2
「瑠……瑠璃華がしゃべった……?」
キョトンとした瞳でさーやはドールの瑠璃華に話しかけた。
それはある意味、今まで瑠璃華に接した時とあまり変わりない光景だった。
瑠璃華はお父さんがプロの漫画家に成り立ての頃に、秋葉原のドール専門店で買ったドールだった。
長い黒髪と少したれ目で優しげな微笑みが特徴的なドール。
さーやが初めてお父さんの机の片隅でちょこんと座っている姿を見た時からずっと欲しいと言っていたが、お父さんは大切なものだからといって触ることさえ許してはくれなかった。
さーやが思うほどさーやに対して甘いあのお父さんが、それほどまでに大切にしているドール。
お父さんはその瑠璃華を去年の誕生日にプレゼントしてくれたのだ。
それから、瑠璃華はさーやの一番の友達で、お父さんと同じように大切にしてきた。
「――あの、あまり驚かないでください。ワタシは決して怪しいものでは――」
「心が宿ったのね! 瑠璃華!!」
「――わっ」
さーやは思いきり瑠璃華を抱きしめてそう言った。
「さーやはずっっっっっと、こうして瑠璃華と話したいと思ってたんだよ!?」
喜びながら瑠璃華を掲げる。
「あ……あの……驚かないんですか?」
「どうして?」
「いえ……だって、ワタシが言うのもなんですが……人形がしゃべってるんですよ?」
「それって驚くこと? 漫画やアニメの中じゃよくあることじゃない」
さーやに言葉をかけた瑠璃華の方が、なぜか驚いているかのように顔を強張らせていた。
「ア……アハハ……。やはり、あなたはワタシたちの世界を救う救世主なのかも知れません」
「――救世主? なにそれ面白そう!!」
瑠璃華の言ったことが益々、さーやの心を躍らせた。
「……もはやツッコミを入れる気にもなりませんね。そう思えてしまえるところが、あなたのすごいところです」
「ねえ、瑠璃華。さっきから“あなた”って言ってるけど、さーやのことは名前で呼んでくれないの?」
「あ……そうですね……。改めてあいさつをさせていただきたいので、できれば降ろしていただけますか」
「うん」
さーやは瑠璃華の頼みを素直に聞いた。
床だとしゃがまなければならないので、瑠璃華を机に降ろす。
「改めまして。ワタシは二次元世界の妖精。ワタシたちの世界を純粋に想う人の心に命を与えられた妖精なのです」
「二次元世界の妖精?」
「はい。この三次元世界においては架空とされるワタシたちの世界から、感動や感情を得られるのはワタシたちのような妖精が二次元世界に宿っているからなのです」
「ふーん」
「ですからあの……」
瑠璃華はそこまで言ったところで言葉をつまらせた。
「なあに? 言いたいことがあったらはっきり言って?」
「……はい、ワタシは正確にはこのドール……瑠璃華ではなくて……」
「妖精が宿っているのね? だったら、妖精さんのお名前は?」
「申し訳ありません。ワタシたち妖精には名前はないのです」
「だったら……瑠璃華。ううん、区別付けるためにもルリカでいいんじゃないかな」
「そう……ですね。その方が読者の方にもわかりやすいかも知れません」
「それじゃ、さーやも自己紹介するね。別当小学校四年一組、小山内紗亜弥。友達とかお父さんからは“さーや”って呼ばれてるから、ルリカもそう呼んで欲しいな」
さーやはほほ笑みながらルリカに手を差し出した。
「はい、さーやさん」
ルリカはさーやの手を全身で抱きしめる。
それがさーやとルリカの握手だった。
「ねえ、ルリカが二次元世界の妖精だとしたら、どうしてさーやたちの世界に来たの?」
「……さーやさんは本当に小学生なんですか? まさか、体は子供で頭脳は大人――じゃ、ありませんよね?」
「大丈夫、さーやはただのオタクだよ。名探偵じゃないわ」
「それにしては理解が早くて……。ワタシとしては助かりますが」
ぶつぶつ独り言のようにつぶやいたが、ルリカは話を戻した。
「ワタシがこの三次元世界に来たのは、理由があります。それはさっき言った、ワタシたちが存在する二次元世界を救うということにも関わりがあることなのです」
「さーやが救世主だっていう話ね」
瞳を輝かせて言うさーやに、ルリカは少し戸惑っていた。
「は、はい。では順を追ってお話しします」
――ルリカは、さーやたちの世界に来なければならなくなった理由を説明してくれた。
本来、二次元世界は純粋な想いで満たされているはずだった。
漫画やアニメが純粋にそれを楽しむために存在するものであるように。
しかし、人間の偏見やその世界に対する誤解が、その想いを穢し、それによって二次元世界に悪意が芽生えてしまったのだ。
悪意はやがて二次元世界に存在する妖精たちに影響を与えてしまい、妖精たちは次々に悪意に染まってしまった。
悪の妖精はさらなる悪意で二次元の世界を満たすために、悪意の源であった三次元世界にやってきて人間の心を支配しようしているらしい。
ルリカは悪の妖精による人間世界の支配を止めるため、純粋な心を持った妖精の力を結集させて何とかこの三次元世界へとやってきたのだった。
