13話
「ミリア、迎えに…」
「お嬢様、手を」
「ありがとう、ルーミア」
カースタ家の朝の日常。
迎えにきたルッツを無視し、カースタ家の馬車に最初にルーミアが乗り、そしてミリアをエスコートする。
「懲りないわね」
「お嬢様があちらの馬車に乗れば万事解決でございます」
「嫌よ」
「即答なさるお嬢様、素敵です」
相変わらずの主従である。
「…どうして彼は私に付きまとうのかしらね」
「お金です」
「…断言したわね」
この侍女の頭の中にはお金しかないんじゃないかと、本気でミリアは心配になってきた。
「地位ですか?」
「それが一番妥当だと思うのよね」
これでも侯爵令嬢。ミリアと結婚すれば侯爵家とのつながりができる。
指折りの資産家であり、地位もあるとなれば人気でないわけがない。
現に今も、数えきれない縁談が舞い込んでくる。
ルッツが婚約を迫り、デウスが求婚状態であるにも関わらずだ。
それでも可能性にかけて縁談を申し込んでくる。
…そこに「ミリア」はいない。
彼らが求めるのは、「侯爵令嬢」と「資産家の娘」という肩書のみ。
だからこそ、ミリアは縁談をすべて断り、むしろ父が読ませることなく捨ててすらいる。
一方で、ミリアに直接接触しようとする者はいない。ルッツとデウスを除いて。
それが、自分が求められているわけではない、とミリアの考えを歪ませている。
その考えがあるからこそ、ルッツもデウスも自分を求めているわけではないと決めてかかっている。どんなに甘い言葉を掛けられても靡かないのはそのせいだ。
だから二人の求婚をすげなく断り続けている。
「…誰か、私を見てくれる人はいないかしら」
ミリアのつぶやきに、ルーミアは彼女が生まれ変わりだということを思い出す。
ルーミアはミリアが『ミリア』ではないことを知る数少ない一人だ。
そのルーミアだからこそ、彼女のつぶやきの本当の意味を知る。
ルッツ、そしてデウスが知るのはミリアではなく『ミリア』だ。
今の彼女を見てのことではない。
しかし、それは仕方がないことだ。別人であると告げたところで理解してもらえるわけがない。
馬車が学園に着き、停止する。
ルーミアのエスコートで馬車を降りればそこにはデウス…ではなく、フィーネが待ち構えていた。
「御機嫌ようですわ!ミリア様!」
気合たっぷりといった感じの朝の挨拶に、ミリアはつい気圧されてしまった。
どこに学園の門で仁王立ちで待ち構える令嬢がいるだろうか。ここにいる。
「…御機嫌よう、フィーネ様」
少しぎこちない微笑みで挨拶を返す。
それに納得したようで、さっとミリアの隣に並んだ。
「友人たるもの、朝の登校はご一緒いたしませんと」
「はぁ…そうなんですか」
「そうなんですの!」
昨日友人認定したと思ったら、いきなり友人らしい行為を始めたフィーネ。
そんな二人に当然周囲はざわめく。
なにせ元王妃候補と現王妃候補。その二人が仲良く(?)並んでいるのだから、話題にならないわけがない。
…ちなみに、その二人の少し離れたところで接触する機会を逃したルッツがとぼとぼと歩いている。
「今度の休日、予定は空いてますの?」
「私?」
「あ・な・た以外に誰がいるっていうんですの!?」
(テンション高いなぁ…)
何故彼女はこんなにもテンションが高いのかと疑問に思いつつ、ミリアは予定を振り返る。
「特にありませんわ」
「そう!なら我が家に来なさい。一緒にお茶しましょう!」
突然の誘いにミリアの動きが止まる。
「美味しいお店のお菓子が予約できたんですのよ。一人で食べるのはもったないので、是非あなたに…あら?」
一人だけ先に進んでいたフィーネが、いつの間にか隣にいない友人に気づいた。
「ちょっとミリア様、何立ち止まってますの?」
先で待つフィーネが目に入らず、ミリアは後ろの侍女に振り返った。
「ねぇ…ルーミア」
「はいお嬢様」
「私……誘われた?」
「ええ、誘われました」
