第7話 空飛ぶインクと猫の精霊
今日もお空は良い天気。
モコモコ雲の隙間からひつじ雲の群れが流れていくのが見えます。
逆さ虹の森にある大きな図書館。
そこで金茶色の毛皮と黄金の目を持つキツネの女の子が窓から顔を出して外を見ていました。
その横でタヌキの子が本を読んでいます。
キツネの女の子の名前はクルミ。
魔法屋を営む魔法使いの女の子です。
タヌキの子の名前はココ。
最近は魔法屋でお手伝いをしています。
ココの読む本には見たことのないような文字が書かれていました。
「ねえ、これ何て読むの?」
ココが文字を指差しながらクルミに尋ねます。
クルミは外に向けていた視線をココの持つ本に向けると
「りんご」
と言いました。
「りんごはこっちでしょ?」
「それは『リンゴ』こっちは『りんご』これは『林檎』」
「なにそれ一緒じゃん。何で違う文字を使うの?もう!魔法使いの文字分かんない!」
ココはガックリと項垂れます。
魔法使いの文字は『魔法使いである』というただそれだけの理由で読むことができます。
それは生まれたての赤ん坊であろうと目の見えない者であろうと関係がないのです。
ところが、魔法使いであるはずのココは読むことができません。
だから、こうやって勉強しているのでした。
しかし、勉強はなかなか進まないようです。
ココは頭から湯気が出そうだと思いました。
「ねえ、僕本当に魔法使いなの?」
「なんで?」
「だって魔法使えないし文字も読めないじゃん」
クルミはうーん?と首をかしげました。
「何で読めないの?」
「だから!それが分かんないんでしょ!」
プンプン怒るココにクルミは、うーん?と首をかしげるだけです。
「そもそも、なんで魔法使いだって思ったの?」
ココが尋ねるとクルミは、見たら分かる。と言いました。
「そうなの?」
「そうなの」
クルミはそう言ってココの頭を撫でます。
「なに突然?」
ココはなんだか照れてしまいました。
クルミとはいえ相手は女の子です。
ココは家族以外の、それも異性にこんなことされるのは初めてでした。
「なんか変」
グリグリとココの耳を撫でながらクルミが言います。
「な、なんかって何?」
ココはドキドキしながら尋ねました。
「うーん……分かんない」
「……クルミちゃんいつもそうだよね」
クルミの言葉にココは深く深くため息を吐くのでした。
.*+;゜*・+;゜*・+.゜*.
ココが頑張ってお勉強をする横で、クルミがすやすやと寝息を立てていたときのことです。
「きゃあああぁぁ!」
どこからか女性の叫び声が聞こえてきて、二匹は耳をそばだてました。
「何だろう?」
「あっちから聞こえた」
そう言って二匹は声の聞こえた方に走り出します。
「きゃあぁ!やめてぇ!そこは書いたばかりなのに!?」
叫んでいたのは猫のお姉さんでした。
この図書館の司書さんです。
お姉さんは、キャーキャーと叫びながらカウンターの上を飛び回る何かに手を伸ばしています。
それは、真っ黒な液体の入ったインク壺でした。
インク壺は黒い液体をボタボタとこぼしながらお姉さんの回りを飛び回っています。
「やめてぇ!その文章書いたばかりだから!また書き直しになっちゃう!」
お姉さんは叫びながらインク壺を捕まえようとしていましたが、なかなか捕まらないようです。
インクはフラフラと飛び回り、お姉さんから離れ始めました。
このままでは他の本を汚してしまうでしょう。
「誰か止めて!」
お姉さんの叫び声にココは、ハッとしてクルミを見ました。
「クルミちゃん魔法使って!」
ココの声にぼんやりとしていたクルミが、はーい!と手をあげます。
そして、近くにあった鉛筆を握るとインク壺に向かって思いっきり投げました。
「魔法じゃない!?」
ココの叫びを無視して鉛筆はインク壺に突き刺さります。
「刺さった!?」
「どんだけ力強いの?!」
ココとお姉さんが驚く声をあげる中、インク壺は床に落ちました。
