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26話

休日の今日。

ミリアは珍しく出かける準備をしていた。

先触れは出した。

初めて訪れる場所に、緊張が高まる。

そして、今日はミリア一世一代の大仕事となる。

それを行うことも考えるとさらに緊張は高まる。


「お嬢様、まるで死にかけの魚のように固まっておりますよ」

「もうちょっといい例えは無いかしら?」

「では死に伏した虫のように固まっております」

「悪化させてどうするのよ…」


ルーミアの軽口に反論するもキレが無い。

先触れを出した場所から、その緊張の理由をルーミアは察する。

そしてその過度の緊張から何かをしようとしていることも。

もちろんルーミアも同行するが、ミリアの口からは何をするのかは言われていない。

ルーミアにも言わないということは、『それ』は確実に自分で成さねばらならないことだと分かっているからだろう。

ついに覚悟を決めたかとルーミアは安堵にも似た感情を抱いた。


そして肝心のミリアはもう誤魔化しはできない状況を作った。

その一歩は、昨晩に行った父・カースタ侯爵との対談だ。



***



「本気…と受け取っていいんだね?」

「はい」


父の確認にミリアは力強く頷く。

きっかけにされた彼女は不本意かもしれないが、ミリア自身今の状況をどう変えていいか分からなくなり始めていた。

もはやただの意地だったのかもしれない。


「…だが、アーノルドに可能性無しと見れば次の後継者はミリアだ。その場合はどうするのかね?」

「その心配は不要です」

「ほう?」


ミリアは父の言葉を不要と断じた。

それに、父は面白そうに口角を上げる。


「ルッツが、お兄様は化ける…そう仰ったからです」


真剣なまなざしでそう告げるミリアに、父は一瞬呆気に取られる。


『ミリア』がミリアに生まれ変わったとき、ミリアはルッツとの婚約をためらう素振りすら見せずに解消することを父に望んだ。

まるでルッツに興味などない、そう言わんばかりの態度だった。


それからわずか数か月。

こうまで彼の言葉を信じている…それほどまでにミリアが彼を信頼していることに、父はわずかに嫉妬を募らせた。


「本当にそう思うかね?」

「思います」


父も、ルッツがアーノルドに特訓をつけていることは知っている。

それから、文官としての仕事の成果、特に人間関係に変化が表れていることも。

いずれ、良い伴侶にも恵まれるだろう。

だから、アーノルドは跡継ぎになれる。

そう論ずるのが普通だ。

だがミリアは違う。

ルッツが言った。

だから信じる。


わかりやすいほどの信頼関係だ。

相手の言葉を疑う様子は微塵も無い。


だからこそ、ミリアは本気だ。

それが先の言葉に通じる。


「…いいだろう。ミリア、君の覚悟を君自身で伝えてきなさい」

「ありがとうございます、お父様」


ミリアが部屋を出ていった。

その扉が閉まるまで、父は娘の背中を見ていた。


いつから彼女はこんなにもたくましくなったのだろうか。

彼女が病床からよみがえったとき、強い娘だとは思った。

自ら明かさなくてもいいはずだった真実を明るみにし、けれど両親を騙したくないという彼女の誠実さ。

それを明らかにしたことによる拒絶への恐れを、立ち上がることすらできない弱り切った体にも拘わらず払拭し、語ったその強さ。

しかし、その強さは一方で『諦め』という境地が支えている。

最悪、『諦めてしまえばいい』という心境が見えていた。

彼女はすでに一度死している。

だからこそ、生への執着が強いと同時に、死への恐怖が無い。

恐怖が無いから、容易く『諦める』ことができる。

『死』から来る強さ。そして、『死』がもたらした誠実さ。

それがかつての彼女がもっていた強さだ。


しかし今は違う。

彼女は…娘はもう『諦めない』。

諦めることを拒んだのだ。

もし仮に、父が娘の覚悟を拒んだとしても、もう娘は諦めない。

諦めるつもりが無いことが、その瞳にしっかりと刻まれている。

そこまで娘を変えた彼の存在を、父は感謝すると同時に妬ましく思ってしまう。

これが娘を持つ父の心境か…と今更ながらに感じていた。


