子を、周囲の生徒が遠巻きに、しっかりと噂していく。
「見てよ、噂は本当よ」
「なんであんな女にお二人が…」
「きっと金で力づくで従わせてるのよ、ひどい女」
(平穏な学園生活が……)
願ったものから遠ざかっていく。
一体どこで間違えてしまったのか、悔やむばかりである。
仕方ないと二人を連れ立って食堂へと向かう。
食堂に入れば、入ってきたメンバーに一瞬食堂のざわめきが止まる。
しかし、ざわめきの理由がその当事者たちとあれば、一度は止まったざわめきは前より静かになった一方、明らかにひそひそ話が目立つ。
その様子に、明らかに自分たちのことだと察したミリアは足早に空いた席へと向かう。
席の確保はミリア、料理を取りに行くのはルーミア。この分担が決まっていた。
そして、ルーミアが料理をもって戻ってくると、その後ろにルッツとデウスもいる。
もはや何も言うまい。
そう思い、ミリアは食事を始めた。
今日のルーミアのメニューはヒレステーキ。……のタワーだ。
それを1枚下ろして小さく切り、口に運ぶ。
無くなればまた次の1枚を下ろして切り…を繰り返す。
「いい食べっぷりね」
「お嬢様の分まで食べてますから」
「…私、その1枚の半分で十分よ」
「そんな!?お嬢様ならこのタワーを普段は二段は食べてるじゃないですか!」
「どこのお嬢様よ…」
その間もナイフとフォークは止まらない。
何枚重ねてあるのか?10枚では足りないだろう。
それなのにルーミアの食事のきれいさは、マナーを重ねた令嬢に匹敵するものがある。
驚くほどに音は小さいし、皿もほとんど肉汁で汚れてもいない。
やってることと見た目がそぐわない少女、それがルーミアだ。
そんなルーミアに、隣に座った男二人は顔を引きつらせている。
「見てるだけで胃もたれしてきそうだね…」
「……ミリアは平気なのか?」
「慣れましたので」
一方のミリアは胃に優しい、相変わらずの野菜スープにメインはチキンのトマト煮だ。
ナイフを当てただけでほぐれるほどに柔らかく煮込まれた鳥に、トマトの酸味がしみ込んでとても美味しい。
「ところでなんだけど」
ここでデウスが話を切り出してきた。
きっといい内容ではない。そう思いつつ、無視もできないので仕方なく応じる。
「何でしょう?」
「ミリア、今週末の夜会、デビュタントなんだって?」
「…………ええ、よくご存じで」
ミリアの夜会デビュー。
それが今週末の夜会で行われる。
通常、デビュタントは15歳に執り行われるものだ。社交界デビューである。
しかし、ミリアの場合は15歳は病気で寝込んでる真っ最中。
以降も参加することはできず、今に至っている。
しかし、まだミリアはダンスを踊ることはできない。
そこまでまだ体力が無いのだ。
なので、しばらくはダンスを踊らず、出席して話をすることくらいしかできない。
「エスコートは僕が…」
「俺がする」
瞬間、火花が散った。
エスコートのことを話し出したデウスに、ルッツが被せる形でミリアのエスコートを申し出てきた。
これに男二人がにらみ合う。デウスはにこやかに、でも背景は黒く。ルッツは強気ににらみつけ、背景は炎。
対照的な構図に、ミリアのため息は止まらない。
「では僭越ながらお嬢様のエスコートは私が」
「いやダメでしょう」
ありえないルーミアの提案にミリアが突っ込む。
いくらなんでも、侍女にエスコートを任せるわけにはいかない。
「旦那様に頼めばなんとかなりそうな気もしますが」
「お父様に言えば、『自分がエスコートする』って言い出すでしょ」
「それもそうですね。………特別給付金」
(やっぱりそっちか!)
どこまでもこの侍女である。
「やっぱりこれはカースタ侯爵に直接話をするしかないね」
「…くっ」
カースタ侯爵…ミリアの父に決断をゆだねれば、当然王子であるデウスが有利だ。
家格が低く、婚約を解消したばかりのルッツを選ぶ理由が無い。カースタ侯爵の心象が良くないのも相まって、なおさらだ。
というか、である。
「そもそも、デビュタントでは私のことはお父様がエスコートするって決まってるじゃない。ルーミアも覚えてるでしょう?」
「もちろんでございます」
娘溺愛の父が、デビュタントのエスコートを他人に譲るか。いや譲らない。
その言葉に男二人ががっくりしている。
こればかりは仕方ない。この二人のどちらかにエスコートされれば間違いなく噂になる。
しかもどちらであっても悪い方の噂に。
ルッツであれば、元婚約者となんて…と囁かれ、デウスとあれば王太子妃狙いだ…と。
この二人にエスコートを頼むという選択肢は、ミリアの頭には最初から無かった。