床に黒い液体が広がっていきます。
「た、大変!」
お姉さんは慌ててインクを拾うと、持ってきた雑巾で床を拭き取りました。
「汚れちゃったね」
ココが黒いインクに浸された書類を見ながら言います。
「あぁ……せっかく書いたのに……」
お姉さんはしょんぼりと項垂れてしまいました。
「これなあに?」
クルミが尋ねるとお姉さんは、書籍リストなの。と答えます。
「新しく書き足してたんだけど……これはまた最初から作り直さなきゃいけないわね」
猫のお姉さんはしょんぼりとしながら言いました。
可哀想になったココは、クルミに視線を向けます。
クルミはその視線には気が付いていないようでしたが、口を開きました。
「お姉さん困ってるの?」
クルミの言葉にお姉さんは頷きます。
「困ってるけど、これはどうしようもないわね」
「クルミが助けてあげる!」
「えっ?」
ため息を吐くお姉さんにクルミはニコニコと言いました。
「助けてあげるって、どうするの?」
不思議そうなお姉さんにココが、クルミちゃんは魔法使いなんだよ。と伝えます。
お姉さんは驚きながら、そうだったの。と呟きました。
「助けてほしい?」
「もちろん!」
「わかったー!ちゃんとお代払ってね!」
そう言うとクルミはキョロキョロと辺りを見回し、紙と鉛筆を拾い上げます。
紙いっぱいに円を描きました。
それからたくさんの線と見たことのない文字。
本のような絵。
いつもなら、ここで魔法を発動させるはずですが、クルミは書き上げた絵を見て首をかしげています。
「どうしたのクルミちゃん?」
「上手くいかないかも」
「え、そうなの?」
「まあ、いっか!お願いしまーす!」
クルミの叫び声が聞こえた瞬間、窓から吹き込んだ強い風が書類を巻き上げました。
「あっ!書類が!」
お姉さんは慌てて書類を掴もうとしましたが、何かがそれを阻みます。
それは緑色に光る蝶のように見えました。
緑色の蝶のようなものは少しずつ黒く染まっていきます。
それと同時に書類に染み込んだインクは少しずつ薄くなっていきました。
そうして、蝶が真っ黒に染まった頃。
天井近くまで舞い上がっていた書類がヒラヒラと床に落ちてきました。
真っ黒な蝶は窓から外に飛び出すと、パンッと音を立てて弾けてしまいました。
「かんりょお!」
そう言いながらクルミが書類を拾い上げます。
そこにはインクをこぼす前の状態に戻った書類がありました。
「まあ、凄いわ」
喜ぶお姉さんにクルミは手を差し出します。
「お代はお姉さんの大切なものでーす!」
その声に猫のお姉さんは動きを止めました。
「お、お代……?」
「大切なものでーす!」
困惑するお姉さんにクルミは繰り返します。
ココは、そんなクルミの腕を掴みました。
「ちょっとクルミちゃん。いつもよりお代が高すぎるよ!」
ココの言葉にクルミは首をかしげます。
「でも、お代をもらわないとお姉さんが後で大変なことになるよ」
「えっ?それ、どういうこと?」
「大変なことって?!」
驚くココとお姉さん。
クルミは、うーん?と首をかしげながら口を開きました。
「さっきのインクみたいなの。ちゃんとお代払わないからだよ」
「どういう意味?」
「お姉さん、前も魔法のお代払わなかったって言ってる」
そう言ってクルミはお姉さんの頭より少し上を指差しました。
そこに、角の生えた大きな猫がいました。
その猫は首から上しかありません。
どうして今まで気づかなかったのか分からないくらい不気味な猫でした。
「ひっ?!」
「何あれ?!」
お姉さんは尻餅をついて倒れ、ココはクルミに抱きつきました。
「ちゃんとお代払ったら消える。払うまでお姉さんにずっとついて不幸を招く」
「払う!払うからどうにかして!」
「お代は大切なものでーす!」
「大切なものってなによ?!命とかならあげられないわよ!」
焦るお姉さんにクルミは、えー。と間の抜けた声をあげます。
