8話:身の程
リビングに並べられたトランプタワー状のエロ本を本来あるべき場所に戻して神社に戻る。時計の針は午前9時を回っていた。
(完全に遅刻だな、こりゃ1限目は無理だな)
遅刻の主犯たる幼神を探すが本殿付近にはいないようだ。
キョロキョロとあたりを見渡してみると隣接の公園にて鼻歌交じりで砂場に穴を掘っている幼神の姿があった。穴の深さから想定するに恐らく俺を落とすためであろう落とし穴、といったところか。その深さたるや1Mに届く勢いだ。
最近はそういうの冗談にならないんですから自重してくださいね幼神様。
あまりに楽しそうに、真剣に掘っているため話しかけるのも気が引けたため「んん!」とタンが詰まったような声を出して戻ってきたことをアピールする。
「ちっ、随分と早かったんじゃのう」
ここまで早く戻ってくるとは計算違いだったのだろうか、舌打ちをしながら悔しそうに穴を塞ぎはじめる。きっと神とは暇なのだろう。そんな暇な神に俺は取りあえず昨日の妹との会話を報告することにした。
「――というわけで、俺の妹はいつの間にか異世界の住人になってました」
掻い摘んだ説明という事でもない。今回の報告は結局幼神の言うとおり世界征服たる目的を中二病を患った俺の妹が考えていても不思議ではない、というそれ以上でもそれ以下でもない中身の話だった。時間にするとものの1分に満たないと思うのだが俺の話はよほど退屈なのだろうか。幼神は俺の話を聞いている風もなく、ひたすら蝶々を追いかけていた。
「あのー。聞いてます幼神様」
呆れた声で幼神様に問う。
「おぉ、聞こえとるぞ。何を今更といった話じゃったけぇのぉ、暑さで思考回路が停止しとるのかと思ったくらいじゃ」
「……まあそうですね。幼神様の言うとおりでしたって事で、取りあえずはその報告だけです。時間もないんでまた帰りに顔出します」
俺はスクッと立ち上がる。今からなら2限目には間に合いそうだ。
「本当に変わっとるのぉ」
蝶々に話しかけるように幼神は言う。
「自分の命が長くて1週間で危険に晒されるとわかっていたら学業なんぞは優先せんじゃろ。お前はすでに今の環境に慣れてしまっておるようじゃのぉ」
蝶々の羽をハシッと摘まみながら言葉を続ける。
「正気を保てず気がふれる。寝る間を惜しんで解決策をあらゆる手をつかって模索する。わしに命乞いをして泣きついて来る。それが『普通』じゃ」
蝶々は苦しそうに羽をバタつかせる。
「お前はその年にして人生を悪い意味で諦めとるように見えるのぉ。自分の限界はとっくの昔に知っておる。自分の能力に分もわきまえておる。なるようになる。ではなく、なるようにしかならん。とでも言いたげじゃ。自らの命に対してもまるで対岸の火事という印象を受けるのぉ」
「……最近の子は、みんなこんなものですよ。それに俺だって今の体が抜け殻になるなんて『普通』に怖いですよ。もう少し時間が経ってきたらきっと俺も気がふれるか、寝る間を惜しんで解決策を模索するか、幼神様に命乞いをして泣きつく、と思いますよ」
そういって俺は小走りに学校へと向かった。
一人残された神は蝶々を天に放ち、自慢の髪をクルクル巻き上げ静かに呟く。
「本当に救い甲斐のない奴じゃのぉ……」
学校に着いた俺が一番にしなくてはいけない事。それは教室へ行って遅刻の言い訳をすることではない。今カバンの中で少し異臭を放っている我が分身であるブラッシーの置き場所を確保することだ。
あまり遠くに置きすぎるとさっきのように生体リンク? が切れてしまって危険なようだしこのままカバンの中に入れておくのはもっとマズイ。今日で俺のあだ名と立ち位置が不名誉な形で確立されてしまうからだ。
