エピソードZERO 10.貴賓室では
流血描写あります。
繊細な方はご注意ください。
「ぐはっ………ぐぅ………はぁ………うぐ………」
ビシャッ………。
床に打ちつける液体の音。うめき声が静かに染み入っていた。
窓もない石壁の部屋。
男のために極秘に特別に手配された貴賓室。
そこは法廷の一室とは思えないほどの上質な空間。
全ての調度品は格調高い。
正しく選ばれしものの部屋。
本来沢山の人が男の周りを侍り仕え快適さを約束された特別な部屋。
そこは今鉄臭さが立ち込めていた。
男の背後には痙攣し床に横たわる人影が五人。
男も思わず跪く。血反吐が口元に滴る。
金髪の上から黒墨を被ったような髪の男。
深淵の堕天使と呼ばれる男は画面を見あげている。
部屋一面に広がる巨大モニターの前でここ100年も跪いたことのなかった男が跪いている。
自分でも信じられない程無様にも跪き血を吐く男の瞳孔は、開きっぱなしだった。
ついに見つけたからだ。
理想の女を。
まだ少女とも少年ともよべる年端の現し世の少女。
現し世人類から選ばれやすい《善良さ》と《無垢》さを併せ持った少女。
そして。
幸薄い少女。神好みな。
甥が懸想し守ろうとしたか弱い少女。
その少女がまさか法廷に現れたのだ。
単身だ。
引き連れる守護する法曹人もなく。
愚かにも無防備に。
魑魅魍魎が待ち受けているとも知らずに。
いい余興になると確信した。
この法廷でリリスが本当に死罪になることはない。
この幽玄異郷がまだ《三尊》を必要としているのだから。
ただ。
上手い具合に堕ちてはくれないかとは期待した。
そこはほぼ成功しつつあったのだ。
リリスは永年死にたがっていたのだから。
心の死に場所を用意するだけだった。
坩堝学園が混ざり合わない渦のままでいてもらうにはリリスは邪魔だった。
邪魔だったのだ《勇者の意志》を継ぐものなど。
男の《渇望》の妨げになる思想は邪魔だった。
皆が平等。
皆が溶け合う。
皆が分かち合う。
そこの象徴になりうるリリスとその《養子》。
現し世から来た希少資源。苗床。勇者候補という名の神の生贄。
これで壊れれば僥倖。駒になるなら役得だ。
甥も簡単に手に入る。
愛とは与えるものでなく利用するものだ。
少なくとも男はそうだった。
リリスの陥落は決して過程で目的ではない。
目的により近づいたと。ほくそ笑んだ。
目が合った。
モニター越しに合ったのだ。
目がチカリと音を立て胸がざわついた。
感じたことのない衝動に襲われた。
モニターの薄い硝子を通しこちらを見てうっそりと妖艶に笑った女の瞳に射抜かれた。
さっきまで無垢な少女を装っていたのだ。
装っていたのだ。
侮っていた。
ただの少女だと。
あれは立派な大人の女の顔をしていた。
女はこちらに気付いたのだ。
隠密の魔術が施されたこの部屋にいる男の存在を。
そこから始まった地獄。
男が味わうことなく一生を終えるはずの未知なる領域への苦痛と冒涜。
それは正しく。
狂うべくして狂う記憶だった。
当人の記憶を保持している女の瞳は虚無の中にちゃんと力強い仄暗い光があった。
血塗られた法廷の舞台の中で無垢を装った花が咲き誇っていた。
女は狂っていないことが異常だった。
それでもなお狂わず気高くほくそ笑む。
その女は幸薄くなんて決してなかった。
それは上に立つことを当たり前に熟せる器だった。
恐ろしいほどに美しかった。
「はッ………!!こんな所にいたのか?!最高だなあ?!
佐藤 りん!!
