29話
「…これ以上は、もう出る幕は無さそうね」
部屋に戻ったミリアは、そう独り言ちた。
アーノルドとヴィオーネにはもう以前のような空気は無い。
たった1回の接触でここまで変わるかと思ったが、それだけ二人の置かれていた状況が影響しているのだろう。
「最悪の出会いだったからこそ…なんて、恋愛小説みたいね」
出来過ぎた恋愛劇に笑いがこみ上げる。
が、そこに水を差すのがルーミア。
「お嬢様も十分負けておりませんが?」
「………」
笑いは引っ込み、ルーミアを見返す。
いつもの侍女に変化は無い。
「何が負けてない…ですって?」
「なんでしたら私がお嬢様の此度の経緯を一本書き上げましょうか?その辺の劇作家に売りさばけばいい値で買ってくれそうです」
「あなたねぇ…」
主人の恋愛譚を売りさばこうなど言語道断。
が、ここで言われっぱなしでは女が廃る。
「そういうルーミアはどうなのよ?あなたこそ、もう年頃じゃない」
「目星はついておりますので」
「えっ、嘘!?」
まさかの発言に、話を振ったはずのミリアの方が動揺していた。
あのルーミアのお眼鏡に適う人間がいるのかと驚いてしまった。
「いずれの方も大金持ち。ですがまぁ、1、2年もすれば未亡人になってしまうのでしょうし、それは仕方ないですね。ええ、仕方ありません」
「………」
何を言わんとしているのかを察したミリアはそれ以上はやめた。
本気かどうかは分からないが、どっちであっても首を突っ込まない方がいい。
そう判断した。
***
それからの月日はあっという間だった。
各々がおのれの目指すべき道に向けて邁進する。
当然ミリアもその例にもれず、病気で衰えた体を日々元に戻す。
それは、夫人としての役目を考えたときに自然と出た答えだ。
跡継ぎ。
回復の経過を医師に診断してもらったとき、ミリアはその話をしていた。
医師の話では、このままでは出産に耐えられる体力があるかどうか五分五分という判断だった。
未だ手足の細さが際立つミリアは、全体としてやせ過ぎの印象だ。
女性らしいふくらみはあれど、それが逆にそれ以外の細さを際立たせている。
子作りに適した体にしていく。
それが今のミリアの役目。
それを嫌と思う気持ちは無い。
前世では選択する余地すらなかった。
今は、選ぼうと思えば選べる。
そのことがたまらなくうれしい。
それが、愛する人のためならばと思えば猶更。
「ねぇルッツ」
「どうした、ミリア」
午後のロード家の庭園。
いつものようにティータイムを楽しんでいた二人。
そこにミリアは爆弾を投げ込んだ。
「子供は何人欲しいの?」
「ぶほっ!!」
唐突の問いにらしくも無く咽かえるルッツ。
「と、突然どうしたんだ!?」
「突然じゃないわよ。当たり前じゃない」
何を言っているんだこの男は、という目線を送るとルッツは気まずそうに視線を外した。
が、すぐに顔を戻し、そしてミリアの表情が真剣であるとわかると表情を引き締めなおした。
ミリアは自身の下腹部を見下ろし、そっと手を当てた。
「…ルッツも覚えているでしょ?一度、この身は『死んだ』のよ」
一度は死して、蘇ったこの身体。
そんな身体が、あらたな命を芽吹かせることができるのか、その不安があった。
ミリアを診た医師はそのことも知っている。
…医師はそのことには触れなかった。
あくまでも、通常の女性としてミリアを診て、その上で五分五分という判断だ。
……それだけに、余計に不安も募る。
下腹部に添えた手に、ルッツの手が重なる。
「ミリア、俺は…」
「ダメよ」
ルッツの言葉をミリアは遮る。
何を言わんとしているのかは分かる。
だからこそ、それを口にしてほしくはない。
「夢…なの」
「……夢?」
「私は……何もできずに死んでしまったの。恋人を作ることも、愛することも、愛されることも……我が子をこの腕に抱くことも」
ミリアの前世は、何もできずに終えた人生だった。
後悔しかない人生だった。
病室で一生を終えた彼女の痕跡は、病院のカルテしかない。
もうあんな悔しい思いはしたくない。
それが、ミリアとして生まれ変わった彼女の、何よりの想い。
「だから……」
顔を上げ、ルッツを見上げる。
もう後悔はしたくない。
例え……
「あなたと、私の……子供が欲しいの」
