6話
王子からの追及があった日の放課後。
帰り支度を整え、教室を出たところで、一人の男が待ち構えていた。
「ミリア!」
「…大声で人の名前を呼ばないでくださいませ、ルッツ様」
ルッツだった。
元婚約者同士の邂逅に、否が応にも周囲の注目は集まる。
主人の望まない注目にルーミアが反応しないわけがない。
ギロッとにらみつけるとそそくさと退散していく。
「特別給付金1件追加っと…」
「…ドウモアリガトウ」
仕事熱心な侍女である。助かってはいる。助かってはいるが…何か釈然としない。
「ちゃんと理由を聞かせてほしい」
「………」
(この世界の男性は人の話を聞いていないのかしら?)
好きじゃなくなった。
興味が無くなった。
そう言ってるのにまるで聞き入れてくれない。
そもそも、だ。
「ルッツ、あなたは私にどうしてほしいの?」
「どう…って……」
「……まさか婚約を解消してほしくなかった、とでも言うの?」
「………」
これにも明確な返答が無い。
(面倒ねぇ……)
この一言に尽きる。
『ミリア』も、一体何を思ってこの男を婚約者にしたのか問いただしたい。
本当に見た目だけだったんだろう。見た目はいいし。
「はっきりしていただけませんか」
「それ…は…」
「………」
「………」
「…ヘタレ」
ぼそっとルーミアが呟く。
しかし呟くと言っても周りが静かになったので、ミリアだけでなくルッツにも届いただろう。
その顔に影がよぎった。
「…何も言えないなら時間の無駄ですね。失礼します」
いつぞやと同じくその隣を通り過ぎる。
そのままミリアは帰路に…となるはずが、今日は違った。
「待ってくれ!」
ルッツの呼び止める声。
振り返れば、さっきの影の顔は消え、はっきりとこちらを見ている。
「…何かしら?」
ついさきほどまでと違う、気迫のある顔にミリアは感心する。
ただのヘタレではないようだと。
しかし続けて出てきた言葉に唖然とする。
「君が好きだ」
「はぁ?」
「俺ともう一度婚約してほしい」
「はあぁぁ!?」
令嬢にあるまじき素っ頓狂な声にルーミアに脇を小突かれる。
が、そんな声を上げても仕方がない。
なにせ、婚約を解消した翌日に、解消した相手に告白され、婚約したいと言われたのだ。
(訳が分からない…)
しかし、婚約してほしいと言われたところで、ミリアにその意思はない。
今のミリアは、ルッツがお気に入りだったミリアではないし、今のミリアも、6年もの間見舞いにも来なかった男と婚約したいなどと思うこともない。
もっとわからないのはルッツだ。
彼自身、ミリアに対していい感情を抱いていなかったのは、全く見舞いに来なかったことから明らかだ。そんなルッツが、ミリアに好きだといったところで、その言葉に信ぴょう性があるかと言えば、皆無としか言えない。
しかし、そんなルッツがミリアに固執するとすれば理由は一つ。
ミリアが侯爵令嬢だという点。
伯爵家であるルッツからすれば、ミリアとのつながりを作ることは家の繁栄につながる。
しかし、それ目当てならば、ミリアの心は決まっている。そしてその返事も。
「そんなに侯爵家とのつながりが欲しいのね…」
どんどん心が冷えていく。
しかし、ルッツがそれを否定する。
「違う!家なんか関係ない!俺は君が好きなんだ!」
「あなたの『好き』のどこに信用があるのかしら?」
「それは…」
「いい加減にしてほしいわ。貴族なら、もう少し自分の発言に責任をもってちょうだい。場所もね」
「うぐっ…」
こんな学園の廊下で、好きだなんだと騒ぐ。
それだけで相当に品位を下げかねない。
ルーミアが野次馬を追い払ったが、それでもちらほら人影は見える。