散々迷った挙句結局教室から一番近い2Fのトイレの用具入れに置いておくことにした。掃除は放課後だし、終業のチャイムと同時に回収すれば問題ない。下手に隠しておいておくよりもよほど安全だ。
キーンコーンカーンコーン――――――
どこの学校でも同じであろうお馴染みのチャイムが流れる。お馴染みの音すぎて気づかなかったが今は昼休憩のチャイムのようだ。いや、音のせいではないか。昨日からあまり腹が減らない、理由は分かっているので気にするほどの事でもない。眠気はあるので昼はしっかり睡眠を取りながら夢の中でどうやって今回の問題を解決するか考えよう……
――『お前はその年にして人生を悪い意味で諦めとるように見えるのぉ』――
うつらうつらと眠気に誘われながら、幼神が発した言葉がフラッシュバックする。
……子供の頃から何をやっても人より秀でたものはなかった。
徒競走でも大体ビリかブービー。勉強も中の中。クリスマスやバレンタインデーとは当然無縁の存在だ。自分の事は嫌いではないし寧ろ好きだ、だが他人から好意をよせてもらえるかは別の話だ。そういう目を、そういう声を、人の顔色を伺いながら生きてきた俺は痛いほど分かっているつもりだ。幼神はその年にして、と言っていたが17年生きてくれば世界の残酷さを知るには十分だ。そんな自分を変えたくて努力と呼べるものを積み重ねた時期もあった。それでも足は人並み以上には速くならなかったし勉強もやっと平均。恋愛に関しては努力もしていないので愚痴を言えないが。その物事に掛けた時間を努力の指標にするのであれば俺は相当の努力家といっていい。だがそれでもやっと人並みかそれ以下。じゃあもっと努力すればいいとか頑張る方向が間違っているとか詭弁を吐く奴もいたが結局持ちうる人間のエゴだ。努力は裏切らない、とは本当だろう。俺は小学校六年生の時一度だけ徒競走で二位を取った事がある。勉強も要領が悪い分、人の倍時間をかけて受験ではそれなりの進学校には進めた。それはきっと努力が裏切らなかったからなのだろう。だが努力は有限だ。自分の中で追い込んで追い込んでやっと達成した結果が『ここまで』なのだ。人の、自分の限界はここなのだと否応なしに認識してしまった。そして理解はしているが見ないように考えないようにして自分のできる範囲の事をただ漫然とこなして時間が過ぎていく、きっとこれからも……
「おにぃー先輩!」
「……むぁ」
どうやら寝てしまっていたらしい。学校の中ではあまり聞きなれなかった声で目が覚める。目の前には志野宮が立っていた。
「おにぃ先輩目がなんか赤くなってますよー? 寝不足じゃないんですか?」
俺はハッとして目を制服でゴシゴシ擦りながら言い返す。
「……だから寝てたんだろ、起こすなよ。それよりお前ここ2年の教室だぞ? クラス間違えてるぞ」
「いえいえ~間違えてないですよ。先輩に用があるから来たんですケド」
上級生のクラスに入るのってこんな気軽なものなのか? 俺だったら同学年の別クラスでも緊張して入れないぞ? まあ志野宮が俺に用といえば一つしかない。
(全然こっちのアクション待ちじゃないじゃん。グイグイ来てるじゃん。肉食系じゃん)
「あの件ならまだ聞いてない。オヤスミ」
「ちょっヒドっ!? 違いますよー。いやもしかしたら関係あるかもなんですケド……」
言いにくそうに志野宮がモジモジしている。ふとあたりを見渡すと学校でも四天王に数えられるであろうである容姿をした1年女子がこともあろうに俺とモジモジしながら会話している光景をみてクラスが少しザワついている。傍から見ると異物感が凄いのだろう。
「ちょっと外で話すか……」
そういってそそくさと席を立ち廊下を指し志野宮を誘導する。どちらにしてもここで話すような話題ではないだろう。
いつもと少し違う昼休みの一幕。――――そして事件は起こるのだった。