11話
「…で、ここはこうなってだな…」
勉強道具を持ってきてもらい、そのまま応接室で勉強会となった。
中庭で続けるには使用人の目があるし、ミリアの自室は論外。
となると候補が応接室しかなかった。
そこでミリアとルッツは並び、ルッツから勉強を教わることになった。
男女が並んで…という状況にミリアの心中は……特に動揺は無かった。
これが昨夜のルッツならドキドキして勉強にならなかったかもしれないが、今はドキドキしているのはルッツの方だ。
証拠にやたらと挙動不審だし、息はおかしいし、視線もずっと泳いでいる。
「ここがだな…」
「ん、どれ?」
「!!」
よく見えないとミリアが身を乗り出し、少しルッツに近寄っただけで大げさに仰け反る。
どこの初心な男子だと突っ込みたいルーミアだった。
「どこの初心な男子ですか…おっと、心の声が」
「聞こえてるぞ…」
キッとルーミアをにらみつけるルッツだが顔は赤く、まったくもって怖くない。
そんなルッツの様子は当然ミリアもわかっており、勉強ははかどっているが、ルッツの様子が鬱陶しくてたまらない、のが本音だ。
「やっぱりルーミアに…」
「だ、ダメだ!俺が教えるんだ!」
「…そう」
(それなら少しは落ち着いてほしいわ…)
心中呆れつつ、仕方ないとばかりに勉強を続ける。
一方のルッツは心の動揺がそのまま出てしまっており、全くもって落ち着かない。
勉強を教えて親密になりたいと思い、考えもせず教えるなどと言ってしまったが、後になって距離の近さに後悔していた。
学園の制服やデビュタントでのドレス姿とも違う、淡い緑色のワンピースを纏ったミリアの家でのリラックスした姿。
普段とは違う魅力に、ルッツはノックアウト寸前だ。
そもそもルッツがミリアに惚れたのはその意志の強さだ。傲慢、我儘と悪い見方が多勢だがそれは言い換えれば自分のやりたいことを貫く意志の強さでもある。
そんな内面に惹かれたと自覚していた。
しかし、今は違う。
昔のミリアも確かに美少女だったが、その性格のおかげで見た目を賛美されることはほぼなかった。家族くらいからだった。
しかし、その性格も鳴りを潜め、17歳になったミリアには今度はその見た目が評価されるようになる。
病気だったがゆえに細い手足に白い肌。
しかし健康的な食事のおかげでほどよく肉は付き、女性らしい膨らみを胸部と臀部に備えている。
この世界では珍しい黒髪もよく手入れされており、光が照らせば黒い光沢が目にまぶしい。
全てをのぞき込むような黒い瞳も、とても魅力的だ。
昔には感じなかったミリアの見た目の魅力。それを間近で意識しまい、しかもミリアにその自覚は無い。だから、時たま遠慮なく体を寄せてくると、つい距離を取ってしまう。
なのに、その寄せた一瞬に漂うミリアの香水の香りが、どうしようもなくルッツを揺さぶる。
ルッツはモテる。デウスと同等に。
その見た目もあるが、性格による影響が大きい。
非常に面倒見がよく、それでいて女性に対する扱いにも長けている。女性の扱いに長けた理由がミリアのせいなのは彼にとって幸か不幸どちらかは分からない。
勉強を教えることもあるし、剣を教えることもある。
同性異性問わず人気なのだ。
にも関らず、この様である。
ルッツはこれまで、女性と深い仲になったことは無い。
それは婚約者がいるということ、それがたとえ長年病気で寝込んでいたとしても、だ。
そんな彼を、どんな相手でも婚約者である以上裏切らないと誠実とみる者もいれば、早く乗り換えればいいのにと融通が利かないという者もいる。
とはいえ、今のミリアとの距離と接する令嬢はいくらでもいる。
彼の身持ちの固さは知っており、それでも…という令嬢もいるのだ。
それに動揺するようなことはなかった。
時折肩を抱いたり耳にささやくような程度はしてきた。
…が、ミリア相手ではすべてが崩壊した。
ルーミアがいてくれたよかった、と彼は心の底から安堵した。
いなければ今この場で押し倒しかねないほどだった。
ミリアに本気で迫れば彼女は抵抗しきれない。それは昨夜のダンスで学んだ。
そういう手段もある。
もちろん、そんな手段は最低だとわかっている。
分かっているのに、その手段もありだと考える自分に嫌悪もしている。
どうしようもなく欲しいのだ、ミリアが。
ここにきて自らの雄を自覚したルッツに、ミリアの距離感は拷問だ。
どうしようかと、手がその体に触れようとして宙を彷徨う。
そんなルッツの葛藤を、背後にいるルーミアはすべて見ている。
主人に触れようと手を伸ばし、しかし寸でで離れる意気地なしを。
いくら給金5か月分で勉強を教える権利を売り飛ばそうとも、主人に触れていい許可を出した覚えはない。なので、その手がミリアに触れた瞬間、部屋の窓から投げ飛ばす気でいる。さっきからルッツがミリアに触れようとして近づいた瞬間、ルーミアの殺気がルッツを襲い、無意識に手は退いている。それをルッツは自分の甲斐性の無さだと思っているが、実は原因は別のところにもあったりする。
***
「今日はここまでね」
時計を見やり、そろそろ昼食というところでミリアは言った。