「この館も……また寂しくなるな」


父の独り言に、静かに控えていた執事長も黙ってうなずく。

『ミリア』が元気なころはいつも貴族貴族と口やかましいアーノルドと喧嘩ばかりしていた。

しかし、『ミリア』が病床に伏してからはアーノルドの屋敷内での口数も減り、両親も口数が乏しくなり、静かになってしまった。

けれど、ミリアが蘇り、以前と違い使用人とも快く接する彼女に屋敷内は徐々ににぎやかになっていった。

それがまた消えてしまう……寂しいことだ。


「アーノルドの伴侶に期待…だな」



***




そんなやりとりから翌日が今日である。


準備を整え、馬車に乗り込んだミリアはルーミアとともに目的地へと向かう。

道中、初めて向かう場所、これからの自分の人生の決断を宣言する場所への緊張がピークに達していく。

そんな主を見かねて、ルーミアがミリアの手をそっと握り込んだ。


「ルーミア…」


親愛なる侍女の心遣いに、ミリアはふっと顔を和らげ…


「いたたたたたたた!?」


突如走る痛みに悲鳴を上げた。

見ればルーミアの手がミリアの手の甲をつまみ上げている、

これは痛い。


「何なのよ?!」


振りほどき、つねられた手を撫でる。

睨みつけても肝心の侍女はどこ吹く風。


「大丈夫ですよ、お嬢様」

「ルーミア…」

「大丈夫です」


ルーミアには今日行く場所のことしか知らせてはいない。

何故行くのかは言ってはいないのだ。


「ありがとう、ルーミア」


けれど、それを察して励ましてくれる侍女には感謝しかない。

今度はミリアがルーミアの手を取る。

だが…


「あいたたたた!!」

「結構痛かったからお返し」


そして同じく手の甲を抓った。

さすがのルーミアもこの痛みには悶え、表情を曇らせた。

この侍女の無表情以外の表情は久しぶりに見るような気がした。


(でも……ありがとう)




そんな馬車の一幕が終焉を迎えるころ、馬車は目的地に到着した。

その場所は…ロード家の屋敷。


馬車の扉が開くと、スッと男性の手が見える。

見慣れた手。その手に自らの手を乗せ、ミリアは馬車を降りた。


「いらっしゃい、ミリア」


満面の笑みでミリアを出迎えたルッツ。

彼の自宅でもあるだけに、その恰好は普段カースタ家に来る時よりもずっとラフだ。

しかしそのラフさが、普段見慣れない彼だけに少しドキっとしてしまう。


「急でごめんなさいね」

「君の来訪ならいつでも構わないさ」

「あら、じゃあ深夜にでも訪れようかしら?」

「使用人は寝ているじゃないか。俺だけに出迎えてほしいと?甘えん坊だな、君は」


そう言うルッツの顔はこの上なく甘い。

ルッツにエスコートされ、ロード家の屋敷に足を踏み入れる。

そこにはロード家の使用人が待ち構えており、歓迎のあいさつを受けた。

そのまま、応接室へと移る。


応接室に備え付けられたソファーに座ることを促されると、当然のように隣にはルッツが座る。


「急にどうしたんだ?今日は」


ミリアがロード家の屋敷を訪れたことは無い。

今回が初訪問だ。

それも、先触れは出したが事前にルッツに伝えていたわけではない。

自身に何も言わず、先触れを出して来訪してきたことを不思議がっているようだ。


「決めてきたことがあるのよ」

「決めてきたこと…それは今日の君の格好と関係があるのか?とてもよく似合っている」


そう言いながら、髪を一房手に取ると口づけてきた。

そんな気障なことがさらりとできるようになったルッツに改めて驚き、そして少し照れの気持ちもありながら、ミリアはルッツを見据えた。


「ミリア?」


普段とは違う、その強い眼差しにルッツは驚いた表情になる。


ついにその言葉を口にする。

何も恐れも不安も無いはずなのに、それでも口は真一文字に引き締められ、すぐに出てこない。

いつも彼が口にする言葉なのに、いざ自分が口にするかと思うと引き出せない。


そんなミリアから何かを察したのか、ミリアの手をルッツは優しく自分の手で覆った。


「大丈夫だ」


何が大丈夫なのか。

何がわかったというのか。

普段ならそう問いたいくらいなのに、今はその言葉だけでミリアの心がスッと軽くなった。


(あぁ……私は、もう……)


