幽玄異郷 1.おうちへようこそ
プロローグの話がやっと書けました。
目覚めたら目の前にあるのは見慣れぬ天井だった。
ーーーあ。いよいよ死んだんだ。
そう思ってしまってもおかしくないと思う。
孤児院育ちなのに天蓋付きのベットで寝ていたのだから。
病院の無機質な天井とは比べ物にならない。
女の子が一度は夢見るであろう本物の天蓋付きベット。
それは想像も妄想も遥かに超えていた。
ーーーどんな仕掛けなんだろ。
その星座を形作っている星達は見る角度で瞬きが変わり色味が変わる。
それは素晴らしい星座図だった。
遥かに緻密な星空だった。
少し珍しかったのは大きな月を中心にしている図だということだ。
その月があまりにも神々しくて輝いている。
内部にライトが入っているみたいだ。
月の表面そのものは、灰褐色で、太陽の光を反射して白っぽく見える。
ーーーでも本物の月は。
確か、ーーー大気の影響で地球の大気中の散乱や屈折によって様々な色に見える。だったかな?
理科の授業で聞いたことがある。
それらを再現した多彩な色彩の月なのだ。
驚くべきことにこの月も見る時間帯で色も輝きも変わる。
地平線付近では赤っぽくなる月のように夕方や早朝は赤っぽく。
高い位置では青白くなる月のように真夜中や真昼には青白い色に見える。
まるで機械仕掛けで音が変わる時計のようだ。
何故わかるって?
丸一日このベッドと友達になれば自然と気づいてしまった。
ーーー精巧すぎて神々しいくらいだね。
うんうん頷きながらも。
今の状況が余りにもおかしいのに。
時間も忘れてつい見惚れてしまう。
天蓋は外の光を完全に遮断するほどの重厚な物。
本当に完璧な遮蔽率なのだ。このおかげなのか快眠してしまった。
いやむしろ爆睡と言ってもいいと思う。
内側は繊細な刺繍が施されたレースが滝のように重なったもの。
勿論ベットは最高級のマットレスにシルクのシーツ。
こののマットレスのふわふわ感といったら!
純白のシーツなどしっとりとした肌触りだし、何やら掛け布団は羽のように柔らかく軽い。空気のように軽いのだ。
ーーーこれ………。噂に聞いた羽布団というセレブな寝具なのでは?
今までりんは寝返りが激しく寝相が悪いと思っていた。
それは重い掛け布団のせいだったらしい。
目覚めた瞬間に寝癖がないことは奇跡だ。
見渡してみると深い緑や翡翠のような光沢のある蔦が描かれた壁紙が美しい部屋だ。
部屋中に蔦が張り巡らされているように視える。
その植物は部屋を覆う緑の揺り籠のようなのだ。
本物の植物と見紛う程精巧だ。
りんはその蔦の絵をそっと触る。
凹凸は手触りが良く、葉っぱの光沢は煌めく朝露を良く表現している。
蔦は艷やかで鮮やかで落ち着いた色をしている。この蔦の模様が一目で大好きになった。
息づくような生命力に満ちていて瑞々しく美しいから。
余りに豪華な部屋だからいつもなら恐縮してしまってベットで縮こまっていただろう。
でもここが天国なら何を遠慮することがあるだろうか。
知的好奇心が赴くまま部屋を探検することにした。
改めてベットを見ると子供六人は眠ることが出来るほどの広さがあった。
ーーーチビ達が見たら飛び跳ねるわね。
天国に居るのだから未練を抱えてはいけない。
でもついつい思い出してしまうのは置いてきてしまった家族だ。
それらは雑誌を覗き見たときのどこか外国のお城の内装よりも素晴らしかった。
寝心地はかつてないほど快適で。
こればかりは寝坊しても仕方がないと言い訳したくなるほどなのだ。
天国はこんな所なのだろうと思うくらいだった。
本当にこの世ではないと誰が思うだろうか。
だってりんの身体は透けていないし重かった。
ーーーあれ?
音もなく空気の揺らぎもなくその人はいた。
ーーーーーーーー
その人は優雅に紅茶を飲んで。
穏やかにりんを見つめていた。
ーーーいつからいたんだろ。
目を瞬かせてりんはその人を見つめた。
りんと目が合うとその瞳が一瞬で煌めいた。
「気がついた?」
気付くとベッドの脇にその人が座っていた。
「えッ………と………?こんにちは?
あ。こんばんは?
おはようございます?
あれ?………いつから?お待たせしてごめんなさい?」
「あぁ………。可哀想にこんなに混乱して」
「それなのに挨拶も出来てなんてよい子なの!」
返事もしない間にその人は更に目を輝かせてりんの頭をこねくり回す。
リリス・ヴェルミナと名乗った美男子は
「気持ち悪くないかい?」
「痛いところは?」
「頭はとれてないね?」
「こんなか弱いなんて知らなかったのよ〜」
と矢継早に聞かれてりんは頷くしかない。
「はい。これをお飲みください。りん様」
「あ、ありがとうございます………?」
その間を縫うように蒼い執事の服を着た人からホットココアを受け取る。
じんわり胃にしみる感覚に少し落ち着いてきた。
「持たざるものには転移魔術は身体に負担なんだね」
「失念してましたね」
「慎一郎君の魔術はピカイチだから。
この程度で済んで良かったよ」
「ですね」
「腕が悪いと爆散するよ!」
「しますね」
「前に学生が爆散した時にはーーー」
ーーーにっこり恐ろしいことを言った!
