3.
リエルが即座にゼフの腕を掴み、強引に引き戻した。
「デュード……」
「何だよ。何を見た?」
「デュード……!」
「言えって! 何が起きた!」
「メイドがガキを殺した! 逃げるぞ!」
リエルがゼフの腕を引いて走り出す。同時に、緑髪のメイドが人間離れした速度で突進してきて――地下の壁へ激突した。
ドンッ。
間一髪。二人は階段へ駆け上がる。
「待て。お前、あいつらが少年を殺したのを見たんだな? 俺に助けを求めた、あの少年を?」
「助けを求めたって?」
「昨日の夜だ。俺に縋って、助けてくれって――それで引きずられた」
「どっちにしろ、三人で始末した。次は俺らだ!」
階段の上に、慈凪が立っていた。
肌は――幽霊そのものの、白く透けた質感。
「待――!」
リエルが悲鳴を上げ、足を滑らせる。ゼフごと階段を転げ落ちた。
「いってぇ……」リエルが呻く。
「今、床か?」ゼフが問う。
リエルがゼフを引き起こす。その前に、三体の幽霊が現れ、二人を囲んだ。
「……デュード。これ、詰んだかも」
幽霊たちが、じりじりと距離を詰める。
「三人の可愛いメイドに殺されるなら、最悪の死に方じゃない!」ゼフが言い放つ。「ビビるな!」
「今それ言うタイミングじゃねえ!」
護里が近づいた。赤い目が妖しく光る。
「言ったはず。そこに近づくな、と」
護里は二人の首を片手ずつで掴み、宙へ持ち上げる。顔が、すぐ近くに迫った。
「自分で招いたのよ」
次の瞬間――二人は床へ叩きつけられた。
視界が、真っ黒に沈む。
*
――???
リエルとゼフが目を覚ますと、二人は椅子に縛り付けられていた。
薄暗いオフィス。正面には、あの三人。
今度は巨大なTシャツを着ているだけで、他は何も身につけていない。肌は青白く、透けている。
「……俺ら、死んだ?」リエルが喉を鳴らす。
「質問するのは私」護里が低く言った。
「尋問は初めてだ」ゼフが口角を上げる。「楽しみだな」
護里がゼフの椅子を蹴り飛ばし、向きを無理やり変えた。
「なぜここに来た」
「具体的に。地下のことか?」
「この家よ。なぜこの家に来た」
「ああ」ゼフは肩をすくめる。「手紙だ。父が遺産を相続させたい、って。以上」
「あなたの父……」護里は二人の周りを歩きながら、何かを測るように呟く。
「ここからが詰問タイムか?」ゼフが言う。
護里が睨みつける。
「おい」リエルが小声で警告する。「相手、幽霊だぞ」
「まあ、俺には見えない」ゼフが平然と言う。
「その通り」護里が淡々と肯定した。「私たちは幽霊。もう生きていない」
「なるほど」ゼフが言う。「死んでるのに、どうしてメイドとして機能してる?」
「それが……私たちの仕事だったから……」慈凪が小さく言う。「死ぬ前から……」
「死んでどれくらい?」
「……何十年も……」
リエルが首を伸ばす。
「で、なんで三人いるんだ?」
緑髪の少女が手を挙げた。
「はーい! あたし、飢呑! 外のこと担当! 遊ぼ!」
慈凪が飢呑の耳元で何かを囁く。護里はなおも兄弟を値踏みするように見ていた。
「あなたたちは……“あいつら”じゃないの?」
「あいつら?」ゼフが眉を上げる。「待て。なら、なんであの少年を殺した」
「……マスク……」護里が呟く。「マスクの連中の……」
「もう少し具体的に頼む」ゼフが言う。「甘い子ちゃん」
護里の目が吊り上がる。
「その呼び方、やめろ!」
「了解。好みは尊重する」
護里は深く息を吸った。
「……閉じ込められた。痛めつけられた。利用された」
護里は月の扉の方へ顎をしゃくる。
「扉は、あいつらのもの」
「“私たち”って、何人くらい?」ゼフが聞く。
「……大勢」
慈凪が不安そうに腕を擦る。
「見られてしまって……ごめんなさい。マスクの連中……もう耐えられなくて……」
「まだ情報が足りない」ゼフが言う。「で――俺の両親は?」
護里がゼフを指さした。
「あなたの両親……マスクと関わってた」
ゼフが少し身を乗り出す。
「じゃあ、お前らが復讐で二人を殺して隠した、と?」
三人が一斉に後ずさり、首を振った。
「違う」護里が言う。「私は……何が起きたか知らない」
「へえ。信じろって?」ゼフが鼻で笑う。「で、結局お前らは何がしたい」