彼の言動一つでこうも心が動く。

今の自分が、どれほどルッツを想っているのかがよくわかる。

だから……紡ぐ言葉にもう、不安は無い。


「好きよ、ルッツ」


やっと言えた、その言葉。

今のミリアの、素直な言葉。

自身の感情の、赴くままの言葉は、口にした自身にすら温かな気持ちを呼び起こす。


それに対しルッツは一瞬驚きの表情に変わるも、すぐのその表情を緩める。

どころか、緩めすぎて少しだらしないところにまで来てしまっている。

これではせっかくの美貌も台無しだ。

そんな、喜びが表情が表れ過ぎたルッツにミリアは笑うしかなかった。


「嬉しいのは分かるけど、もうちょっと引き締めて頂戴?」


そう指摘され、ようやくルッツは自分がどれほどだらしない顔をしていたか自覚した。

が、次の瞬間にはまた緩んでいくのだから仕方がない。


「ほら、また」

「仕方ないだろう。ようやく君の口からそれが聞けたんだ。うれしくてたまらないんだ」

「ダメよ、そんな顔ばかりじゃ私、嫌いになっちゃうわよ?」

「それは困るな」


困ると言いながら、もう表情を直そうとしない。

ミリアの言葉が口だけだということは分かっているし、嫌われるとは微塵も思っていない。


「ようやく聞けた」


ミリアの顎に手を添え、二人の距離が狭まる。

ようやく思いが通じ合った二人を、遮るものはいない。

二人ともに目を閉じ、さらに近くなる。


「ん………」


どんなに手や肩、腰に触れようとも許されることのなかった場所。

唇。

ようやく触れることを許された男、許した女。

そんな二人の初めてのキスは、初めてらしくわずかに触れる程度。

数秒で再び距離ができるも、離れた時間は長く続かない。

すぐにまた触れ合うと、今度はさきほどよりも長い。

けれど、想いは通じてもまだ二人は学生、それに家の許可は正式に降りていない。

ルッツは自分に湧き上がるオスとしての本能を理性で抑え込み、さらに深い口づけを望む自身を縛り付ける。

ミリアの頭に回したくなる手を、ミリアの手を優しく握ることで抑えつける。

再び離れ、見つめ合う二人はお互いに笑い出す。

零れるような笑いは、とても幸せを感じている証拠だ。


「ねぇルッツ」

「どうした?」

「私、今すごい幸せなの。まだ結婚してないのに」

「俺も幸せだ。これ以上幸せになるのかと思うと恐ろしくすらある」

「じゃあやめようかしら?」

「俺が離すとでも?」


ミリアの冗談に、ルッツは笑みを一転。

獰猛な、獅子のごとき瞳でミリアの瞳に映る自分を見る。

その瞳に魅せられたミリアは、一際高鳴った鼓動、そして一気に紅潮する顔に心を一瞬失ったような感覚に襲われる。

心をわしづかみにされた。

そんな表現がまさに今自身を襲ったと他人事のように感じながら、もうこの人からは逃げられない、逃げたくないと悟った。


「離さないで頂戴?」

「もちろんだとも」


ミリアの腰に回された手が、身体ごとグイッと引き寄せられる。

ルッツの体に手をかけなければいけないほどに引き寄せられれば、その手から伝わるルッツの体の逞しさにまた鼓動が早くなる。


(見た目も中身も……こんなにも男らしい…)


初めての印象はまるで子犬だった。

しかし、今は欲しいものは力づくで手に入れる、獰猛な獅子だ。

こんなにも変わってしまったと、ミリアは感動すらしていた。


「ミリア…」


彼に名を呼ばれるだけこんなにも鼓動が高鳴る。

想いを自覚し、伝え、想い合えただけでこんなにも変わってしまう。

名を呼ばれて顔を上げると、間髪入れずに唇をふさがれた。

それに驚きはなく、嫌悪など微塵も無い。

むしろ自分の体の一部が戻ってきたかのような安心感すらあった。

わずか三度のキスで、こんなにも受け入れてしまう。

前世ではそんな表現は山ほど読んできた。

しかし、前世の彼女からすれば唇以外なら患者としての立場上、身体を見せる・触れられることは日常茶飯事だった。

今更唇くらい……そう思っていた時期もあった。


そう思っていた自分に、この感動を伝えてあげたい。

こんなにも素晴らしいものなんだと教えてあげたい。


離れる唇に寂しさを覚えつつ、言葉を紡ぐことを許された唇で、想いを告げる。


「好きよ、ルッツ」


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