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お母さんは物心つく前に亡くなってしまったので、さーやにとってはいないことが当たり前だった。
それを寂しいと思うことさえなかった。
だって、いないと思ってる人のことを思って悲しむなんて、できない。
実感がないんだもの。
だから、お父さんが仕事で家事ができないときは、さーやが代わりにやっていた。
お父さんの仕事柄、集中してるときは何も手につかないし。
授業参観のこの日も、お父さんがいつ帰ってくるのかわからなかったから、取り敢えず昼食に焼きそばを食べて、録画しておいたスーパーヒーロータイムとプリキュアを見た。
その後、食器を片付けて、洗濯物を取り込む。
「……信志さん、遅いですね」
洗濯物を畳んでいると、窓から外を見ながらルリカがそう言った。
……時計を見ると午後三時を過ぎていた。
確かに遅い。
懇談会が何をやるのか知らないから想像できないけど、お父さんたちは昼食だって食べてなかったはず。
それで三時間以上も……。
「翔華ちゃんに電話してみようかな……」
翔華ちゃんの親は毎回授業参観に来ていたから、何か知っているかも知れない。
このままだと夕食の準備も始めないといけない時間になってしまうし。
「ただいまー」
さーやが電話をかけるために部屋を出たとき、元気な男の子の声が玄関の方から聞こえてきた。
……お父さんの声にしては、妙に声が高かったような気がするけど……。
少し不安に思いながら、一階に降りる。
玄関にはすでに誰の姿もなく、小学生が履くくらいの小さな靴が脱ぎ捨てられていた。
「これって……」
「さーやさん、何か妙な胸騒ぎがします」
後を追ってきたさーやがそう言ってくれたので、さーやも確信した。
ガサゴソと台所の方から物音が聞こえてきた。
さーやとルリカは顔を見合わせ、静かに頷くと足音を立てないように台所へ近づく。
台所の入り口から中を覗くが、誰の姿もない。
物音だけが聞こえてくる。
「さーやさん、ワタシが上から確認します」
「うん、お願い」
お互い小声で言うと、ルリカは台所の天井付近まで飛び上がり、そこから台所を一周した。
そして、台所の片隅で止まると、下を指差した。
あの辺りは確か……お菓子が置いてあったはず。
さーやは物陰に隠れながら、その辺りを見た。
――すると、そこにはさーやと同じ小学生くらいの男の子がいた。
「だ、誰?」
「ん?」
思わず声を出してしまったさーやに、少年は振り返った。
――ドキン、と心が飛び上がりそうになった。
それは、さっきまでの違和感に対するドキドキとはまったく違う感覚。
胸の奥を射貫かれたような……。
まるで少女コミックのヒロインのように。
これが“初恋”なのかな。
特別格好いいわけでもない、どちらかというとそれほど特徴のある少年ではない。
というか、得体の知れない少年なのに。
少年の真っ直ぐで純粋な眼差しに、さーやの心が惹かれていた。
「おお、さーやじゃねーか。ただいま。ってゆーか、遅くなって悪かったな」
「――――え?」
胸のトキメキは一瞬で終わりを告げた。
それよりも、衝撃的な事実に気がついてしまったから。
誰よりも好きだから、話し方一つで気づいた。
「ま、まさか……お父さん!?」
「は? 何言ってんだよ、当たり前じゃねーか」
さーやが一目惚れしかけたその少年は、事も無げにそう言った。
「ど、どうしてそんな姿になっちゃったの!?」
「……何のことだ?」
「おかしいと思わないの? お父さん、さーやと同じくらいの背なんだよ!?」
「ん? そう言えばそうだな。でもこれはこれでいいじゃねーか」
「よくはないでしょ!?」
まるで話が通じない。
おかしなことになってるのに、お父さんはまるでそのことに気がついていない。
「さ、さーやさん! これは、悪の妖精の仕業です!」
困惑するさーやのところへルリカが降りてきてそう言った。
「あ、そっか。そりゃそうだよね」
驚いてしまったことが恥ずかしかった。
不思議なことにはすでに出会っているのに。
「さーやさんにも、常識的な考え方が残っていたんですね」
ルリカがなぜかホッとしていた。
「改めて言わなくてもいいじゃない。お父さんが被害に遭うと思ってなかったからビックリしちゃっただけ」
「さてと、寝るかな……」
さーやたちのことを気にかけるでもなく、少年のお父さんはそう言って台所から出て行こうとした。
「ちょ、ちょっと待って」
慌てて呼び止めたものの、どうすればいいのかわからなかった。
「なんだよ、俺はここんところずっと徹夜だったから眠いんだぜ?」
それは言われなくてもわかってる。
さーやの授業参観のためにがんばってくれたことは。
できればすぐにでも寝かせてあげたい。
でも、元の姿に戻さないことには、そういうわけにもいかない。
「ル、ルリカ。さーやは何をすればいいの?」
「そうですね、まずは信志さんをこんな姿にした者の正体を調べましょう」
さーやは頷いて、少年のお父さんに詰め寄った。
「ねえ、お父さん。お父さんをこんな姿にしてしまったのは誰?」
「んーーーーーーーー……、覚えてない」
「それじゃ困るのよ。何とか思い出してよ!」
「そう言われてもなぁ……」
眠そうに目を擦るだけで、思い出す気がないのか覚えていないのか……。
「あの……信志さんは懇談会のために教室に残って、ずっとそこにいたのですか?」
「ああ、そうだよ」
「さーやさん、ということは……」
ルリカの質問のお陰で、やっと敵に少しだけ近づけた。
「その懇談会で何かが起こったっていうこと?」
「はい、おそらく」
「……ところでよう、さっきから俺のことお父さんって呼んでるけど、お前誰だ?」
「――は? な、何言ってるの? さーやはさーやだよ。お父さんの娘じゃない」
「……? そうだったっけっか?」
お父さんが訝しげな表情を向ける。
お父さんのこんな表情、見たこともなかった。
「ルリカ、どうなってるの?」
「ど、どうやら子供になってしまった影響で、徐々に大人としての記憶が失われているようです」
「どうしたら元に戻せるの!?」
「それは決まっています。信志さんをこんな姿に変えてしまった悪の妖精を倒せば――」
「なーんだ、そんな簡単なことでいいんだ」
少し安心した。
一生このままじゃ、どうしようかと思った。
……まあ、このお父さんも嫌いじゃないけど。
でも、大人としての記憶を失ったら仕事は続けられないし、そうしたら子供二人で生きていくなんて無理だ。
「ふわぁああ……」
気怠そうに欠伸をすると、少年のお父さんはふらつきながら階段の方へ向かった。
「さーやさん、ワタシたちは一度学校に行きましょう」
「うん!」
学校で何かがあったことは間違いない。
さっきまでの不安感はもうなかった。
それよりも、ワクワクしてる。
やっと、戦えるんだ。
――魔法オタク少女ロリータサーヤ、として――。
被害に遭っている人が身近にいるのに、不謹慎かも知れないけど、さーやは待ちわびていたものがやっと来てくれたような気持ちだった。
「お父さん、待ってて。すぐに元の姿に戻してあげるから!」
そう言って、さーやはルリカと一緒に家を飛び出した。