2.
……
翌日――
ゼフはベッドの上で、自分の体を確かめるように動かしながら目を覚ました。
「頭がぐるぐるする……変な症状だな。昨夜は、本当に悪い夢でも見たのか?」
枕元の杖を掴み、ドアへ向かう。扉を開けた瞬間、慈凪の声が明るく飛んできた。
「おはようございます! よく眠れましたか?」
「まあな。でも昨夜はちょっと変だった」
慈凪が首を傾げる。
「変……って、どんなふうに?」
「記憶が正しければ、少年の悲鳴が聞こえて、引きずられて……それから女の声で眠らされた」
慈凪は頭を掻き、明らかに動揺した顔になる。
「あ、あはは! それなら私か護里が気づくはずです! きっと夢ですよ、夢!」
「……まあ、夢かもな」
「そ、そうです! 絶対に夢です!」
慈凪の呼吸が早くなっていくのが、ゼフにはわかった。
(今は嘘に合わせておくか。まだこの子を壊したくない……でも、慈凪は俺に隠してることが多すぎる)
そのとき、リエルが欠伸しながら部屋から出てきた。
「お。ゼフ、もう起きてんの? えっと……君、慈凪、だよな?」
慈凪は元気に頷いた。
「はい! 何かご用ですか?」
リエルは腹をさすりながら言う。
「朝飯ほしいかも……」
「わかりました! すぐ用意します!」
慈凪は階段を駆け下りる。リエルとゼフも後を追った。
一階に降りて、リエルがリビングのソファを見て目を丸くする。
「おい……ソファ、ピカピカじゃん。掃除したんだ」
「そりゃそうだろ。メイドだぞ」ゼフが言う。
「それでも、なんか……ありがたいな」
「まあ……な」
慈凪はコンロの前で料理を始めた。リエルは覗き込み、目を輝かせる。
「うお、これ……ステーキと寿司?」
慈凪が頷く。
「前の住人さんたちが、これ好きだったので!」
「前の住人……? 母さんと父さんってこと?」リエルが聞く。
慈凪の手が止まる。
「……は、はい! そ、そうです!」
ゼフが小さく笑った。
(また怪しい。簡単な問いに答えるのに、なんでそんな間ができる)
リエルが肘でゼフをつつく。
「何笑ってんだよ」
「人生」
慈凪は料理を仕上げ、皿とフォークを並べて二人に出した。
「ありがとう、助かる」リエルが言う。
慈凪は柔らかく笑った。
「……ああ、俺も。ありがと」ゼフが続ける。「で、俺の皿はどっちだ?」
慈凪がそっと皿を寄せる。
「ゼフの目の前ですよ!」
ゼフは手探りし、うっかり皿を倒してしまった。
「あ……悪い」
「大丈夫です! まだあります!」
慈凪が片付けようと身をかがめた瞬間、彼女の肌がゼフの手に触れた。
――冷たい。
(ん……?)
慈凪は黙って掃除を終え、新しい皿をゼフの前に置いた。
「なあ」ゼフが言う。「お前、ずっとメイドなのか?」
「物心ついたときから、ずっとです!」
「論理的に言えば、その前があるだろ。お前、二十歳くらいじゃないか?」
慈凪が固まって考える。
「わ、わたし……えっと……そ、そうです! 二十歳です!」
「じゃあ、何年からメイドなんだ?」
「お、覚えて……覚えてません……」
リエルが咳払いをした。
「まあまあ。個人的なことだし、無理に聞かなくても――」
「俺は聞きたい」ゼフが遮る。「可愛いメイドに世話される機会なんて、そうないからな」
「おい、デュード」
「とにかく! 私は何でもお手伝いします!」慈凪は必死に言った。「仕事は得意です! ちゃんとやれます!」
「うんうん。疑ってない」ゼフが言う。
(まったくな)
慈凪は少し離れた場所で、二人が食べるのをじっと見ていた。食後、皿を集めてシンクで洗い始める。
「親父、メイドがいるって言っといてくれたらよかったのに」リエルがため息をつく。「お前の世話する覚悟、ずいぶんしたぞ」
リエルがゼフを小突くが、ゼフは手で払う。
「俺は五歳じゃない」
「はいはい」
慈凪が片付けを終え、隣に立った。
「ほかに何か必要ですか?」
「娯楽?」リエルが言う。
「あっ! 一階にゲームルームがあります! 使っていいですよ!」
「最高。ゼフ、行く?」
「ん。まあ、いいよ。適当に」
慈凪に案内され、ゲームルームへ入る。アーケード筐体、クレーンゲーム、エアホッケー台が並んでいた。
「やば。めちゃくちゃいいじゃん! 親父、俺らに隠してたな!」