「嘘じゃない?」
「幻聴ではございません」
「夢じゃない?」
「夢ですか?」
「いっ…た!!」
いきなりルーミアはミリアの手の甲をつねり上げた。
結構痛い。
「痛いじゃない!」
「夢じゃありませんね」
「ちょっと!何なさってますの!」
いつまでも来ない二人に痺れを切らしたフィーネが歩み寄る。
そんなフィーネにミリアが詰め寄った。
「フィーネ様!」
「な、なんでございますの?」
ミリアの変貌にフィーネもたじろぎ、その顔に若干の動揺が浮かんでいる。
それも気にせず、ミリアは顔を寄せた。
「心して!行かせていただきます!」
「え、ええ、お待ちしてます、わ…」
ミリアの鬼気迫る表情に、さすがのフィーネも動揺を超えて若干恐怖を感じている。
「ルーミア!」
今度はくるりと180度方向転換。
いつも冷静な侍女が主人の変貌ぶりに呆れた表情を浮かべている。
そんなルーミアにミリアが手を伸ばす。
ミリアの突き出した手が何を意味するのか理解し、ルーミアはその手に自分の指を絡ませた。
「私、誘われた!」
「ようございました」
「行くって、返事しちゃった!」
「ようございました」
「どうしよう、何を着ていけばいいかしら!?」
「お嬢様、そろそろ残念さが滲み出るどころか溢れ出てますので周りを見てください」
「えっ!?」
ようやく自分を取り戻したミリアが周囲を見渡すとそこにはミリアの奇行に呆れやら意外やら残念やらいろいろと混ざった視線。
「……それではフィーネ様、後程」
「え、ええ」
フィーネに別れを告げ、ミリアは足早にその場を後にした。
恥ずかしさで顔どころか耳まで真っ赤にし、しかしその表情は嬉しさがにじみ出ていた。
***
「ねぇ、今度僕とお茶しよう」
「嫌です」
放課後。帰宅の為に廊下を進むミリアとルーミア。
颯爽と姿を現したデウスが、何を思ったのかミリアをお茶に誘ってきた。
それに即断するミリアの切れ味は鋭い。
「え~?フィーネ嬢とはお茶するのに?」
「そのフィーネ様とお茶をされたのでは?」
「…まぁ、うん……」
というかすでにデウスの耳にフィーネとミリアがお茶をするという情報が入っていることに驚きだ。…いや、驚くまでもなく、その情報源は当人であるフィーネなのだろう。
「そのままフィーネ様と仲睦まじくお過ごしなさいませ」
「…本当に僕に興味ないんだね」
呆れたようにつぶやくデウス。
彼にしてみれば、ここまで興味を持たれないのは例外を通り越してもはや異常だ。
「『友人』の恋を応援したいので」
「君らが仲良くなるなんて思わなかったよ。僕を取り合う愛憎劇になるかと思ったのに」
「ご期待に沿えず申し訳ありません」
「ほんとにね」
(そろそろ諦めてくれないかしら)
ミリアにはデウスが本気でミリアを好きになっているとは思えない。
よくあることだ、前世で読んだ小説によくある展開だ。
周囲が当然と思うような反応をする中で、ただ唯一異なる反応をする例外。
そんな存在につい興味が湧き、それを特別な感情だと錯覚する。
その思いを強く感じたのはあのデビュタントの時だ。
ミリアの手を取ったデウス。そして…ルッツの瞳。
その瞳に感じた光は、デウスとルッツでは明らかに違った。
デウスの瞳の光は冷たい光だった。強い光なれどそこに熱は無く、その光に照らされても何も感じることはなかった。
けれど、ルッツは違う。その瞳の光には明確な熱量があり、その瞳に見つめられるとやたらと鼓動が早くなる。普段の子犬のような、おどおどした瞳ではない。あの強烈なまでの光。
それを知ってしまったから、ミリアにはルッツと同じような感情を、デウスからは感じられなかった。
…そしてミリアは気づかない、自身がどちらの光を求めているのかを。
「ミリア様!…あ」
すると、廊下の先からフィーネが姿を現した。
二人の並ぶ姿を目にし、一瞬言葉を詰まらせる。
(まずいかしら…)
これまで、フィーネにはデウスと並んで歩く姿を見られたことは無かった。
