2話:雨の水曜日
両親の転勤で広島に越してきたのは今年の春だった。2度の高校受験を受けたと言っていい俺も大変ではあるが、中学2年生で思春期真っ盛りの妹の気苦労はきっと俺の比ではないのだろう。
妹の神代 彩≪かみしろ あや≫は社交性も高く活発で小学校のころから友達も多い。小学校まではミニバスケ部で副キャプテンも務めており人望もあったようだ。短く纏めた髪の長さも相まってまだ幼さが残るが兄の贔屓目を抜きにしても整った顔のつくりをしておりいわゆるクラスの人気者だったと言っても良い。しかしその分だけ転校の度に友達との別れが相当辛いらしく、一人暮らしをすると言い出したり引っ越し前に家出をしてみたりと、とにかく大変だった。
今回も散々喚いた挙句、ズルズルと引きずられるように新幹線に押し込んで来た。当然、納得とはほど遠い精神状況で引っ越して来たこともあってか今回に関してはあまりが学校でも上手く行ってないように思えた。親が悪いわけでも妹が悪いわけでもない。転勤族の家庭に生まれた運が悪かったとしか言い様がない。
その点俺は経験則から友達付き合いはほどほどにしており基本的に友達も作らない。そもそも学校生活を楽しく送っているわけでもないのでどこに行こうと空気のように馴染む事ができる。過去の学校からの学友から「最近どう?」なんてLI○Eが来ることもない。
ツ○ッタ―は始めてから1ヵ月で何度ツイートしても永遠たる独り言になってしまった為そっとアカウントを削除した。正月のあけおめメールも注意されるまでもなく控えている、というか来たことがない。兄ほどの経験があれば妹もあれほど気に病むこともなかったろう、まだまだ若いな。
「はぁ……」
梅雨の雨でじとじとした天気の中、いそいそと身支度を整える。徒歩圏内の高校ではあるが雨の日は少し早く出ないと間に合わない。遅刻なんてして目立つのも嫌なのだ。転校生というのはそれでなくても期待と失望の目で見られる。俺がどちらであったかは言うまでもないが、あまり目立っていたくはないのだ。
「目立つ」というリスクを俺は人並みに知っているつもりで、メリットの少なさも同様に知っている。だがおおよそは自意識で片づけられる些事な事なのだろう。
――ピンポーン
家のチャイムが鳴る。この朝早い時間にこの家に来る人間といえば――
「おはようございます。おにぃ先輩!」
スラッとした長い手足とリスのようなクリクリした瞳、ゆるふわ系の髪は校則で引っかからない程度に少し茶色い。笑顔の溢れるいかにも今時な女子がそこには居た。
「……ぅおぅ」
声がどもる。もうこのやり取りは10回目くらいなのにまだどもる。
「あーちゃんもう行っちゃいましたぁ?」
甘ったるい声で俺に質問してくる。
「……いや、まだ居るから呼んでくる……」
そう言っていそいそと妹の部屋へ向かう。
彼女は志野宮 美羽≪しのみや みう≫俺と同じ高校の1年生だ。同じマンションに住んでおり、引っ越しの際に挨拶周りをした際に不安定な精神状況から暗黒面に落ちていた彩を気にかけてくれておりよく遊びに誘ってくれている。最近では学校も途中まで一緒に行っているようで、こっちでの彩の初めての友達だ。俺はあまり話した事もなく、会話といえば
「……ぅおぅ」
もしくは
「……っす」
程度のもので、同じ学校だと知ったのもつい最近の事である。部屋をノックするまでのもなく携帯片手にバタバタと身支度を整えた彩が部屋から出てくる。
「おはよっ! 美羽ちゃん。すごい雨だねーっ! あーその傘超可愛いー」
玄関先で2人はいつものようにキャッキャウフフしながら2、3分程雑談した後、学校へと向かうのだった。
「じゃあお兄ちゃん行ってきまーす」
「それじゃ、おにぃ先輩。また学校でぇー」
「……ぅおう」
くっ、またどもった。妹も志野宮の前では以前の明るい妹である。一時の荒れ様を考えると志野宮には表彰状を送りたいくらいだ。
しかし志野宮が妹を迎えに来るようになり困ったことが一つ。通学路が同じなのだ。一緒に行くわけにも行かないし途中で追いついちゃうのもあれなので毎度毎度朝のコーヒーブレイクの回数が増えてしまう。俺がカフェイン中毒になったら志野宮は表彰どころか懲罰ものである。
時刻は午前8時。丁度体が怠くなってくる水曜日、天気予報は雨のち晴れ。ふと窓を見ると濁流のような雨が桟にあたって跳ねている。ほんとに晴れるか? こんなどしゃ降りで。