身体検査 1.花道のない塔
「健康診断?」
休み時間の教諭からの呼び出し。
それも教官室。俗に言う《職員室》だ。
身に覚えしかないりんと岸にはガクブルものの空間だ。
「(かりん糖。ピクニック気分で皆に配ったのバレたのかな。教室でもエクスカリバー飛ばしちまった………)」
「(それより。金剛の宮にふわふわちゃん101号を招いたら壁紙食べたことかな?)」
「(それだ………)」
コソコソビクビクしていたら怪訝な顔をされた。
渡されたのはファイルだ。
「貴様らは《特例入学者》だ。
本来あったはずの入学説明会の時に義務となっていた「健康診断」が済まされていない。
現し世からのカルテの共有はあるがな………。学園の規定に満たない。
この場合この学園内の医務室で行われる。
佐藤 りん。岸 護。両名は放課後北校舎の回廊を抜けた先にある、黒い看板の医務室に行くように」
真神教諭がりんと岸の魔導端末を指でなする。
その際彼の指から蒼い閃光が走ったから魔術を使ったらしい。
そこには。
医務室への道順がアップデートされた学園内地図アプリが搭載されていた。
液晶画面上の地図が明滅し、未踏のエリアだった北校舎へのルートが鮮やかな朱色で書き換えられていく。
心なしか現在地の矢印が跳ねている。
アップデートが嬉しいのか誇らしげだ。
どんな仕組みなのかロボット大国出身として気になるけど。便利なことに変わりはない。
「黒い看板の………医務室。
もしかして。黒地に赤い文字の看板ですか?」
りんが首を傾げると真神教諭が苦々しいといった顔をした。
何故。
「………あそこには。いつでも行けるようになるだろう」
「?はい。お陰様でアップデートしていただきましたから」
「ちッ………」
真神教諭はニコリと笑ったりんを一瞥すると顔を背けた。何故。
指定された時間。
指定された通りの時間にりん達はそこに辿り着いた。
不思議なくらいスムーズに。
端末には右に図書館。
岸達と行ったことのある場所。
「あれ?右にあるのは………図書室だ」
「なに当たり前のこと言ってるんだ?」
前回辿り着いた温室風の硝子張りが特徴の《魔植物学》の教室ではない。
光は書物には大敵である。
それは現し世で常識だ。
でもここではそれらも通じないらしい。
「屋上青空図書館だね。相変わらず景色いいね」
「うっすらと耐物理紫外線除外膜が張ってあるんだっけ?見えんけど」
「雨も風も太陽もへっちゃら。本達の楽園だね」
紫色の空の特等席で寝転がり書物を読める屋上。
床にはふわふわのカーペット。たくさんのクッション。
小さなカフェもある。
開け放たれているのにちゃんと本と古いインクの匂いは籠っている。
素晴らしい知識のユートピアだ。
乱雑なのか計算なのかわからない、クネクネした本棚が森のように生えている。実際木の中に本棚が組み込まれているようだ。
ここの書物は保護魔術がかけられていて。
飲食しながらも読むことができる。
うっかり食べかけのクッキーを書物の上に置こうものなら消滅する。
りんはないけど岸はサンドイッチでやらかしたらしい。
りんが大好きな空間だ。
後ろ髪が引かれる気持ちで後にした。
次の曲がり角。端末には正面に噴水。
目の前には。
「噴水………?花壇じゃなく?」
「だから。さっきから何が疑問なんだよ」
「えッと。迷うかな………って」
「アプリあるのにか?」
「だよね………」
この前は噴水には見えない巨大な花壇の周りをぐるぐるしてみたりしたのに。
おかしい。
この間は、なんだかおかしなことばかり起きたのに。
さっき通ったはずの廊下なのに絵画が違ったり。
触って確認しながらキョロキョロしただけなのに、触っていた鎧の騎士を模した石像が踊り子像になっていたり。
地図にない道があったり。
端末には左に職員室。
「用具入れ………。ない」
「当たり前だろうが」
一応扉を開いてみたものの、そこにはモップやバケツではなく、星々が瞬く底知れぬ深淵が広がって………いない。
怪訝な顔した教諭がいるのみだ。