「お姉さんは命以外に大切なものないの?」
「そ、それは……」
「今思い付いたものちょうだい!」
クルミがそう言うと、お姉さんは首を左右に振りました。
「あげられないわ」
震える声でそう言います。
「うーん……じゃあ、命かなぁ」
「な、なんでそうなるのよ?!」
「だってくれないんでしょ?」
クルミの言葉にお姉さんは言葉を失ったようです。
ココはお姉さんが可哀想になりました。
クルミに近付き、耳元に口を当てます。
「ねえ、いつもみたいにジャムとかジュースじゃダメなの?」
そして、お姉さんに聞こえないようにそう尋ねました。
いつものクルミなら大したものを求めないのに、今日はお代が高すぎるのです。
魔法のお代に命を求めるなんて、悪い魔法使いのようではありませんか。
クルミは、うーん。と首をかしげると角の生えた猫に視線を向けました。
クルミの視線を受けた猫は首を振ります。
「無理だって」
「そうなんだ……」
ココは、お代を求めているのはクルミではなくこの大きな猫なのだと気が付きました。
「魔法の万引きはダメなんだよ」
「そう……そうだね」
クルミの言葉にココは頷きます。
「お姉さん魔法の万引きいっぱいした。毎回払えばこんなことにならなかった」
「そ、そんなつもりはなかったのよ!」
「今から払えば許してくれるって」
お姉さんは泣きそうな顔をしていました。
クルミはそれに構わず、お姉さんの大切なものちょうだい。と言って手を出します。
「大切なものって……なんでも良いの?」
「うん。お姉さんが大切にしてるものならね」
「そう……じゃあ、これを」
そう言ってお姉さんが差し出したのは、一本のペンでした。
なんの変哲もないただの羽根ペンです。
「亡くなった祖母の形見として貰ったものなの。大切にしていたんだけど、お代として渡すわ」
お姉さんは少し寂しそうに言いました。
クルミはその羽根ペンをジロジロと眺め、これじゃダメ。と言います。
「お姉さん嘘吐いた」
「嘘じゃないわ!これは本当に祖母の形見でっ!」
お姉さんはそう言いましたが、クルミは静かに首を振ります。
「もうクルミじゃ助けられない」
そして、そう呟くとココを振り返りました。
「今日は帰ろう」
「えっ?」
驚くココに構わず、クルミは先程まで勉強していた机に歩き始めます。
「待って!どういうこと?助けられないって何?!」
お姉さんはそんなクルミの腕を掴んで止めました。
「お姉さん嘘吐いた」
「吐いてないわ!これは本当に死んだ祖母の形見よ!」
「でも大切にしてない」
「し、してるわ!ずっと持ち歩いてるのよ!大切にしてるに決まってるじゃない!」
「……また嘘吐いた」
お姉さんの言葉にクルミは小さくため息を吐きました。
ココは、いつもと違うクルミの様子になんだか嫌な予感がしました。
心臓がドクドクと脈打っています。
いつの間にか握りしめていた手が汗で湿っていました。
「お姉さん、どうして嘘吐くの?」
「嘘なんか……」
「自分でも分かってるのに、どうして?」
「……」
黙り込むお姉さんをクルミの黄金の目が見つめていました。
曇りのない真っ直ぐなその目に、お姉さんがたじろぎます。
「クルミもう助けられない。だって、怒ってる。さっきのが最後のチャンスだったのに」
その言葉にココの背筋を嫌な汗が伝いました。
ゾワゾワとした不快な空気が辺りに漂っています。
クルミは掴まれていた手を軽く振りました。
しっかりと握られていたはずの手はスルリと抜けてしまいます。
お姉さんはヨロヨロと数歩下がり、尻餅をついて倒れました。
「もう魔法使っちゃダメ」
クルミはそう言うと、先程勉強していた机まで戻ります。
そして、広げていた勉強道具を鞄に仕舞うと、ココに視線を向けました。
「帰ろう」
ココはクルミにぎこちなく頷くと、図書室から外に出ます。
背後から聞こえてくるお姉さんの泣き声は、聞こえないフリをしました。
.*+;゜*・+;゜*・+.゜*.