思いのほか、ミリアの勉強は進んだ。自ら申し出てきた分、ルッツの教えは上手だった。
授業をよく理解していること、普段から誰かに教えているのだろうということが予想できた。
ルッツの意外な才能に驚きつつ、教科書を閉じる。
「ありがとう、ルッツ」
「!! あ、ああ」
何をそんなに驚いているのか、ルッツは目を見開いて頷いた。
まぁいいかとミリアは見なかったことにし、これからどうしようかと考える。
「ねぇルッツ、お礼といってはなんだけど、一緒に昼食でもどうかしら?」
「うっ!?」
(勉強を見てもらったし、まぁこのくらいはいいわよね)
ミリアとしては、言葉通り勉強を見てもらった礼として、だ。それに対するルッツの反応は些か失礼な気もするが、もはやこの男にまともな反応は期待しない。
「ルーミア、準備できる?」
「厨房に確認してまいります」
ルーミアが一歩を踏み出そうとしや瞬間、ルッツが勢い良く立ち上がった。
どうしたのかと、ミリアもルーミアも驚く。
「お、俺は帰る!」
言うや否や扉へ向かってずんずん歩き、自ら扉を開けて出ていった。
ぽかんとする二人を他所に玄関の扉が開く音まで聞こえ、突然の来訪者は突然去っていった。
「……なんなのかしら」
「さぁ」
***
それから数日が経ったある日の昼食。
今日はいつも付きまとう男二人がそろっておらず、ミリアとルーミアは二人だけの食事を楽しんでいた。…ルーミアの皿の肉のタワーを見なければ。
「珍しいこともありますね」
「たまには静かでいいじゃない」
言外に二人が騒々しいのだと言い放つミリア。
ルッツとデウスがそろうといつも比べ合いというか言い争いが始まるので若干うんざりしている。
しかし、平和なひと時は儚いものだった。
「…お隣、よろしくて?」
そうミリアに声を掛けてきたのは…フィーネ・エンジュルグ。
公爵であるエンジュルグ家の令嬢にして、最も王妃に近いとされて…『いた』少女。
父が宰相を務めていることもあり、最も有力視されていたが、一方のデウスは彼女を婚約者として認めることはしていない。しかし、デウスが突如ミリアに求婚したことでその立場は急落。王妃のおこぼれにあずかろうとしていた取り巻きから見放されていた。
「ええ、どうぞ」
特徴的な紅い髪に縦ロール、赤い瞳。見覚えのあるその姿にミリアは思い出した。
いつも取り巻きを引きつれ、学園内を我が物顔で歩いていた少女。
しかし最近は一人でとぼとぼ歩く姿を時折見かける。
その境が、デウスがミリアに求婚したタイミングだと分かると、少し可哀そうに思ってしまう。
一方、取り巻きたちは今度はミリアに取り入ろうとしているが、ルーミアの完璧なディフェンスでミリアに接触できずにいる。
元王妃候補と現王妃候補。
その二人が並んだ光景に周囲も何事かとざわつく。
(何のつもりなのかしら)
フィーネについては、ミリアは調べたことがある。
デウスに求婚された際に、婚約者がいないのかと調べさせたことがあったのだ。
その際、宰相の娘である彼女が最も王妃候補として家柄・立場ともに有利だということが分かっている。
一方のデウスは、彼女からの求婚に応じる様子はなくすげなくあしらっているようである。
もちろん、フィーネ以外にも王妃候補はいる。
にもかかわらず、いきなりぽっと出のミリアが求婚されたのだから、彼女らの心中は穏やかではないだろう。
デウスに振り回されて全くもって迷惑であった。
「…デウス様に求婚されたようですわね」
「…ええ」
否定しても周知の事実だ。
仕方がないとばかりにミリアは頷く。
しかしそれが気に入らないのか、フィーネは目を吊り上げた。
「ずいぶんと余裕ですこと」
(何が余裕だって言いたいのよ…)
ミリアにとっても今回の求婚騒ぎは迷惑以外の何物でもない。
デビュタントでの一件以来、デウスはミリアに迫るようなことはしていない。
なにかあると姿を見せ、行動を共にしようとするくらいだ。
さすがに王子というだけあって、その本心をなかなか見せようとはしない。
「デウス様にも、ルッツ様にも求婚されて、お相手に困らなくて羨ましいことですわ」
「ええ、全く」
返事が気に入らないのか、フィーネの食器からカチャリと大きく音が立った。
「なんで貴女のような方を…!」
ギロリとこちらをにらみつけてくるフィーネ。
(そんなに睨まれてもねぇ…)
ミリア自身も分からないことだ。
何故デウスがミリアに求婚したのかを。
デウスは言った。幼いころに気になっていたと。しかしそれが恋愛感情だったのかと言えば疑問だ。
彼にとってみれば、ミリアという少女は自分を気に入らないと公言し、無視を決め込んだ例外中の例外だ。王子という存在を前にできることではない。
それをやってのけたミリアという少女。確かに気にはなるだろうけども、そこから恋愛感情になるだろうか?ミリアには分からない。
考えてみれば、デウスの周りにいる令嬢含めた人間は、彼をすべて肯定するような人間しかいない。咎める者もわずかにいるだろうが、わずかだろう。
そんな人間に辟易し、あの喰えない性格になったのだろうと予想はつく。
…なら、そんな人間になれば彼の気が引けるのではないのだろうか?