もちろんフィーネはデウスがミリアに求婚していることを知っている。だからこそ最初の絡みがそうだったわけだが、だからといってこんな直接的な現場を見られたことはこれまで無かった。
フィーネがどう反応するのか、それがミリアには怖かった。
ミリアと、そしてデウスを見た彼女はそのままつかつかと歩み寄る。
会話の途切れた二人も、その様子を黙って見守る。
「デウス様」
「うん?」
フィーネが話しかけたのはデウスだった。
(まぁ…そうよね……)
彼女はデウス信奉者だ。
ミリアとデウスなら、デウスに話しかけるに決まっている。当然のこと。
なのに…そのことに胸の一部がわずかに痛みを訴えたことにミリアは気づかない。
「ミリア様は頂いていきますね」
「えっ?」
「えっ?」
「では行きましょう、ミリア様」
「え、ええ…?」
「…………」
フィーネの行動にミリアはおろかデウスもついてこれていない。
あっという間にミリアの手をとり、ミリアの貧弱加減を考慮して体勢が崩れることなく、そっとの力加減でミリアを引っ張っていった。
それをデウスがぽかんとしたままで見送った。
当然ミリアも、ルーミアですらこのフィーネの行動に動揺が隠せず、本来ミリアに触れることすべてを拒んできた彼女が反応できなかった。
廊下の曲がり角を曲がり、デウスの姿が見えなくなったところでようやくミリアは口を開いた。
「ちょ、ちょっとフィーネ様?」
「何でしょうか、ミリア様?」
「えと、その…」
何から切り出せばいいのか、何から聞けばいいのか、考えがまとまらない。
あのフィーネが、デウスを置いてミリアを取った。
一体どういうことだろうか。
「まったく、ひどい方ですわ。デウス様は」
「え、ええっ?」
なんと、あのフィーネの口からデウスを非難する言葉が出てきた。
天地がひっくり返っても起きないだろうと思っていた事態にミリアの困惑はさらに深まる。
「私とミリア様の楽しい放課後のひと時を邪魔するんですから、そう思いますわよね?」
「そ、そうね?」
そんなひと時を約束をした覚えはない。そう言おうかとも思ったけれど、わざわざそんなことを言うこともない、そう思い口は噤んだ。代わりに、別の言葉を紡ぐ。
「…ありがとう、フィーネ様」
「あら、私、お礼を言われるようなことはしていなくてよ?」
「…そうね」
フィーネは、ミリアがデウスの求婚を断っていること、デウスのことを快く思っていないことを知っている。当然だろう、わざわざミリアはフィーネをデウスにけしかけるようなことをしているのだ。いくらデウス信奉者で視界が狭くなっていようとその程度には気づく。
しかし結果としてそれは、フィーネがデウス自身と接触することとなり、その信奉心を薄れさせることとなった。
デウスは素晴らしい人間だ。王族として、次代の王としてしかるべき責務をこなし、その立場にふさわしい人間とあるべくしている。だからこそ、その殻の内にある、彼本来の人間性に触れることで、ようやく彼も普通の人間であることを知る。
フィーネはようやく、デウスが普通の人間であると知った。
表面上は万人に均等に接しているようで、その実腹は相当に黒い。
その黒さは接すれば接するほどに見えてくる。
見た目の華やかさとは正反対の黒さ。しかし、それが彼が見た目通りの人間ではなく、ある意味人間らしいことを教えてくれる。
そしてそれは、フィーネとデウスにとっても良い傾向だろう。
フィーネはデウスが人間であると知り、そんなフィーネはデウスをただ崇める存在から外れた。
デウスが求めているのは、自分を見てくれる存在だ。王子でも、次代の王でもない、『デウス』を見てくれる存在。彼とて一人の人間。いついかなる時も王でいられるわけではない。そんな時、彼を『デウス』として見てくれる人間。それはこれまではミリアしかいなかったが、ここにもう一人その存在が芽吹きつつあった。