逆さ虹の森にある赤い屋根の小さなお店。
看板に『クルミの魔法屋さん』と書かれたそこは、金茶色の毛皮と黄金の目を持つキツネのお店です。
「あのお姉さん大丈夫かな……」
カウンター裏で文字の勉強をしていた魔法屋さんの店員ココは、誰にともなく呟きました。
「お姉さん?」
魔法屋の店主クルミは首をかしげます。
その目は真っ直ぐで、本当に覚えていないようでした。
「図書館で会ったお姉さんだよ。魔法のお代を払わなかった猫さん」
ココがそう言うとクルミは、あー。と呟きます。
「万引きは悪いことなんだよ」
「そうだけど……」
「ココもしちゃダメだよ」
「うん……お姉さんどうなったの?」
「シャンプーとリンスを間違える呪いが掛かってた」
「は?」
「傘を忘れた日に限って雨が降る呪いも掛かってた」
「えっ……不幸ってそんな感じなの?!」
頷くクルミにココは呆れたようなため息を吐きます。
「そんなことに命を要求するなんて……」
「もう命はいらないよ。恐怖と呪いで足りた」
「どういうこと?」
「大切なものの代わりに恐怖をあげたの」
「恐怖を?」
「お姉さん大切なものダメみたいだったから、お姉さんの恐怖をお代にしたの。お姉さんが怖がれば怖がるだけ精霊たちは満足する。でも、足りなかったから呪いがかかった」
「その呪いっていつまで?」
「精霊が満足するまで」
クルミの言葉にココは頷きます。
たいした呪いではないようなので、気にする必要もないでしょう。
そして、再び口を開きました。
「そういえば魔法のお代払わなかったって言ってたけど、あのお姉さんは魔法使いなの?」
「違う。なのに精霊の魔法使った」
「どういうこと?」
「あのインクが飛び回ってたの、魔法だった」
クルミの言葉にココは、そうだろうなぁ。と思います。
同時に、あの角の生えた猫の頭は精霊だったのかと思いました。
「魔力がないのに魔法使った。だから精霊に何かあげないといけなかった」
「えーっと、魔法使いは魔法のお代に魔力を払ってるの?」
「うん」
「でも、お姉さんは魔力がないから代わりが必要なんだね」
「そう。お菓子とかジュースで良かったのに、お姉さん何もあげなかった。だからお代もどんどん高くなった」
「そうなんだ……」
さっきまで精霊が要求していたのはお姉さんの大切なものです。
本当に大切にしているものでなければ意味がなかったのでしょう。
命まで要求されていたというのに、お姉さんはどうしてクルミに嘘を吐いたのだろうとココは思いました。
それと同時に、クルミはどうして嘘だとわかったんだろうと思います。
「ねえ、どうしてあの羽根ペンがおばあさんの形見じゃないって分かったの?」
ココが尋ねると、クルミは首をかしげました。
そして、少し考えてから
「もうすぐ来るから分かる」
そう言ったのです。
「こんにちは」
その声に答えるようにして、一匹のおばあさん猫が魔法屋に入ってきました。
「いらっしゃいませー!」
クルミがにこやかに返事をします。
ココは何かの予感を感じました。
「今日はありがとうねぇ」
そう言っておばあさんはクルミの持ってきた椅子に腰かけます。
ココはおばあさんに、今日って?と尋ねました。
「ほら、さっき角の生えた猫の頭がいたでしょ?あれ私なの」
「えっ?!」
驚くココに、おばあさんはコロコロと笑っています。
「粗茶です!」
「あら、ありがとう」
「あんな感じで良かった?」
「ええ、充分よ。怖がってたわねぇ」
「怖がってた!」
楽しそうに話す二匹でしたが、ココは話についていけません。
「お、おばあさんが精霊なの?」
「そうよぉ。生前は普通の猫だったんだけど、死んだらこうなってたの」
「あのお姉さんのおばあさんなの?だから羽根ペンは形見じゃないって分かったの?」
「あの子のおばあさんのおばあさんのおばあさんくらいかしらね」
「そうなんだ。なんで形見じゃないって分かったの?」
「だって、あの子のおばあさんは二匹とも生きてるもの。あの子『死んだ祖母の形見』って言ってたでしょう」
おばあさんの言葉にココは記憶を思い出します。
「い、言ってた……」
そして、呆然と呟きました。
「あの羽根ペンは去年あの子のおばあさんが旅行先で買ったものよ。おばあさんに貰ったものであることは間違いないけど……でもねぇ」
あんまりよねぇ。と呟きながらおばあさんはため息を吐いています。
「あの子、すぐ嘘吐くのよ。魔法使いでもないくせに無理矢理魔法を使うから精霊たちも怒ってて。だからこらしめてやろうと思ったの」
「クルミお手伝いした!」
「そうだったんだ」
クルミはニコニコと笑いながら、クルミ怖かった?と尋ねます。
ココが、怖かったよ。と言うと、満足そうに笑っていました。
「お代は精霊のケーキだったわね」
「うん!」
「じゃあ、これを」
おばあさんがそう言うと、カウンターの上に小さな箱が現れます。
ホールケーキくらいの大きさはありそうです。
「二匹で仲良く食べてね」
「うん!ありがとー!」
おばあさんはクルミとココの頭を優しく撫でると、光の粒子になって消えていきました。
「ケーキ食べよー!」
おばあさんが消えたのを確認してから、クルミはケーキの箱を開きます。
そこには果物のたくさん乗った生クリームたっぷりのケーキがありました。
「わあ!美味しそうだね!」
「クルミ、ジュース取ってくる!」
「あ、じゃあ僕はお皿を」
こうして、二匹は美味しいケーキをたくさん食べたのでした。
ちなみに、図書館のお姉さんの呪いは、1ヶ月くらいで解けたそうです。