「ねぇ、フィーネ様」
「…何ですの?」
「あなたにとってデウス様ってどんな存在?」
「素晴らしい方ですわ!」
身を乗り出して彼をほめたたえ始めたフィーネにミリアは若干たじろいだ。
「王子として完璧なまでの見目麗しさ。あの優し気ながらどこか遠くを見るような、あんな眼で見られてはもう正気を保っていられませんわ!すらりとしながら、それなのに重い剣を軽やかに操るお姿は美しいどころではございません!それでいて王子としての職務を完璧にこなす様は、まさしく理想のお姿!」
「そ、そう…」
聞くべきじゃなかった、すぐ後悔した。
「乗馬姿も素敵ですし、矢を射る姿はまさしく天使のよう!百発百中とも噂されておりますが、噂などではありません!殿下なら事実に違いありませんわ!」
…ここまでくると、愛とか情とかそういうレベルではなく、もはや崇拝の域だ。
そのデウスを崇める様を見て、だからなのかと納得してしまった。
「……だから選ばれないのね」
「……なんですって?」
ポツリと呟いただけなのに、あれほど熱狂的に語っていたのにミリアの声はしっかり拾ったらしい。恍惚とまでなっていた表情が一気に氷点下にまで下がる。
「貴女…自分が選ばれたからって調子に乗ってるんじゃありませんこと?」
「お嬢様…自ら地雷をお踏みに…」
「踏みたくて踏んだんじゃないわよ」
最後の一切れを口に入れたルーミアに呆れられたが、不意に出てしまった一言だ。
仕方がない。
(デウス様の周りがこんなのばっかりなら…選ぼうにも選べないわね)
何故デウスが今まで妃を決めてこなかったのか。
その理由がミリアにはわかった。
少なくともこのフィーネという少女は、デウスのことを何も見ていない。
彼女が話すデウスはどれも外見や成果といったものばかりで、デウスの人間性を全く語っていない。その成果も、確認もしていないものを勝手に事実扱いまでしている。
このようなことは、された側の人間からすればたまったものではないだろう。
「あなたが…あなたがデウス様の何を知っているとおっしゃるの!?」
「別に知らないわ」
「はっ?」
ミリアの予想外の返答に、フィーネの勢いがくじかれた。
「私は別に、彼のこれまでなんて知らないわ。あなたが言ったこと、何も、ね」
「……」
「でも、彼って結構意地悪だし、しつこいし、腹の内なんて何考えてるかわからないから面倒でしょうがないわ」
「………」
ミリアの言葉にぽかんとするフィーネ。
それがあまりにもおかしくてつい笑みがこぼれる。
「私の知ってるデウス様はそれだけよ。それだけ」
そう言い終えるとミリアは席を立った。
ランチタイムはそろそろ終わりそうだった。
「フィーネ様、デウス様とお話しをされたことは?」
「あ、あるに決まってますわ!」
「それは夜会や親の目があるところだけでは?」
「!!」
フィーネの目が驚愕に染まる。図星だったらしい。
「今度学園内でお話しされてみるといいですわ。ちゃんと、『デウス様』とお話しなさってください」
「………」
フィーネを置き去りに、食堂を後にする。
ぴったり背後に着いたルーミアが一言。
「さすがお嬢様、勝者の余裕は違いますね」
「誰が勝者よ」