リエルはゼフをゲームへ連れていく。慈凪は入口で、笑顔を貼り付けたまま見守った。
数時間が過ぎた頃、慈凪の腕を誰かが掴んだ。護里が彼女を引き寄せる。
「……何か話した?」護里が低い声で問う。
「な、何も! でも、弟のほうが少し勘が良いかも……ただ、確信はしてないと思います!」
「なら、確信させないで。もう夕方。私は引き継ぐ」
「……わかりました」
慈凪が廊下へ急いで消える。護里は腰に手を当て、エアホッケーをする二人をじっと見た。
ゼフがパックをリエルのゴールへ叩き込む。機械音声が響く。
『スコア! キミの勝ち!』
「なんで俺、目が見えないやつに負けんだよ!?」リエルが叫ぶ。
「俺は盲目なだけで、馬鹿じゃない」ゼフが言い返す。
リエルが腕を伸ばす。
「さて、次どうする?」
「普通にって意味か、それとも――」
「普通に、だ」
「じゃあ、ジム」
出口へ向かう途中、リエルが護里に気づく。
「あ。えっと……護里、だっけ?」
「護里」護里が淡々と答える。
「そうそう。護里、どう? 元気?」
「最悪」
「もう夕方か」ゼフが言う。「時間が早いな」
「用件は?」護里がぶっきらぼうに言った。
「ジム案内してくれる?」ゼフが聞く。「ここでの“設備”がどんなもんか見たい」
護里は踵を返す。
「ついてきて」
歩く速さがやけに速い。扉を開けて二人を入れた。
中は片側がトレーニングエリア、もう片側がバスケットコートになっていた。
「最高! ここでバスケできるじゃん!」リエルが歓声を上げる。
「バスケ……?」護里が低く返す。
「そう!」
護里は扉の横で腕を組み、待ち構える。
「……好きにしな。終わったら言って。必要なものがあるなら対応する」
リエルがコートを指す。
「なあ、何本かやる?」
「また盲目に負けたいのか?」
「ボール取れよ。ゴールは右だ」
ゼフはボールラックを探り当て、ボールを掴む。躊躇なく放ったシュートが、ネットを揺らした。
「勝負する? それとも、ちゃんと俺とやる?」
「見えないくせに自信だけは一丁前だな」
リエルは首を鳴らした。
「……まあ、いい」
護里が見守る中、二人はワン・オン・ワンをした。結果はリエルが十一対九で勝つ。
「俺の勝ち」リエルが言う。
「だから俺は盲目なんだって」ゼフが言い訳する。
「点取れてんだから言い訳すんな」
二人は汗だくで座り込む。護里は期待するように見下ろした。
「で? 次は何が必要?」
「えっと……飲み物、お願いします」リエルが言う。
護里は出て行った。
「待ってろ」
数分後、護里は戻り、二人にワインボトルを差し出した。
「……あ、いや。俺ら、これ飲まない」リエルが困る。
護里は露骨に苛立った顔をして去り、水を持ってきた。
二人が水のボトルを開ける間、護里は室内の掃除を始めた。
「次、何しよ」リエルが小声で言う。「アイデアある?」
ゼフも小声で返す。
「鍵の部屋、突破」
「この人がいるのに無理だろ。慈凪より怖い」
「観察力いいな。なら、意味のない日常で時間を潰して、こいつを疲れさせる」
「じゃあ映画室。時間が溶ける」
護里は掃除を終え、バスケットボールを完璧な軌道でラックへ放った。
「今日は終わり?」
「えっと……映画見たい。迷惑じゃなければ」リエルが言う。
護里は睨み、腰に手を当てる。
「……いい」
数分後、二人はシアタールームの席に座っていた。大画面ではレース映画が流れている。
「うお、これ面白くなってきた!」
「そうだろうな!」ゼフが身を乗り出す。「じゃあ、全部実況してくれ。俺もフルで味わいたい!」
――数時間後。映画が終わり、リエルは席で寝落ちしていた。
「リエル? ……はぁ。護里?」ゼフが言う。「最後の三十分、何が起きた?」
「橋が爆発した」護里が淡々と答える。「悲惨な事故が起きた。それで全員死んだ」
「なるほど。要約ありがとう」
一瞬、護里の顔に驚きが走ったが、すぐに無表情へ戻る。
「遅い。何か用は?」
「いや、もういい」ゼフが言う。「ただ……部屋まで運んでくれない?」
次の瞬間、護里は驚くほどの力でリエルとゼフをまとめて抱え上げ、二階へ運んだ。
ゼフの部屋で下ろされた瞬間、ゼフは護里の方へ向き直る。