明日にはまた新たな噂が広まっていることだろう。
「なら、どうすれば俺を信じてくれる?」
「あなたを信じなきゃならない必要が無いわ」
ミリアからすれば、もうルッツは婚約を解消した相手。
そのつながりをもう一度作る必要が無いのだ。
元々家同士で決めた許嫁でもなく、ミリア個人のわがままで生まれた関係だ。
しかも、その条件としてロード家へ援助までしていた。
ミリアにその意思が無ければ、カースタ家としてロード家とのつながりは不要だ。
「俺が君を守る!」
「ルーミアがいるわ」
「有難き幸せ。旦那様からの評価が上がり、私の給金も倍々でございます」
心から涙が出そうなほどに侍女の忠誠心が響く。
「俺がそんな女に劣るとでも?」
「劣ってますよ、ヘタレ」
今日もルーミアの毒舌は絶好調だ。
侍女相手に言われたことが悔しいのか、ルッツの顔に怒りがにじむ。
「なら、俺が勝っ…」
「せい」
「ぐふっ!?」
ルッツが何か言いかけたところで、ルーミアがその腕を取り、鮮やかに投げ飛ばした。
相変わらず、見た目にそぐわない鮮やかさだ。
「な、何が…」
「守るということはいつ何時、不測の事態などあってはなりません。決闘ごっこをするつもりはありません。お嬢様を守るということ、それをその程度の覚悟で行うなど、ヘタレ以下、カスにも劣る所業でございます」
「…だが、不意打ちなど!」
「襲撃者がわざわざ予告してくれると思いますか?わざわざ目の前に立って宣言してくれると思いますか?わざわざ開始の合図まで動かないでくれると思いますか?わざわざこちらの準備を待ってくれると思いますか?」
「………」
怒涛の言葉攻めに、ルッツはもはやぐうの音も出ない。
(そこまで考えてくれてるのね…)
ミリアもルーミアの言葉に感嘆する。
普段は冴える毒舌で主人をばっさり切り捨ててくれるが、しかし一方ではこれだけのことを考えて傍にいてくれる。
本当にありがたい存在だと。
「そして何より、お嬢様の護衛給金は普通の侍女業の3倍の手当てがつきます。それを譲るなどもってのほかです」
(…それでこそルーミアだわ)
やはりルーミアはルーミアだと色んな意味で感心していると、ようやくルッツが立ち上がる。
そこそこの勢いで投げ飛ばされていた気がするが、見た目通り鍛えているようで、タフなようだ。
「…じゃ、じゃあ荷物持ち…」
護衛から一気にグレードダウンしてしまった。
婚約者が荷物持ちとか、外聞としてやめてほしい。
「荷物くらい自分で持ちます」
「じゃ、じゃあ御用聞き…」
「不要です」
「水たまりのマット代わりに…」
「避けます」
「椅子代わりに…」
「椅子に座ります」
さっきの気迫はどこへやら。どんどん情けない姿に変わるルッツに、ミリアの目はどんどん残念な子を見るまなざしに変わっていく。ルーミアはゴミを見るような目だ。
(…というか、ルッツが言ってるのってかつてミリアがやらせてたことよね)
ルッツにはミリアがかつてやらせていたことが、ミリアの愛情表現だとでも思っているのか?
だとすれば相当に歪んでいるといえるが。
もちろん、ミリアはどれも結構である。
というか自分でできることは自分でやるスタンスだ。
どうしても出来ないことだけを、ルーミアに頼む。
ルッツがミリアを見上げる。
見上げる形になっているのは、ルッツが膝をついたからだ。
まるで、騎士が姫に誓いをするようにはた目からは見えるが、実際は違う。
まさしく懇願する犬のよう。
その瞳が、いつか見たチ〇ワのようなうるんだ瞳で、ミリアはついぐらっときてしまった。
(ダメよ、相手は犬じゃなくて人間なんだから)
もしかしてかつてのミリアはルッツのこんな瞳にやられてしまったのだろうか?
