12話:池先輩
ここまでで1話に戻ります
「うぃすうぃす!」
神並神社に向かう途中背後から声を掛けられる。
2メートル近い高身長にがっちりした体つき。2枚目の顔つきに2ブロックに刈り上げた短めのドレッド頭をなびかせて白いサイクリングバイクに跨った池先輩が颯爽と目の前に現れた。
池=メンドーサ=カルロビッチ。通称イケメン先輩。クロアチア人の父を持つ日系2世で彩の塾の講師の一人でもある。俺の学校の卒業生でサッカー部を全国大会出場に導いた立役者、地元の有名人。プロからの誘いも来ていたらしいが地元の大学に進学している。得意なシュートはドライブシュート。好きな食べ物は納豆。好きな飲み物はコーラ。ちなみにクロアチア語は全く話せない。全て妹からの情報である。
「ワラっち。うぃすうぃす!」
「あ、ども」
急な事で少し驚いたが池先輩が一人暮らしをしているアパートと俺の家は近い。今まで外で会わなかったのが不思議なくらいだ。それにしても俺の名前覚えてるんだな、あんまり話したことないのに。何故話しかけてきたかも分からないがこの人はそういう人なのだ。誰にでも気さくに話しかけてくるタイプの人間だ。俺はこの手のタイプはあまり得意ではない、しかし池先輩は性格がカラッとしすぎているせいもありそこまで苦手ではない。
「今から大学ですか?」
「うぃすうぃす。ワラっちはこんな時間に珍しいね」
(どうせ彩が会話のネタとして話すよな……)
池先輩の質問にどう切り返すか少し悩んだが必要最小限の情報だけ伝える事にした。
「ちょっと停学食らっちゃいまして……」
「Ouch!」
頭に手をやって、やっちまったなとアメリカナイズされたポーズを取る。あんたヨーローッパ圏でしょうが。
「いやぁーワラっち。青春! 青春!」
ポンポンと俺の肩を叩きながらHAHAHA! と高笑いする池先輩。俺は愛想笑いをしながら訪ねる。
「ということで俺はあんまり外に居るの人に見られたマズイのでこれで……」
「Oh……sorry……ワラっちと折角ゆっくり話せる機会だと思ったんだけどね」
ショボンとする池先輩。あまりのうなだれ様に少し可哀想に思えた為、少しだけ話を伸ばす。
「彩の事いつもありがとうございます」
普段素直に思っている感謝の意を述べる。結果としてこの何気ない質問が大きな分疑点だったかもしれない。
「Oh彩っちね。最近よく笑うようになってくれて嬉しいよ」
「あぁ、塾ではうまくやってるんですね。あいつ珍しく今の学校には馴染めてないみたいで、元々社交的で友達も多い奴なんですけどね」
「Yes! そうなんだよ! 彩っちはいい子だ! でもワラっち。塾でも彩っちは馴染んでいないんだよ」
ん? そうなのか。池先輩の話ばかりするからてっきり塾には慣れているのかと思った。
考えてみれば同じ中学の人間が多く通う塾だ、そんなにハッキリと人間関係の整理がつくものではないかもしれない。
「でも馴染めないのは彼女が原因だと思うよ」
「あ、え……まあそうですね、積極的に話したりしてかないと駄目ですよね」
急に厳しい口調になった池先輩に驚いて咄嗟に話を合わせる。が、池先輩の表情は険しいままだ。
「えーと。やっぱり池先輩でも仲を取り持つのは難しい……ですよね」
「僕が取り持てば見せ掛けの仲は作れるだろうネ。それは学校の先生でも一緒さ、形式を取り繕うならいくらでもできる。そしてそれは彩っちが一番嫌がる事だろうね。彼女はね、友達を作ろうとしていないんだ。要らないと思っているんだ」
風貌からは想像もつかないほど真剣に俺に話しかけてくる。どうやら池先輩が俺と話したかった理由は彩の事だったようだ。そして俺が思った以上に彩の事を理解しているようにも感じた。
「……まあ転校が続きましたから。友達と別れるくらいなら最初から要らない! とか思春期っぽい事を考えてるんじゃないですかね?」
