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ワタシたちはただ、そこにあるだけの存在だった。
本来、ワタシたち自身には善も悪もなかった。
受け手がワタシたちに触れて、心を動かすことは自然なこと。
それにしたって、喜怒哀楽という感情を与えるに過ぎない。
――なのに、いつの間にか受け手たちはまるでワタシたちが悪であるかのように扱う。
もちろん、ワタシたちのことを真に理解する受け手もいる。
その受け手たちがいなければワタシたちの世界はとっくに闇に覆われていたはずだから。
しかし、ワタシたちを正しく理解する受け手たちは言われなき誹謗中傷をはね返すだけの力を持っていなかった。
一番の理由は、ワタシたちのことを正しく理解する受け手の数が圧倒的に少なかったから。
受け手たちの世界では数こそが正義。
そこには善も悪もない。
おかしな話だ。
ワタシたちの世界にも受け手の世界にも真の意味においての善と悪はない。
にもかかわらず、悪意ある受け手たちが揃ってワタシたちを悪にしようとする。
ワタシたちの存在が受け手に悪い影響を与えて行動させるのだと宣伝する。
善と悪を決めるのは受け手たちの世界だ。
……いや、正確には受け手たちの世界の数こそがそれを決めるのだ。
受け手たちの多数がワタシたちを悪だと決めつければ、本来はどちらでもないはずなのに――いや、どちらでもないからこそその印象に染まってしまうのかも知れない。
そして、今やその影響はワタシたちの世界にも及んできている。
悪意に触れてしまったワタシたちの仲間が、その力に引き込まれているのだ。
圧倒的な数の力の前にワタシたちの世界は大きく変容しようとしている。
ワタシたちは確かに受け手の心を動かすことがあるだろう。
そういう意思と意図を持って生み出されたものもいる。
だけど、感情だけが受け手の世界を動かすのならば、理性というものはない。
理性がない世界ならば……きっとワタシたちが生まれることはなかった。
ワタシたちが多様な在り方を得たのは、ひとえに文化と理性が高度に成熟したからだと思う。
ワタシが知る限り、文化に足枷を強いている世界にはワタシたちほど多様なものは生まれていない。
自由を標榜する世界でさえ、足枷に囚われてワタシたちほど受け手の心に多様な感情を与えることができないのだから。
同じように、理性のない世界ならばそもそも文化自体が育つことはない。
本能と感情だけが支配する世界に、文化が入り込む余地はない。
つまり、ワタシたちが存在するという時点で受け手の世界は文化と理性が高度に成熟していると言える。
その世界において、ワタシたちが受け手の行動に影響を与えられるのかというと、それほどの力はないのだ。
現に、ワタシたちを悪者にしたいものの行動を変えたくても変えることができないように。
しかし、ワタシたちの世界の変容は、その本来の在り方さえ変えようとしている。
悪意に染まったワタシたちの仲間が、受け手たちの世界へ赴き、さらに大きな悪意をワタシたちの世界へ呼び込もうとしている。
このままでは……いずれワタシたちの世界は……。
ただ、少し救われるのは少ないながらもワタシたちの本質を理解し、どんなに悪い印象を与えられても変わらず私たちを愛してくれる受け手がいるということ。
ワタシは、ワタシたちを愛してくれている受け手たちに伝えなければならない。
……誰か……。
…………世界を……救って――。
このままでは……。
ワタシ……たちは……。
負の感情に――。
の み こ ま れ て し ま う。
――この声が聞こえる誰か――。
――お願い。
ワタシたちの世界を救って――!!