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 さーやのお父さんは漫画家だ。


 初めてそのことを知ったのは、五歳か四歳の時だと思う。

 幼稚園に行くようになって、友達ができたりして、世界はお父さんとさーやの二人だけじゃないってことを知るようになってから。


 物心ついたときには……ううん、さーやが生まれたときからずっとお父さんが側にいた。

 それが当たり前で世界は二人だけのような気になっていた。

 他の知らない人たちはみんな別の世界にいるような感じ。

 何って言ったらいいんだろう。


 ――そう、アニメや漫画で背景に描かれている人みたいな。

 背景が寂しいから描かれてるだけの、主人公たちにはまったく関係のない存在。

 でも、当たり前だけど世界はさーやたち二人だけじゃなかった。

 背景の人たちにも、ちゃんと名前があってキャラクターの設定があるんだって、幼稚園に通うようになってから知った。

 そして外の世界を知れば知る程さーやとお父さんの置かれてる状況がちょっと普通とは違うって気付かされた。


 まず、さーやにはお母さんがいなかった。

 ……これをお父さんに聞いたら少しだけ泣いていた。

 その時、幼いながらも聞いてはいけないことを聞いてしまったんだと直感的に思った。

 だって、お父さんが泣くなんてただ事じゃないって思う。

 さーやが謝って誤魔化そうとしたら、お父さんはお母さんのことを教えてくれた。

 その話を聞いて、一つ思い違いをしていたことにも気付かされた。

 生まれたときからずっと側にいたのは、お父さんだけじゃなくてお母さんも一緒だったんだってこと。

 物心ついたときはもういなかったから、最初からいないものだと思ってた。

 お母さんがいなければ、さーやは生まれていなかったのに。


 それからお父さんはいろんなことを教えてくれた。

 お父さんの好きなこと。

 お父さんの嫌いなこと。

 お父さんとお母さんのこと。

 お父さんの仕事。


 ただ……何を描いているのかだけは決して教えてくれなかった。

 きっと今でもさーやが知らないと思っているはず。

 さーやも何も知らないふりをしている。

 何となく、さーやが全部知っていると言ったら、お母さんのことを聞いたときよりもお父さんがショックをうそうな気がして。


 お父さんが漫画家だと知ったとき、ジャンプに連載を抱えるようなすごい漫画家じゃないってことくらいは想像できた。

 世の中にそんな都合のいい話なんてない。

 何より、あれだけ有名な漫画家ならもっとこう……高そうな家に住んでるんじゃないかなって、それくらいわかる。

 何度か聞いてみて、たまに家に来る編集の人にも聞いてみたけど教えてくれることはなかった。

 黙って調べようと思っても、お父さんの仕事部屋にはもちろんお父さんがいるわけで調べることもできなかった。

 お父さんはさーやの様子を気にしていたし、気を遣っていたみたいだけど、夜起きて仕事をしたり朝さーやが学校に行くときに寝ていたりメチャクチャな生活をしてたから油断していたんだと思う。

 ちょうど一年くらい前に描きかけの漫画を放置したまま寝てることがあった。

 寝ているお父さんに布団を掛けてあげようと思って部屋に入ったときに、見てしまった。


 ……そりゃ、少しはショックを受けたけど、隠すようなことかなって思ってる。

 お父さんが仕事をしてそのお金でさーやは今まで特に不自由もなく生きてこれた。

 そのことに感謝をすることがあっても、落ち込むようなことはないのだ。仕事の内容がエッチな漫画だったとしてもね。

 それどころか、むしろ友達やクラスメートたちよりある意味じゃ恵まれた環境にさえあると思う。


 お父さんはいわゆるオタクだった。

 好きなものは漫画にアニメにゲームにフィギュアに……。

 さーやの家はほとんど全ての部屋にそういったものがある。

 普通の親だったら、どんなに欲しがっても本棚に入りきらない程の漫画や、遊びきれない程のゲームなんて買ってはくれないはず。

 アニメを見るのでさえ一日一時間とか、制限があったりするらしい。

 さーやは物心ついたときには、自由に漫画を読みアニメを見てゲームで遊んでいた。

 それらはあるのが当たり前で空気のようなもの。

 お父さんもそういうのがなかったら生きてこられなかったっていってたし。

 さーやも同じ。

 さーやの体と心は漫画やアニメやゲームが育ててくれたと思う。

 だから、オタクなお父さんはさーやの誇りで自慢で……尊敬する一番大切な家族。


 お母さんが生きてたら、もっと違うものが好きになったりしてたんだろうか?