「NONO。違うよ、それにワラっちはそんな事思ってないはずだ、僕よりももっと本質的な所で彩っちを理解しているはずだよ」
「いや、妹とそんなに仲がいいわけじゃないですし。ほとんど話した事ない俺を買いかぶりすぎですよ。本当に分かってないですから」
「僕が買いかぶっているわけじゃあないよ。彩っちのブラザーに対する信頼がね。分かるんだ」
「信頼!? いやいやあり得ないですって」
本当にあり得ない。一昨日の事をきっかけにそりゃあ以前よりかは話すようになった、だが話すようになったと言っても会話の内容がアレだ。それにそもそも俺たちは特に仲のいい兄妹ではなかったからだ。
「僕も妹がいたから分かるよ。何がなくとも家族というのは、兄妹というのはそれだけで絆なんだろうね。心って言うのは君が今手に持っているホラ、それによく似てるよ」
池先輩が指したのは俺がずっと手に持っていたブラッシーであった。誰にも会わないと思いずっと手に持ったまま歩いていたのだ。
「便器ブラシ……とですか?」
「どんな便器でも使えば汚れていくだろ?汚くなったらブラシでゴシゴシ掃除してやれば綺麗になる。でも真っ白にはなってない、蓄積されているんだ。便器は汚れすぎたら取り替えられもするけど人の心は取り替えられないからね、積み重なった経験が良いも悪いもその人そのものなんだよ」
「……」
「血が繋がっているから家族じゃない。長い時間を一緒に過ごして家族になるんだよ。特に幼い時を一緒に過ごした兄妹なんかはね。だから僕には無理でも君なら解決できるんじゃないかな?」
それ心に例えてるのは便器ブラシじゃなくて便器そのものじゃねーか!
と心の中で取りあえず突っ込みを入れた後、何故かショックを受けている自分に気づく。出会って2ヵ月の池先輩の方がよほど俺の妹の事を理解しようとしている、それが情けない。でも本当にそうなのだろうか? 池先輩が言うように俺が池先輩より頼りなくても、妹の問題に直面したのが妹の事を考えていたわけではなく偶然であったとしても、頼ってくれているのか?
(俺が彩に厨的な頭のおかしな話をされたのは一昨日の夜、塾から帰ってからだ。そして昨日は塾はなかったから……)
「池先輩エデン語って話せますか?」
真っ直ぐ池先輩を見ながら問う。
「エデン語? いや僕は塾では社会科担当だけど」
英語じゃないんだ……
だがこれではっきりした。
「池先輩ありがとうございます!」
晴れ晴れとした顔で一礼する。俺がすべき事が分かった気がする。
「なんだか男前な顔してるね」
笑いながら池先輩は言うと腕時計を見ながら「そろそろ時間」とばかりに自転車のペダルに足をかけた。俺はもう一度深々とお辞儀をする。
背を向けた池先輩に俺は何か聞くことがあったような……
(あ……志野宮の依頼)
すっかり忘れていたがどうせ会ったついでだ、今ここで聞いておこう。
「そういえば池先輩って彼女いるんすか?」
急に呼び止めた俺に対して自転車のサドルに腰を落としたまま池先輩が振り向く。
「おっ急に恋話か! いいね! ちなみにいないぞ」
お? 意外だな。容姿も性格もよくスポーツ万能の池先輩に彼女がいないとは。これは志野宮チャンスじゃないか?
「へー意外ですね」
「あぁ中々いないんだよ」
「何がですか?」
「処女だ」
ん?
「えーと。何がですか?」
「聞こえなかったか? 処女だ。俺は処女厨だからな。処女以外と付き合う気はない」
「……」
「俺は処女厨だ」
大事な事なので2回言ってくれたようだ。
「ああ、でも中学生は対象外だから安心してくれよ。See you!」
そう言うと勢いよくペダルを踏み込みあっという間に見えなくなった。俺は全てをぶち壊されたような微妙な気持ちのまま神並神社に歩を進めるのだった。