「ですが、三次元世界というのはそれだけでワタシたちの存在を強く否定してしまう。ワタシたち二次元世界の妖精は三次元世界では体を保つことができないのです」
「それで、瑠璃華に宿ったの?」
「はい、この体は純粋にワタシたちの世界を想う強い心で満たされていましたから」
お父さんからさーやへ、親子二代にわたって大切に扱っていたからかも知れない。
二人揃って瑠璃華のことは溺愛してきたのだから。
「ドール自体がワタシたちの世界とは相性がよいのだと思いますが、さーやさんたちの純粋に二次元世界を愛する想いが、ワタシを導いてくれたのだと思います」
「ルリカがこの世界に来たのはわかったけど、さーやが救世主っていうのは?」
「はい、実はそれが最も重要なことなのですが……」
ルリカは伏し目がちになって、再び口をつぐんだ。
「ルリカ、さーやとルリカは友達なんだから、遠慮なく言って?」
「それは瑠璃華のことではありませんか?」
「同じことだよ」
「――わかりました。ワタシのことを理解していただける協力者は一人でも多く欲しいので、お話しします」
ルリカの瞳に力が宿ったような気がした。
その真剣な眼差しに、さーやにも緊張感が走る。
「ワタシの目的は三次元世界に紛れ込んだ悪の妖精を退治することです」
「うん……」
さーやはごくりとつばを飲み込んだ。
ルリカはさらに言葉を続ける。
「ワタシは……いや、ワタシたち妖精は三次元世界ではできることに限りがあります。そこで、二次元世界を純粋に想う心の持ち主と心を一つにさせて共に戦う力を得なければならないのです」
「二次元世界を純粋に想う心……? それって、漫画とかアニメとかが好きってことだよね?」
「はい……」
なぜか少しだけ申し訳なさそうにルリカは答えた。
「それって……さーやのことじゃない?」
さーやの問いかけに、ルリカはただうつむいた。
「本当に、さーやのことなの!?」
答えてくれないルリカを急かすように、さーやは強くルリカを揺さぶった。
小学生の力でも、ドールであるルリカには強い力だったのかも知れない。
「落ち着いてください、さーやさん!」
珍しくルリカが大きな声を上げた。
「さーやさんには確かに強い力を感じられます。できることならワタシたちの世界を救って欲しいです。ですが……さーやさんはまだ小学生じゃありませんか。そんなあなたを危ない目に遭わせるようなことはできません。ただ、適任者を見つけるまで協力していただけたらと……」
「やだ」
「……え……」
さーやのはっきりとした答えに、ルリカはうろたえていた。
「さーやじゃダメなの? さーやは誰よりも二次元の世界が大好きだよ」
さーやは関わることを拒絶したわけではなかった。
ただの協力者になるのが面白くなかっただけ。
友達が困っているのは放っておけないし……何より、共に戦うってところが楽しそうだったから。
そんな美味しい役どころを他の誰かに譲るなんて絶対に嫌だった。
「あの、さーやさん? 遊びではないんですよ?」
「むしろ、遊ぶことより面白そうだけど」
「………………」
ルリカはさーやが断った理由を知って唖然としていた。
「……ルリカはさ、どうしてさーやのところに現れたの?」
「え?」
突然話が変わったことに驚いたのか、少し考え事をしてからルリカは答えた。
「それは……一週間ほど前の話になるのですが、ワタシは三次元世界の強い拒絶反応によって意識を失いかけていたのです」
「……一週間前っていうと、ちょうどコミ市の時ね」
「かすかな意識の中、世界を彷徨っていたら、ものすごい数の二次元を愛する想いを見つけまして、そこで一際強く純粋な輝きを放っていたのがさーやさんたち親子だったのです」
ルリカの話を聞いて、さーやは一つの結論を得た。
そして、不敵に笑いながらルリカを見下ろす。
「な、なんでしょう?」
「だったら、やっぱりこの世界でさーや以上の救世主は存在しないわ」
「ど、どうしてそう言いきれるのですか?」
「ルリカはこの世界のことを知らなかったからわからなかったのかも知れないけど、ルリカが見つけたのは世界最大の二次元の祭典が行われていた会場なの」
「せ、世界最大の二次元の祭典……?」
「世界中から二次元世界を愛する者が集まるその場所で、一番強い輝きを放っていたのがさーやだったって、今認めたのよ」
「――――!?」
さーやは今まで以上に真剣な瞳でルリカに迫った。
「さーやは確かに小学生で頼りないかも知れないけど、誰よりも漫画やアニメ……二次元の世界を好きだって想ってるよ。さーやの好きな世界が救いを求めてるなら、さーやはどんなことだって協力するよ。それでも、さーやじゃダメなの?」
ルリカも同じようにさーやを見つめ返していた。
元がドールだから表情が変わることはないけど、真剣な眼差しであることはなぜだか伝わってきた。
「…………わかりました。きっと、さーやさんと出会ったのは、運命だったのでしょう。ですが、もう一度はっきりと言っておきます。これは遊びではありません。二次元世界の平和をかけた戦いなのだということを、忘れないでください」
「うん!!」
満面の笑みでさーやは大きく返事をした。