切なる願い。
何としてでも叶えたい願い。
もしかしたら……耐えられないかもしれないという不安もある。
それでも……ようやく愛することのできた人との、残せる何かが欲しい。
その願いを語ったミリアの顔は、今にも泣きそうだった。
「…ん……」
降りてくる彼の唇を、抵抗なく受け入れる。
ミリアの不安を宥めるかのような口づけに、表情は和らぐ。
そっと離れる唇。それをミリアは自然と目で追ってしまった。
「分かった」
もうそれ以上は言わないと、固く表情を引き締めたルッツに、ミリアは今更ながらになんて残酷なお願いをしてしまったんだろうと気づいた。
それでも…ただ生き長らえるだけの人生にはしたくなかった。
椅子から立ち上がったルッツは、その手をミリアに向かって差し伸べた。
自然とその手に自分の手を載せたミリアは、後になって何故を手を差し伸べられたのかが分からなかった。
「走るぞ」
「えっ?」
唐突なルッツの提案に、ミリアはついていけない。
何故今の話から走るにつながるのだろうか。
「今のままでは危ないなら、もっと鍛えればいい。ならばまずは走り込みだ、ミリア」
「え、ええ、それはそう、ね。だから毎日ダンスで…」
「そんなものじゃ足りない。もっとだ。もっと鍛えればいい」
そう言い放つルッツの眼に、どこかデジャビュを感じた。
あれはそう……アーノルドを鍛えると言い出したとき。
「お、お手柔らかにね…?」
「5人は欲しい」
「ご、5人!?」
まさかの数にミリアの顔が引きつる。てっきり一人か二人と思っていたが、ルッツの希望はかなり多かった。
(私から言い出したことだけど……逆にルッツに殺されそうな気がしてきたわ)
遠い目になってしまい、自分の発言に別の意味で後悔し始めていた。
しかし、本気になったルッツはもう止められない。
「その恰好では走りづらいな」
「え、ええ、それはもちろん。だから…」
「仕方ない、今日は既製品で対応しよう。さぁ仕立て屋に向かうぞ」
あっという間に馬車の手配を指示したルッツに、もう逃げられないことを悟ったミリア。
(……子供の前に殺されそうだわ)
***
そしてカースタ兄妹揃っての特訓が始まった。
トレーナーはもちろんルッツ。
ちなみに観客には何故かヴィオーネ。
「本当になさっているのね……」
一人中庭に設置された椅子に座り、ルッツに走らされるカースタ兄妹を見やる。
そこそこ走りなれたアーノルドと違い、ミリアはまだまだそんな体力は無い。
…令嬢がしてはいけない表情をしているミリアはもう見ないことにした。彼女のためにも。
ちなみにミリアの隣には万全のサポートのためルーミアが並走している。
平然とルッツを投げ飛ばし、大食漢の彼女はこの程度の運動は造作もない。
「…………」
「はい、限界でございますね」
何も言えずに倒れかけたミリアをルーミアがサッと支える。
ヴィオーネはやりすぎでは?と思うも、何故か今のルッツに声を掛けると巻き添えを喰らいそうな気がしてやめた。
賢明な判断である。
というか仮にも客人であるヴィオーネが一人放置されている状況もいかがと思うところだ。が、彼女自身はトレーニングに励むアーノルドが見られるのでそれで良しであった。
「ひゅー…ひゅー……」
呼吸もおぼつかないほどに疲弊したミリアが、背もたれをそこそこに倒した長椅子に寝かせられた。
呼吸が整うまでの間、浮かんだ汗をルーミアが丁寧に拭き取る。
態度はでかいが、仕事は繊細な侍女である。
「……ねぇ、ルーミア」
呼吸が落ち着いたミリアは、隣で介護する侍女に尋ねる。
「何でございましょう?」
「…私、子供が欲しいって言ったの…」
「左様でございますか」
「そうしたら……走るって言われたの…」
「左様でございますか」
「死ぬかと思ったわ…」
「左様でございますか」
「このまま…殺されないかしら…」
「左様でございますか」
自分で言いだしたことだろ、と目で言う侍女の反応はぞんざいだ。
そこにルッツも近づいてきた。
また別のメニュー!?と身構えるミリアに、ルッツはそのまま近づき…
「頑張ったな」
ミリアの額に優しくキスをした。
「うん……」
ちょろい。
そのちょろさに今度時給アップを願い出ようかと考え始めたルーミアだった。