落ち着きかけた心臓がまた早鐘を打ち出した。
テンションの高い女の子のような美男子は執事の合いの手で更に興奮していく。
「会いたかったんだよ」
「お母さん♥」って呼んでね?と、
美男子は笑う。
「戸籍は気にしなくていいよ? ここでは“私の子”ってだけで通るから」
その言葉でやっとわかる。
御嶽が言っていた《里親》は彼なのだと。
りんは居住まいを正した。
「佐藤 りん。14歳です。
リリスさんには大変お世話になりました。
御嶽さんからあなたからの支援だと聞いています。
これからもよろしくお願いします」
ベッドの上で正座をしてペコりと頭を垂れた。
「いや〜ん!とんでもない、いい子!天国!!」
「リリス様お気を確かに!」
彼女の鼻血が止まるまでしばらく時間がかかった。
「ここは君たちの世界からすると常世かな。厳密には幽玄異郷なんだけど。覚えなくていいよ。呼び方なんて色々なんだ」
突然目の前に現れた美男子………。
にしか見えない美女はカラカラと笑いながら説明してくれた。
鼻血は活火山のように噴出するから鼻にティッシュが詰め込まれている。
美人なのに残念だ。
背後に従えた執事らしき人がご丁寧にホワイトボードをどこからか押してきて図解付きで。
覚えなくても良いとは言うけど「全くわからないのも不安だろ?」と。底抜けに明るく。
でもその瞳はどこか気遣わしげな色をしていた。
確かにりんには覚えられそうに無い。
頭で理解しても情報と視界がうるさくて整理できないからだ。
でもずっとベットの主になっていたから。
暇を持て余していたりんは特に断る理由がなかったから頷いた。
「わあ……。聞いていた通り素直ないい子なんだね」
背後の執事さんと二人で頷かれながら空気は和んでいく。思わず頬に熱を持った。
大人から手放しで褒められることに気恥ずかしくなった。
「普通だと……思います」
「普通じゃない普通じゃない。子供は集中力が散漫になりがちなんだ。興味がないことを大人しく聞くのは苦痛だよ?」
「やっぱりいいこだねえ……」
そんなしみじみ言われてしまうともう何も言えなくなってしまった。
「大きく分けてーーー」
彼女はホワイトボードに書き加えていく。
冥界・霊界を丸く囲み、その横に死後の世界と書く。
注釈のように増えていく単語に、
異世界(ファンタジー世界やパラレルワールド)。
隠れ里・桃源郷のような現実とは異なる。としるされる。
どんどん文字でホワイトボードが黒くなる。
所々絵も描き加えられる。
犬や鳥や、角の生えたーーー王冠を被る人。
剣や盾や宝石や、大きなトカゲが火を吹いている。
執事の人も羽根のついた猫を描いている。
「そしてーーーー。
民俗学的な異界(境界、他界、隠れ里など呼び名は様々なんだけどね?」
お化けや妖精がつけ足された。
もうホワイトボードの上は色のカオスだ。
「簡単に言うと持たざるものが多く繁殖している。ーーー君達が過ごしていた所は現世。私等持つものが暇を持て余している世界が常世なんだよ」
ーーーうん。わからない。
へんてこな図と共に記されるものは日本語。
彼等が話す言葉も日本語。
りんも日本人ーーーのはずで生活していた。
だけど彼等の風貌が余りに浮世離れしていてりんの頭には全く入ってこない。
玄関から外に出てから驚愕したのは屋敷の広さだった。
いや。りんは最初から気づいていた。
豪華な寝室。
扉の向こうの作業音の多さ。
広い廊下。
大きな扉。
どこかのホテルに滞在していると説明されても違和感がなかった。
だけど。
「今日からここが君のお・う・ち♥
きゃ♥言っちゃったあ」
「言えましたね。ご立派です」
重厚な二枚扉の玄関が自動で開く。
そこをくぐってから、振り返る。
そこにあったのは《城》だった。
思考が停止する。
喉から出てきたのは疑問より確認だった。
「お城………?」
「いやだなあ………。城じゃないよ?(笑)
邸宅、家、♥君のおうち♥」
「おうち………」
りんの呟きは震えた。
おうち《城》は不思議な形をしていた。
百合の花を逆さにしたような赤い屋根。
尖っているのに緩やかで繊細な曲線が艶やかに見える。
妖艶なリリスさんにピッタリなおうち《城》だった。
ーーーおうち。かぁ………。
おうちと呼ぶのには抵抗があった。
視線の先。
首がいたくなるほどの遥か彼方上。
ーーー塔が、あるんだもんなあ。
それはそれは立派な斜塔があるおうちだった。
見紛うことなき、おうち《城》だった。
チラリと背後も見る。
玄関から門が見えなかった。
迷路のような生け垣はどこの宮殿の庭園なのかというくらいの広大さだった。
ーーーこれ。庭で遭難あり得そう。
次に目につくのは目を輝かせた人。
「あの………」
「ん?」
「お願い?というか。確認したいことが」
聞くのも少し怖い気がして。
りんは握りしめた手をグジグジと動かしてしまう。
「初めての?!お願い?!いや〜!」
「お気を確かに!リリス様!」
リリスの耳元でこそこそお願いする。
また鼻血が止まるまで時間がかかった。
新しい里親に一番にお願いするには禁忌な気がしたから。
気分を害さないか心配になるりんにリリスは微笑む。
きつくきつく抱きしめられた。
足が浮いている。
「君は今日からうちのこ。遠慮しないのよ?
おうちへようこそ。りんちゃん」
「ありがとうございます。
えッ………と。お母様?」
「ひぎゃぶ!」
「お気持ちは分かりますが、お気を確かにリリス様!」
りんが小首を傾げたのとリリスが鼻血で後ろに吹っ飛んだのは同時だった。
お願いが叶うのはしばらくかかりそうだ。