護里の視線が、ゼフのポケットに戻った。護符が、いつの間にか戻っている。
「……あなた、護符を持ってる。私たちを解放できる?」
「解放? どういう意味だ」
「ここに縛られてるの!」飢呑がけらけら笑う。「外に出られないし、永遠にメイド! 最悪!」
「それは……きついな」リエルが言う。「でも、だからって子どもを殺していい理由にはならない」
「あの子は邪悪だった!」護里が叫ぶ。
「だからって首を切るのが普通の女の子のやることかよ!」
「私たちは普通じゃない!」護里が怒鳴り返す。「死んでるんだ、馬鹿!」
ゼフが咳払いをする。
「……俺は協力してもいい」
部屋が静まり返った。
「本当?」慈凪が小さく言う。
「来た理由の一つは、父の死の真相だ」ゼフは淡々と言う。「お前らが手伝う。俺が解放を探す。幽霊と組むのは普通に面白そうだし」
「お前、正気か?」リエルが割り込む。
「もし殺す気なら、今頃死んでる」ゼフが言う。「論理的に」
「……まだ決めてない」護里が呟いた。
「何だって?」
慈凪が護里の耳元へ必死に囁く。
「お姉ちゃん……お願い。私たち、もう何をしてもダメだった……!」
「……ふん。確かに」
護里は兄弟へ向き直った。
「取引成立よ」
「つまり」ゼフが言う。「仕事仲間だな」
「何それ」
「気にするな。じゃあ、自由にして」
護里は目を細めたあと、腕を一振りする。縄が裂け、拘束が落ちた。
「契約を破るな」
二人が立ち上がると、ゼフの護符がポケットから滑り落ちた。
「さて」ゼフが言う。「少しでも楽になる情報は? 何でもいい」
三人が視線を交わす。
「……えっと」慈凪が言葉を探す。「記憶が欠けてて……でも、火がいっぱいで……叫ぶ子どもが、たくさん……」
「いつだ?」
「……ずっと昔」
「マスクが来なくなった時期は覚えてない」護里が言う。「でもある日、私たちだけになった。“他のもの”と一緒に。腹が減って、獣みたいで……」
「わたしみたい!」飢呑が元気よく言う。
ゼフは顎に指を当てる。リエルがゼフを引っ張って小声で言った。
「頼む。何してるか分かってるんだよな?」
「分かってない」
「は?」
「幽霊の解放は知らない。やったことあるのは除霊だ。解放じゃない」
「嫌われるぞ……」
「適当にやる。科学はだいたいそう」
護里が腰に手を当てる。
「何を話してる」
ゼフが指を立てた。
「質問。昨夜、俺を眠らせたのは誰だ?」
慈凪が顔を赤くする。
「ごめんなさい……私です……」
「どうやった」
慈凪は胸に手を当てた。
「ここで起きた“酷いこと”のせいで……私たちは力を得ました。私は治癒と……それから、眠らせる力が……」
「じゃあ」リエルが言う。「飢呑は音速みたいに走れて、護里は片手で人を持ち上げられる」
「ふん」護里が鼻を鳴らす。
ゼフは両手を合わせた。
「つまり、お前らは他の扉に入れないんだな?」
三人が首を振る。
「やっぱりな。じゃあ、解決策がある」
三人が身を乗り出す。
「――マスクを見つける」
空気が凍った。
「……何?」護里が息を呑む。
「無理!」慈凪が叫ぶ。
「やだ!」飢呑が拒否する。
「それは俺も反対」リエルが即座に言う。「なんで殺人秘密結社を追うんだよ」
「理由は単純」ゼフが言う。「あいつらはお前らをこうした。戻し方、もしくは解放の方法を知ってる可能性が高い。母さんと父さんのこともな」
「居場所が分からない」護里が言う。「分からない方がいい」
「でも答えは要る」ゼフが言った。
全員がゼフを見た。
「どこから始める?」慈凪が震える声で言う。
「ここ、月の部屋だろ?」
「そう」護里が答える。「ただのオフィス。あなたの父がよく使っていた」
「オフィスには紙がある」ゼフが言う。「関係ありそうな書類、残ってないか」
「探してくる!」飢呑が手を挙げた。
飢呑は一瞬で部屋中を駆け回り、紙を一枚だけ持って戻ってきた。
「これだけ! リース契約書!」
「リエル、読めるか」
リエルが紙を受け取り、目を走らせた。
「……『この賃貸契約は、オトマール・オードと【黒塗り】の間で、期間10年――。日付:1986年』」
「父さんが誰かにこの家を貸した?」ゼフが言う。「誰に。なんで」
