エピソードZERO5 鈴蘭案件
開店前のスナックは昼間であるほど暗い。
表にある《スナック猫の目》の看板もまだ点灯させていない。
そんな武装していない時間。
そこにまた無粋な男は現れた。
カウンターの上に並べたグラスがくすんだ光を返していた。
ちいママはグラスを磨きながら、ちらりと入口を見た。
「開いてないのくらいわかるだろ」
戸口に立っていたのは、相変わらず場違いなほど品が良い男だ。
スーツが高級なのは変わらないがこの間より軽装だ。
コートを脱ぎ襟を緩めながら中に入り込んだ男、 真神 玄狼はカウンターに座る。
黒いイタリア製の革靴を履いた脚は長く、組み替えると奥に控えた女の子が色めき立った。
端正な顔は今日は凶暴だ。
艷やかな黒髪は前回は後ろに撫でつけられていた。
だけど今日は下ろされている。
眼鏡を外した瞳が金色だ。
それだけで今夜の目の前の男が本気で怒っているのがわかった。
「女の子は帰らすよ」
「たすかる」
そう言うと、男は胸ポケットから巻煙草を取り出した。
指先で撫でるだけで切れたそれに、ちいママはマッチの火を添えた。
男は眉を顰めながらちいママを一瞥すると煙草を吸い込みーーー。
時間をかけて吐き出した。
紫色の煙が店内に漂った。
「鈴蘭の君は未成年か」
こちらがもてなさないことには気分を害したわけではない。
男は冷ややかなバリトンボイスで唸るように威嚇する。
ちいママから目を離さない。
その瞳は「捕食者」の瞳だった。
「未成年保護と報告の義務はどうした」
男のバリトンは低く反響した。
前回の訪問ですら威圧感が隠せていなかった。
それなのに今回はそもそも隠す気もないらしい。
女の子のいない店内の静けさが、言葉の重さをそのまま受け止める。
灰皿の縁に、男の金色の瞳が反射した。
「あんたらのルール。
こちらに強制するんじゃないよ」
ちいママはグラスを磨く手を止めない。
曇ったガラス越しに、男の金色の瞳が鋭く歪んで映る。
ナプキンが、きゅっと鳴った。
「それに」
煙草を挟んだ真神の指が、わずかに止まる。
息遣いすら静かな中、時計の秒針だけが進んだ。
「あの子が未成年?」
ちいママはグラスを棚に戻す。
乾いた音が、昼の闇に吸い込まれた。
「精神は立派に大人だった。
容姿も内面に引きずられてた。
勿論仕事は合法のしかさせてないさ。
他所では知らないけどね。
あの子は大人だった。子供扱いは失礼だよ」
カウンター越しに、視線が絡む。
狩人と、逃げ方を知っている夜の女の目だ。
「垣間見たあんたがそう思うくらいに」
男の喉が、小さく鳴った。
煙が吐き出される。
紫が、二人の間に壁を作る。
「見たんだろ。前の事件の晩にチラリと。
あの子逃げ足早かったろ。
あんたは糠喜びしたね?
対等に隣で扱える女の出現に浮かれたんだ。
私にはそう見えたね」
「あれが14の小娘に見えるか?」
「あんた年齢で判断するタイプなの」
「保護対象か、同業者か。
それで方針は変わるんだ。うちの国は」
問いは、静かだった。
だが逃げ道は、最初から塞がれていた。
「この界隈で活動させた意図は」
「目立つだろ」
「危険は?」
「あんたもあの子の強さ見たろ」
ちいママは男の言葉を最後まで聞かずに言った。
手に取ったタバコに火を点けてくゆらす。
白い煙がたちこめだした。
「あんたらに見つけて欲しかった」
「見つけてなかったらどうなっていたと!!」
「見つけたろ?」
皮肉を隠しもしない声に、男は一瞬言葉に詰まる。
ため息とも煙草ともわからない息を吐いた。
「最初から情報を提供していればーーー」
「へえ?」
氷がグラスの中で乾いた音を立てた。
「あんたら優秀なんだろ。
上司も部下も、仕事も女も。
与えられてほいほい満足するタイプなのかい」
男は店内を見回した。
壁に貼られた色褪せたボトルキープの札には壺のマーク。
年季の入ったソファには群青色の毛皮。
それらを見渡してまたちいママに目線を戻した。“誰から贈られたか"やっと悟ったらしい。
青ざめて、項垂れた。
「かのお方はこのことを」
「ああ。リリスちゃん?
あの子どうも運が悪いのよ。昔から女運が」
ちいママは吹き出すようにに笑った。
コロコロ転がすような笑いは途端に重苦しい空気を和らげる。
「察してたけど。あの子索敵向かないでしょう?」
ちいママは流し目でカウンターの花を見た。
そこには赤いアマリリスの花が生けてある。
前回の男の訪問時にはなかったものだ。
それをちらりと見て男は舌打ちした。
「それこそ前回ーーー」
「女の秘密ほいほいしゃべる私を軽い女だと?
バカにしないでよね」
それ以上は語らない。
男が二本目の巻煙草を出そうとして手を止めた。
「あの子。もう来ないのね」
ちいママはカウンターの奥に飾られた白い小さな花をつつく。
「あの子を子供だと思うと痛い目見るわよ」
グラス磨きを再開しながら、ちいママは淡々と言った。
「岸財閥の御曹司の電話はここからでした」
ちいママの言葉をうけ舌打ちした男は唸るように呟いた。
それをうけ、ちいママはふっと鼻で笑う。
「さあね。野良猫に電話くらい貸したかも」
男は更に舌打ちをして口を閉ざした。
彼は何も飲まなかったのに去り際に太い茶封筒を置き軽く一礼する。ずしりと重いその封筒が彼が見出したちいママとの時間の価値らしい。
「あの子に伝えて」
振り返りもしない男の背中に、ちいママは祈るように言った。
「幸せになりなさいと伝えて。お願い」
「それは。あの子が何を望むか次第かと」
男が去ったあと、店内には一瞬だけ、女の泣き声が響いた。
「……まったく」
誰にともなく呟く。
「鈴蘭はね。幸せの再来なのよ。
私が信じてあげなくちゃ」
カウンターの背面側。
白い鈴が連なったような小さな花が小瓶に挿してあった。




