36話:そしてわらしべ幼神の転生術は……
「ワインガルトナぁーーーーーーーー!!」
白翼の勇者と呼ばれた現魔王に向けて力の限り声をあげる。
「ラララ―♪ 何か用ですか偽淵底の翼さん。魔王ワインガルトナーはこれから世界を滅ぼすという大事なお仕事が控えているのです。邪魔は許しませんよ」
風を統べる吟遊詩人ヤコヴ……お前の心が見えない理由も分かった。このヤコヴという存在そのものが妹の弱さが生み出した【願い】に他ならない。だからこそ俺は兄として妹に、ワインガルトナーにしっかり伝えてやらなくてはならない。
「ワインガルトナー……世界はお前の思い通りにはならない」
「ラララ―♪ 何を言い出すかと思えば。先ほどの凄まじい力を目にしていなかったのですか?」
近づいて来るヤコヴを睨みつけ「止まれ」と念じる。その瞬間ヤコヴの体は石化したように微動だに動かなくなる。
「ラ……ララ……ば、馬鹿な!?」
俺はワインガルトナーの方へ歩を進めながら諭すように話す。
「ワインガルトナー。今この世界は俺を中心に動いているんだ。俺が念じれば金縛りなんて陳家な話じゃない。この世界をどうとでもできるんだ。お前がどんな力を持っていようと俺に抗う術はない」
「グルルルル……」
「ここは元々お前の世界だ。本当はお前が思えばどんな事でも思い通りに自分の都合のいいように書き換えられる。そんな世界なんだ」
「グルル……」
「でもな、それでも世界はお前の思い通りにはならない。ここでどんなに理想を並べて創造しても本当の世界はお前が思うようにはいかない。ここほどお前に対して優しくないその世界こそがお前が生きていく場所なんだよ」
「……」
そっとワインガルトナーの肩を抱く。
妹はこんな世界を心に持ってしまうような他の人とは違う価値観を持っている。それは14歳の女の子が中学生という社会の中で受け入れてもらうには少しハードルが高い。妹は社交的な性格でありクラスでも人気者だ、だからこそ現実の自分とのギャップに悩んでいたのだろう。本音でぶつかり合える友達も少なかったのだろう。それはワインガルトナーの独白にもあった苦悩の勇者像そのものだ。思えばワインガルトナーの旧知であるシューケルやクロコップでさえワインガルトナーの本質は理解できていなかった。今までの妹の友人関係の象徴があの二人だったのかもしれない。
「でも。そんな世界だからこそ本当の友達になりたい人がいるんだよな」
「……」
「本音を語り合えて、どんな立場になっても、どんな姿になっても自分の傍にいてくれる友達が欲しいんだよな」
俺は硬直しているヤコブの方を向きワインガルトナーの肩をポンっと叩く。
「グルル……グル……ル……美……う……」
ワインガルトナーの目から大粒の涙が零れ落ちる。
転校したばかりで不安な毎日。1から作り直す友人関係。その友人関係だって形式上の物で本当に分かりあえる友達かどうかなんて分からない、今までだってそうだった。でも新しい土地でできた初めての年上の女の子の友達は私がクラスの人気じゃなくてもバスケ部副キャプテンじゃなくても優しく接してくれる。分かりあいたい。本当の友達になりたい。でも……本当の自分を知ってもらうのは……
「怖い……よな」
「う……うぅ…………」
ワインガルトナーは人の心を取り戻したかのように声を出して泣いていた。
妹の【願い】は世界征服だと幼神ミコットは言った。しかし俺の妹はやはり文字通りの世界征服など望んではいないのだ。妹の、彩の心を享受して初めて分かった事ではあるが彩の言う所の世界征服とは自分に優しい世界であって欲しい。ただそれだけの殆どの人が願うようなちっぽけな【願い】だったのだ。そして今、妹にとって自分に一番優しくあってほしいと願うのは大事な友達なのだ。
「大丈夫。ヤコヴは『違う』なんて事はねーよ。お前の事を考えて好きな相手に告白もできずにいるような奴だ。付き合いは短いがいい奴だと思うよ。後はお前の勇気次第だ」
「うぅ……」
「それにヤコヴの心だけは最後まで見えなかった。ヤコヴの心だけ作らなかったのは相手の心が分からない不安からだろうけど、そもそもどうでもいい相手の心なんて分からなくても不安でもなんでもねーよ。それだけ大切に思っているって事だよ。お前自身がな」
「うぅ……でも……もし……」
「もし……万が一ヤコヴがお前の言うように『違った』時はお兄ちゃんが泣き言を聞いてやるから。それでいいだろ?」
そう言ってワインガルトナーの頭をゆっくり撫でる。
「これからも辛い事はいっぱいあるぜ人生。お前より3年早く生まれた俺が言うんだから間違いない。でもな、どうしても我慢できない辛い事があったら一目散に逃げろ。そんで友達に相談しろ。それでも駄目なら俺の所に来いよ。お兄ちゃんはいつでもお前の味方だからな」
「……うん。ありがとう。お兄ちゃん」
涙を拭いながら答えるワインガルトナーの笑顔と共に――パァ――と世界が光に覆われる。そして徐々に景色が暗く……いや俺の意識が遠のいて行く……
――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
――――――――――っ
居間のフローリングの冷たさで目が覚める。横のソファーではパジャマ姿の彩がスヤスヤと寝ている。
「夢……?」
眠気眼でそんな事を思った時、ソファーに立てかけてあった便器ブラシが気持ちよさそうに寝ている彩の顔面目がけて倒れる。
「ちょっ! 危な!」
寸前の所で便器ブラシことブラッシーをキャッチに成功する。
「ふー。危ね」
便器ブラシが直撃する事もさることながら今はまだ現状も把握できていない。彩にはこのまま寝ていてもらい少し考える時間がほしいのだ。
ドクン……ドクン……
しかし咄嗟の事だったから焦ったな。まだ心臓がドキドキしてる……心臓が……ドキドキ……
「してる――――――――!!!!!!」
驚きのあまり近所のご迷惑になる程の大声をあげてしまったが彩はぐっすり寝ている。よく見ると幼神ミコットから最初に貰った藁がフローリングの床でゆらゆらと揺れていた。
これは……
どうやら俺の人生史において一番と言ってよい大事件は無事終結を迎えたようだ。やっと現状を把握しそして歓喜する。とんでもない数日間だったが気持ちよさそうに寝ている彩を見ていると苦労したかいもあったと素直に思える。
近くにあった毛布を彩に掛けると久方ぶりの心臓のリズムに心弾ませながら居間を後にした。こうして俺の転生の旅は一旦の終わりを告げたのだった。