 たぶん、そんなことはないだろうな。

 お父さんとお母さんは幼なじみで、それこそさーやよりももっと小さい頃から一緒に遊んでいたらしいし、きっとお母さんもオタクだったはず。

 お父さんは気がついたらオタクになっていたって言ったけど、さーやは生まれる前からそうなることが決まっていたんだ。

 今はまだお父さんに教えてもらうことの方が多いけど、いつかきっとお父さんに教えられるくらいのオタクになるんだ。




「ただいまー」

 そう言ってお父さんの仕事部屋のドアを開けると、古いケータイの画面を見ながらにやけていた。

「おかえり、っていうか早いな」

 仕事用の椅子に座ったままお父さんは振り返ってそう言った。


「だって、今日は一学期の終業式の日だよ。明日から夏休みなんだから早くて当然だよ」

「ああ、そっか。そういやそうだな……」

「それで、何を見てたの?」

 今お父さんが使っているケータイはスマホで、古い二つ折りのケータイを見る意味がわからなかった。

 取り上げて見てみようと思ったら、お父さんはさーやの手から逃げるようにケータイを掲げて言った。


「それよりも、まずは俺に見せるものがあるだろ?」

「さーやが?」

 何を、と言い返そうとしたらどや顔でお父さんが言葉を続けた。

「終業式の日に必ず渡される物だよ」

「ああ! 通知表のこと?」


 お父さんはあまり勉強に関してうるさくない。

 テストでどんな点数をとっても、そのことで怒ったりはしない。

 だからといってさーやの点数がそれほどひどいわけではないけど。

 とにかく今まで一度も学校の成績に関して何かを言ったことはなかった。

 そういうの、興味がないのかと思ってたけど……。

 三年生になったから気にするようにしたのかな。


「はい。その代わりそのケータイ見せて」

 さーやは背中に背負ったままだったランドセルから通知票を出し、右手でそれを渡しながら左手の平をお父さんに向けた。

「……別にたいしたものじゃないけどな」

 そう言いながらお互い手に持っていたものを交換する。

 二つ折りのケータイの待ち受け画面には赤ちゃんのさーやを抱いた、お母さんが写っていた。

 茶色がかった長い髪と二重のつぶらな瞳が、まるでさーやとそっくりだった。

 ……いや、さーやがお母さんにそっくりなのか。


「おおっ、国語と体育が3じゃん。去年よか良くなったな」

 そう言ってお父さんがさーやの頭を撫でた。

 ちょっと嬉しい。

「エヘヘ……去年まではオール2だったもんね」

「まあ、良ければ将来の選択肢は増えるだろうが、だからといってあんまり気にすんな。社会に出たら学校での成績なんて役に立たないから。特にさーやの場合は漫画家を目指してるわけだし」


 さーやの夢は漫画家だった。

 お父さんが漫画家だから同じ仕事をしてみたいって気持ちもないわけじゃない。

 でも、それ以上に好きなものを仕事にできたら楽しいだろうなって、お父さんを見ていて思ったのだ。

 最近は、仕事よりも趣味の方が充実しているみたいだけど。


「そういえば、今度の夏コミって何描くか決まったの?」

 趣味で思い出した。

 お父さんはプロの漫画家だけど、同人作家としての方が売り上げが良いみたい。

 同人作家って言うのは、同人誌を描く人のことで、同人誌って言うのはいわゆる二次創作のこと。

 同人誌は基本的に原作者が描いたものじゃなくて、そのファンが作品を好きだから描くもの。

 そういう漫画とかは普通の本屋では取り扱ってなくて、主に同人誌即売会ってところで直接描いた人が売っている。

 今は同人誌を取り扱っているお店もあるから、即売会に行かなくても買うことはできる。

 ただ、年に二回だけ開かれる日本……いや世界最大級の同人誌即売会――コミック市場(略してコミ市)はその規模と参加者の多さからオタクにとって外せないイベントだった。

 お父さんはそこで同人誌を売る側であり、同時に買う側でもある。

 もちろん、さーやもお父さんの手伝いとして売る側だし、買う側としても楽しみにしている。


「ああ、今年も去年と同じ。“なのは”本だよ」

「じゃあ、やっぱりコスプレも“なのは”合わせかなぁ」

 さーやにとってコミ市の楽しみはもう一つあった。

 コスプレである。

 初めて参加した6歳の時から毎回コスプレをしている。

 お父さんがコスプレイヤーとしてのさーやの活動をホームページで紹介していて、一部ではちょっと有名だったりする。

 そのお陰で、去年の夏コミでは大学生のコスプレイヤーのお姉さんと友達になれた。

 最初はその時に好きな作品のコスプレをしていたんだけど、お父さんの手伝いをするから、その漫画のジャンルのコスプレをすることにしたのだ。

 ……その方が売れ行きがいいしね。

 と言うわけで、今年の夏コミはお父さんの描く同人誌のジャンルで大学生のお姉さんと合わせをすることにしていた。

 さっそく後で連絡しよう。


 それよりも気になることが一つあった。

「ねえ、お父さん。原稿真っ白だけど……確か夏コミの入稿ってもう一週間なかったよね? お母さんの写真見てる場合なのかなぁ」

「――う!」

「入稿締め切り過ぎちゃうと割増料金になるんでしょ? それじゃ、利益率が下がるんじゃない?」

「……さーや、いつの間にそんな専門用語を覚えた?」

「お父さんの娘なんだから、生まれる前から身についてたんじゃないかな」

「いろんな意味で将来が楽しみだな」

「ありがと。じゃあ夏コミ新刊がんばってね。さーやたちの生活がかかってるんだから」

「ああ、任せておけ。俺は追い詰められてから本領を発揮するタイプなんだ」

「それ、漫画の主人公としては面白いけど、現実ではもっと堅実な人の方がいいよね」

「……さーや、頼むからこれ以上俺のモチベーションを下げないでくれるか」

「はいはい。今日の夕飯はさーやが用意するから、楽しみにしててね」

「おお! それだよそれ、そういうのが俺のモチベーションを高めてくれるんだ」

 そう言って原稿に取りかかってくれたので、さーやは安心してお父さんの仕事部屋を後にした。




 ――こうして、さーやの夏休みは始まった。

 今年の夏休みも、熱く楽しい夏休みなりそうな予感がした。

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