「マスクのやつらかもな」リエルが言う。「四十年前なら、実験でも何でもできる」
護里が冷たく言う。
「手がかりは?」
「住所だ」ゼフが言う。「リエル、住所は?」
「白川郷だって」リエルが答える。「遠いぞ」
「金ならある」ゼフが肩をすくめる。「冬服、用意できてるか?」
「お前、ほんと腹立つ時あるわ」
「荷造りしよう」
階段へ向かう二人に、護里が呼び止めた。
「待って。私たちは一緒に行けない。このままでは」
二人が振り返る。
「なんで?」リエルが問う。
「私たちは家に縛られてる」護里が言う。「魂を別の器に縛らない限り、ここから出られない」
「つまり?」ゼフが嫌な予感で眉を寄せる。
「あなたたちの肉体に、私たちの魂を結びつける」護里が言い切った。「ソウルバインドよ」
リエルがゼフを見て青ざめる。
「こいつら……融合したいってさ。幽霊と!」
「害はないよ!」慈凪が慌てて言う。「お互い得しかない!」
「どう得なんだよ」リエルが引きつった声で言う。
飢呑が笑って、指先を震わせる。
「どっちかがくっついたら、その人は私たちの力をちょっと使えるの! 楽しいよ!」
「……それは確かにカッコいい」リエルが小声で言ってしまう。
「問題?」護里が睨む。
「ない! ないです!」
「よし」護里が腕を組む。「三人いる。二人の人間に入るなら、二人は同居になる。私は単独。力が一番、制御が難しいから」
「待て」ゼフが言う。「まだ同意して――」
「してない」リエルも言う。「してないぞ!」
護里は二人の前を行ったり来たりし、ゼフを指さした。
「あなた。私はあなたがいい」
「……俺?」ゼフが首を傾げる。「なんで」
「もう一人は退屈。柔らかい」
「おい!」リエルが噛みつく。「俺はどっちでもねえ!」
慈凪と飢呑がリエルの腕をがしっと掴む。
「準備いい?」慈凪が聞く。
「楽しみ!」飢呑がはしゃぐ。
護里がゼフの腕を掴んだ。
「副作用は?」
「出たら分かる」
次の瞬間、三人の幽霊が光り始め、同じ言葉を唱える。
「魂の鎖! 魂の鎖!」
光が弾け、幽霊たちは兄弟の体へ吸い込まれた。
ゼフとリエルは床へ崩れ落ちる。
「……頭が……」
ゼフが起き上がる。
――見える。
「待て。視界が……なんで見える?」
頭の中に、護里の声が響いた。
『私の力。身体能力を底上げする。目も同じだろう』
「最高だ。完璧――」
『調子に乗るな。三十秒だけ。その後は“充電”が必要』
「くそ……いや、どれくらい?」
『数時間かもしれない。数日かもしれない。私は重い』
「何の文脈で?」
『……は?』
リエルも起き上がり、身体に妙な高揚を感じていた。
「おい、俺の頭の中、声が二つあるんだけど……静かにできない?」
『無理!』飢呑が楽しそうに笑う。
『ごめんなさい……』慈凪が申し訳なさそうに言う。『この子、よく喋るの』
ゼフはふと呟いた。
「……物を壊すには?」
『言え。“力の幽霊”』
「よし。力の幽霊!」
ゼフが床を殴りつける。
ドンッ。
反動でゼフもリエルも転がった。
「……おっと」
『殴る場所を選べ』護里が呆れた声で言う。
リエルが自分の手を見つめる。
「俺はどう使うんだ?」
『私のは“速さの幽霊”って言って!』飢呑が言う。
『私は……“活性の幽霊”です……』慈凪が付け足した。
「回復はいらないし……速さの幽霊!」
リエルは弾丸みたいに飛び出し、壁へ激突した。
「いってぇ……!」
頭の中で飢呑が爆笑する。
「笑うな!」
起き上がったリエルが言うと、幽霊の三人が“外”に姿を現した。
「待て。融合したんじゃないのか?」リエルが言う。
「うん。でも出てこられるの!」飢呑がけらけら笑う。「君たちのそばにいないとダメだけどね!」
飢呑がゼフの背中に飛びつき、ゼフが転ぶ。
「背中……やめろ……」
「それに、人間はいつでも替えられるよ!」飢呑が言う。
護里が腰に手を当て、吐き捨てるように言った。
「……不本意だけど。解放のためなら、白川郷へ行く」
「タクシー呼ぶ」リエルが言う。「絶対高い」
彼らが家を出るとき――誰も気づかなかった。
床に落ちたままの、月の護符。
そして換気口の奥から、一本の骸骨の手が伸びる。
護符を掴み、闇へ引きずり込んでいった。
……跡形も残さずに。
「……」
——