「普通の体格の女にしては、力がありすぎる」
護里が一歩引く。
「……どうして私の体格がわかるの?」
「今、俺を持ち上げた」
「……私は、その……ワークアウト、という活動をしている」
「よくやるんだろ」
「……そう」
ゼフは杖でベッドを探り当て、腰を下ろす。
「ところで」ゼフが言う。「お前ら、給料はいくらだ? その……仕事の対価」
護里は困ったように黙る。
「……ん?」
「金。俺の国じゃ、こういうサービスには払う」
護里は長い沈黙のあと、低く言った。
「気にしないでいい。……おやすみ」
護里はドアを閉め、足早に去った。
(あの姉妹はやっぱり妙だ。割るのは楽しそうだが……まずリエルを起こす)
ゼフは杖で廊下を進み、リエルの部屋へ。ドアを押し開け、ベッドを探り当てると、杖で容赦なくつついた。
「リエル。起きろ。起きろ。起きろ」
「うぐ……なに……?」リエルが唸る。
「今だ。下を偵察する」
「朝じゃだめ?」
「だめ。闇こそ超常の時間だ。昨夜みたいにな。覗くぞ」
リエルは顔をこすった。
「コーヒー持ってんだろうな」
二人は起き上がり、階下へ向かった。その途中で、リエルが立ち止まる。
「……おい。あの南京錠のドア、様子が違う」
「どう違う?」
「ひび割れてる。誰かが壊したみたいに」
(やっぱり。昨夜の件を隠したかったんだ……)
「近づこう」ゼフが言う。
「お前の葬式な」
二人はゆっくりドアへ寄った。ゼフが手を伸ばし、触れる。
――すり抜けた。
まるで、そこに何もないように。
「……リエル。俺、ドアの近くにいるか?」
「近いどころじゃない」リエルの声が震える。「お前の手、ドアの中に入ってる……」
「冗談言ってる場合じゃない」
「冗談じゃねえ。ホログラム……いや、幻みたいな――」
「じゃあ、行く」
ゼフは一歩踏み出した。
次の瞬間、ゼフの身体がドアをすり抜けて消えた。
「ゼフ!? ゼフ!? ……ああ、くそ!」
リエルも飛び込む。
そこには、暗い空間と、下へ続く段差があった。ゼフは方向感覚を失い、ふらふらしている。
「リエル? 空気が違う。ここ、どこだ?」
「階段が下に続いてる……地下への道か? ここ、地下室あんのかよ」
「地下室? 面白いな……なんでメイドが隠す?」
「知りたくないタイプの理由だろ……」
「もう来た。降りる」
「お前、なんでそれ以外のことにその元気を出さねえんだよ!」
「意味がないから」
リエルは呆れながらも、二人で階段を降りる。突き当たりには床のトラップドアがあり、リエルが開けて覗いた。
そして二人は下へ降りた。
「埃、箱、棚……」リエルが周囲を見回す。「地下室っていうか、倉庫? 図書室?」
「追い出したがるなら、重要な何かがある」ゼフが言う。「探そう」
リエルが周囲を目で追い、ゼフは棚を手探りする――そのとき。
「ゼフ! 見つけた!」
「声で場所を言え!」
「……これは、やばい」
ゼフは杖で進み、リエルにぶつかった。リエルは壁を見つめている。
そこには――七つの扉が並んでいた。
それぞれに、紋章が刻まれている。
「蛇……砂時計……太陽……花……悪魔……ハート……月……?」
「何だ?」ゼフが聞く。
「七つの扉だ。それぞれマークがある。で……月の扉、あれ、お前の護符と同じ」
「嘘だろ」ゼフが息を呑む。「その扉、どっちだ?」
その瞬間、月の扉が淡く光り始めた。
同時に、ゼフのポケットの月の護符が飛び出し、扉へ吸い寄せられて――ぴたりと貼り付いた。
「やばい、行こう」リエルが引きつった声で言う。
「護符が……どこだ?」
扉が開いた。異様な煙が噴き出す。
ゼフが煙に触れ、眉を寄せる。
「……これ、何だ」
「扉が開いた」
「中は?」
「……近くにいろ」
二人は扉へ近づく。リエルが中を覗いた瞬間、言葉が喉で潰れた。
「――っ!」
「何が見えた?」ゼフが問う。
そこには、黒髪の少年が押さえつけられていた。
メイドが二人――慈凪と、緑髪のメイド。
そして護里は、少年の“切断された首”に足を置いていた。
「……おい、何が――」
リエルが後ずさった、そのとき。
慈凪たちの肌が、透けているのが見えた。
そして――
彼女たちが振り向く。
全員の目が、二人を捉えた。
——