脚が生えて逃げる用具入れには出会わなかった。
魔導端末を信じて歩いた。信じようと必死に画面を指でなぞった。
自分の現在地を示す光の粒は、今日は大人しい。
まるで逃げるように地図の上をくるくると回り続けたりしない。
点滅したり、飛び跳ねたりも。
ーーーあれ?私が方向音痴だった訳じゃないのかな。
端末を信じて歩いた。
端末内の自分の現在地の点がとうとう動かなくなったりもなく。
端末の点は困惑しているのか震えだしたりしなかった。
音声ガイダンスですら途切れ途切れにならず。
気付くと端末を逆に持っているーーーなんてこともなく。
普通に辿り着いた黒地に赤い文字の《養護室》
前回は青いかすみ草の花道が高い塔の上に続き、渦巻く蛇が天に昇るような長い階段が変わらずそこにあった。
上は遠すぎて白い点に見えるのは変わらない。
最上階には採光用の窓はある。
だけど今回は石造りの無骨な階段が続くのみだ。
甘かった匂いも今は煤けた石の乾いた香りのみ。
ーーー変わらない景色なのにな。
こうも寒々しい場所とは思わなかった。
「ここの………中腹か」
「うん。行こうか」
今日は澪がいない久しぶりの岸との行動だ。
澪の同行は真神教諭に却下された。
プライベートな検査だからと。
澪の絶望した顔は気の毒だった。
りんは一歩一歩を慎重に踏みしめた。
首が痛くなってしまったりんは首をさすりながらも歩く。
岸はさすが鍛えているのか余裕の面持ちだった。
前は登る度に花弁が舞っていた。
今はない。
一段、一段。
前は重くなっていく脚と裏腹に気分はどんどん高揚していた。
それなのに今日は普通に脚が痛い。
「結構キツイな………」
「ね。初めて知ったよ」
りんは自分の心臓が冷めてくるのを感じた。
青い絨毯の甘い香りはもうない。
螺旋状の階段も元はこんなくすんだ石色だったのか。
側面の蔦だけが変わらなかった。艷やかな凹凸。生命力溢れる葉脈は変わらない。
花など最初からなかったように。
儚い花の一生を目の当たりにしながらもそこに哀愁はない。
ただ。
今回も翡翠色の光が弾けていた。
弾ける光の粒がりんの指先を包み込んで。
労わるように、寄り添うように優しく、でも。
りんを拒絶するように淡く消えた。
りんの心には寂しさだけが残った。
「お。ここか?《養護室》。
ここの学園は何室もあるみたいだな。確か澪を運んだのと違うよな」
「うん」
ふわふわちゃん101号が鳴かなかったら、気付かなかった場所。
そこは最上階の手前の階層。
塔の中腹あたりに養護室があった。
看板の色が黒地に赤い文字だった。
「なんか………不気味だな」
「そう………だね」
さすがの岸も怪訝そうだ。
道中りんの困惑と落胆が隣で分かったのだろう。
「りん。お前。病院苦手だったもんな。
どうする。リリス様呼ぶとか………」
「大丈夫!ほら!注射とかなしで魔術でチョチョイ〜かもしれないしね」
岸にはリリスの不在は知らせていない。
学園でもリリス捕縛は驚くほど囁かれなかった。
もともと多忙なリリスだ。
学園長が不在でも学園は回るように出来ているらしい。
平穏。
変わらな過ぎて不気味なほどに。
りんがニコリとすれば岸は納得してなさそうでも諦めたようだ。
なんせ用事は待ってくれないのだから。
そういう過保護すぎない所も岸のよいところだ。
「失礼しま〜す。
「健康診断」に来ました〜。雷クラスの岸と佐藤です」
岸が扉を開けた瞬間。
岸は顔を顰めた。
彼はこの匂いが嫌いみたいだ。
かつて嗅いだ清潔感のある鼻にツンとした香り。
救急箱の匂い。
だけどあの《魔術研究予備室》の中に入った瞬間と同じ。それは濃厚に香った。
本棚の古い紙の匂い。
インクの匂い。
保存液の匂い。
飾られている観葉植物の匂い。
森の中の瑞々しい葉の香り。
土にまみれたような獣の匂い。
その全てを合わせたようなあの人の匂い。
「御嶽ーー」
「いらっしゃい」
迎え入れてくれたのは。
優しそうなおばあちゃんだった。