お前は俺の野望にピッタリな女だ!!」
血反吐を吐きながらも男は笑った。
モニターの中では意識を失い無様を晒す使えない老害達が転がっている。
身体への攻撃ではない。《魂の殺人》の追体験だ。
幽玄異郷の民には耐え難い苦痛だ。
彼等は持つものだ。
だからこの世の理と禁忌を理解している。神はいるとしっている。
現し世人類は持たざるものだ。
神を崇めているが神が本当に存在することを知らないもの。
だから神を欺けるし理を壊せるのだ。
それ故幽玄異郷の民は現し世人類に畏怖を抱くのだ。
我等が思いつかない概念に生きる短命の民。
それ故
一番神を恐れない民なのだから。
その現し世人類の少女が《壊れる下地がある》のに《壊れていない》。
それは正に理想的な素材だった。
清さが美とされがちの世界には異質の狂気。
渦巻く欲望を鼻で笑う気高さ。孤高。
この世は元々不完全で混沌としているべきなのだから。
何故正しさのために清くする必要があるのか。
汚く足掻くものこそに美しさがある。
「彼女こそ魔王の伴侶に相応しい………。
昔から魔王の伴侶は聖女とされるが………。
無垢な聖女より、狂乱の女神のほうが………」
男は昔から疑問だった。
何故この世界は魔王が悪で勇者が善なのか。
神に愛されるのが善で神に見放されるのが悪なのか。
神に好かれる現し世人類を何故滅ぼしてはいけないのか。
愚かな民を支配することは何故駄目なのか。
皆がどろどろした欲望があるはずなのに清くあろうとするのは何故なのか。
神が見ているからか。
法があるからか。
倫理がゆるさないからか。
なら。
|こちらが|神を超える魔王になればいいではないか。
この幽玄異郷こそ魔王が治める混沌と混乱が美しいはずなのだ。
絶望の中にこそ美しさがある。
幸せは停滞で怠惰な思想だ。
混乱の世界こそ種は競い合い繁栄できるのだ。
《魔王信仰》
それこそが。
男 《イザミ・デウス》の渇望だ。
それを可能にし、体現する少女が現れた。
絶望と不幸の中でも咲く大輪の毒花。
ーーーこの少女が欲しいな。
そのためには。
「星に早急に会わないとな」
口元の血を乱暴に拭い髪をかき上げた。
毛先の金髪が血の赤に染まり輝いていた。
「おい。床が汚れる。
苦しむふりはするな。気持ち悪い」
背後の影に投げた言葉。
「ふふふ………。ひどいなあ………頑張ったのに」
「あれ。終わり?もっと見たかった」
「イザミ様。いい趣味してますよね」
「確かに面白い子だね」
「イザミ様!あんな小娘、若様の伴侶候補?趣味悪………」
暗がりで痙攣していた五人の影がムクリと動いた。
イザミが視界に入らない距離に一斉に五人は距離を取った。
皆が黒いローブを来ている。
一人が少し前に出た。
拳を胸の前で打ち付け目を覆うように掲げる。
幽玄異郷の最敬礼の形は綺麗で品があった。
「次はどうされますか」
「あ?そうだな。しばらく。潜入だな。
あとは………。《機》を見る」
「はッ………。漆黒の世界のために」
「「「「漆黒の世界のために」」」」
黒い影は四方に散った。
「………化け物だな。あいつら。壊れたものだもんな」
呟いた瞬間背後から音が響いた。
扉が外から開く。
光が漏れ入った。
そこには兄、アスモが血だらけで佇んでいた。
勢いが殺せなかった扉はひしゃげている。
「イザミ!!!!大丈夫か!!?………ん。誰かいたか」
ゆっくり振り返りながらイザミは笑った。
生意気な弟の顔で。
「あぁ………平気だ。
部下がな。具合が悪くしてな。搬送を急がせた。悪い。
すげぇ………な。こりゃしばらく年寄り連中は再起不能か。
道具と侮ったものからの反撃だ。
早くなかったことにしたいだろうなあ………。
………………甥っこは早合点したらしいな。
後日改めて謝罪に来るよ」
「いや。秘匿裁判にして良かったとは思ってる」
「はははッ。ばあさんの面白い姿は拝めた。
それは役得だったろ?………甥っ子のこと謝らないとな」
「随分………可愛がってるな。意外だ」
イザミが笑うのを気味悪そうに見る兄の視線を真正面から受ける。
血に塗れた口元を親指で拭いながらさらに笑みを深めた。
そして光に包まれた廊下を進む。
「なに言ってるんだ?兄さん。
あいつは………我が家の期待の星。
その名を冠した星。
勇者候補だぜ?
………大事にするさ。そりゃかわいい雛だ」
「そうか。お前。勇者誠に懐いてたもんな。
………お前が育てる勇者候補か。面白いな」
静かな廊下を進む。
すれ違う者は誰もいない。
この法廷にイザミがいることを知るのはごく僅かだ。
「しばらく付き合えよ。治療の手配と平謝り巡業が待ってるぞ」
「うわあ!それパス!兄さん得意だろ?!頼む!
かわいい弟と甥っこのために!」
「お前は………。まったく。自由すぎるだろ………」
バルコニーまで進み縁をどかりと踏み越え空中に脚を踏み出した。
巻き上げる風が吹き荒むバルコニーでまるでこれからダンスを踊るように軽やかに。
そこでピタりと一度止まる。
「じゃ。また来るわ」
「こんでいい。お前が来ると厄介事が増える」
腕を組み佇むアスモはもう身綺麗だ。
浄化魔術など移動しながら呟きもなく熟せるのだ。
下々の使用人が極めるべき魔術を使う変わり者だ。
「ひでぇな。善意のタレコミだぜ?
執行官官長様は善意の民の陳述は聞かないとだろ?」
「………お前は《従わせる側》だろうが」
「兄さんには敵わんさ」
「調子いいことを………」
舌打ちする兄アスモの呆れ顔を振り返りながら降下する。
下から従魔の黒ドラゴンが待機していた。
その背に飛び乗り滑空する。
「くくッ………面白くなってきたな」
朝日がイズミの黒髪を照らす。
毛先の金髪に反射して眩しい。
薄ら笑った顔を引き締めた。
「………勇者を見捨てた神なんか。壊れればいいんだ。
こちらが敬意を払う義理はない」
呟いた言葉は白い息となり朝焼けと群青の空に溶けた。