そう思いついてしまうほどに、その瞳の破壊力は高い。
高いが、負けてはならない。ミリアは踏ん張る。
「何と言おうと婚約し直すつもりはありません。さようなら」
ルッツをそのままに、ミリアは踵を返して門へ向かう。その背にぴったりルーミアが張り付き、なおも懇願するルッツを完全に遮断する。
「面白いね、彼」
いつの間にか隣に並んで歩いていたデウスが声をかけてくる。
デウスとミリアが会うのは今日、彼が固まって以来だ。
「面白くありません」
「君は、だろうね。周りはとても面白い」
「悪趣味ですね、デウス様」
「みんな、ね」
「ところで、何か御用ですか」
「いいや、特に」
「そうですか、ではさようなら」
「つれないなぁ。少しくらいお茶しない?」
「お断りします」
「ほんとつれないねぇ」
(なんなのかしら…)
あのチャラ男といい、ルッツといい、そしてこのデウスとまともと言いがたい男にばかり絡まれてミリアは辟易していた。
「6年も病気で寝込んでると、『あの』ミリアも変わるもんなんだねぇ」
「…………」
デウスの意図が読めない。
王子である彼が何故ミリアに話しかけてくるのか。
わからないからこそ、余計なことは言いたくない。
さすがのルーミアも王子相手では口を挟まず、沈黙を守っている。
それでいて、彼が隣で歩き始めてから刺すような視線がグサグサ来る。
デウスは未だに婚約者がいない、フリーの状態だ。
そんな彼の婚約者の座を求めて彼をつけ狙う令嬢は多い。
もちろん、この『いい』性格しているデウスがそんな令嬢にやられるわけがない。
そこでミリアは気づく。
今、ミリアの隣にいるのは彼の露払いの一計だと。
「人を虫よけに使わないでいただけますか?」
「あ、ばれた?」
デウスは悪びれる様子もなく認めた。
「私に被害が出ます」
「僕には無いよ。あ、そういえば最近君は婚約を解消したんだよね?」
「…それが何か?」
「僕の婚約者、狙ってる?」
そのセリフに周囲が殺気立つ。
その殺気をルーミアが見逃すはずもなく、それ以上の殺気を発生源たちに返した。
悲鳴を上げるもの、逃げるもの、様々だ。
「特別給付金一件っと…」
今日もルーミアは平常運転である。
その精神が非常に羨ましいと感じるミリアであった。
「全くもってそんなことはございません」
「あ、傷ついちゃうなぁ。僕、最優良物件だよ?」
「私には事故物件でございます」
「…変わったようで変わってないよねぇ。その言い方」
「そうですか」
そんなことを言われてもミリアは、前の『ミリア』をはっきり知らない。
精々噂の内容くらいだ。
だから、ぴんと来ない。
「覚えてない?君は前にも僕にこう言ったんだ。『見た目と態度が気に入らない』って。いやぁ、あの時はほんとショックだったんだよ」
「………」
『ミリア』の悪役ぶりは聞いていた。
しかしそれは、格下の相手ばかりのものだとミリアは思っていた。
しかしそれは根本から違うようだ。
『ミリア』は誰が相手でも『ミリア』だったようだ。
「それ以降は、絶対に話しかけてこないし。周りは『王子だから何も言えない』なんて言ってたけど、本当は違う。君は話しかけたくない相手は誰が相手でも無視する。ある意味凄いよ。君くらいだったよ、僕に話しかけられるのを拒否してた娘は」
改めて『ミリア』の我儘っぷりに驚愕する。
同時に、そんな『ミリア』のことを話すデウスに、恨みや怒りと言った負の感情が伴っていないことにも。むしろ、嬉々として話している。
「だから、ずっと気になっていたんだ」
「……え」
(…なんか、まずい…?)
話の流れに嫌な予感がする。
そこでようやくミリアは、デウスの目にルッツと似たような光を見た。
いつの間にか、二人…いや三人の歩みは止まっている。
夕焼けの赤が差し込む廊下で、美しい男女が見つめ合う。
「僕の婚約者になってくれない?」
「嫌です」
「…………」
「…………」
昨日に続き再び固まる王子様ことデウス。
一方ミリアは予想通りの展開に頭を抱えたい気持ちになりつつも、後ろで笑いをこらえてプルプル震えている失礼極まりない侍女に一発突込みを入れて、すぐにこの場を逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「では失礼します」
「ちょ、ちょっと待って!」
さすがにこの展開を予想していなかったのか、デウスは慌て気味にミリアを引き留めようとし、腕を伸ばす。
しかし、ここでルーミアがその腕を弾き…はせず、優しく、しかしがっしりと掴み、止める。
「お嬢様はまだ体調が万全ではございません。そのように不用意に触れる行為はおやめください」
「あ、う、す、すまない」
相手が王子であろうと、主人のためとあらば恐れず言い放つルーミア。
その気迫に、王子も謝罪した。
「いえ、侍女ごときが差し出がましい真似をしました」
腕を離し、頭を下げる。
そんなルーミアを見て、デウスは羨ましそうな目でミリアを見た。
「いい侍女だね。……本当に、いい『友』ができたんだね」
「…はい」
友。
そう言われてしまうと、なんだか照れてしまう。
ルーミアは侍女だ。けれど、互いにただの主従では収まらない繋がりが、この一年でできたと自負している。
「特別給付金…王子に楯突いたっと。これは給付金3件分ですね」
「………」
「………」
「………本当に『いい』友だね」
「………エエ、ホントウニ」
ミリアはどこか遠い目になっていた。