幸福の家1 今日も私は元気に生きてる
悲鳴
泣き声
骨の砕ける音
それらは罪の音だ。
記憶にないからと無かったことには出来ない。
確かにりんの行いで悲しんだ人がいるのだから。
忘れられないのだ。
涙に濡れた瞳の奥に映る自分が。
りんは汗だくで目覚める。破裂しそうなほど高鳴る心臓を落ち着かせるためにもう一度目をつむり、耳をすませる。
しばらく時間が経ち、心臓の音が落ち着いた頃合いでやっと汗がひいた。
りんは慎重に欠伸を噛み締めながら起き上がった。
肩までの癖のある髪を手櫛で梳かしながら布団から這い出た。
隣にいる幼子を起こさないようにだ。
腕枕をしていたから左腕が痺れている。
その痺れを取りたくて伸びをするけど腕が天井に当たらないように縮こまりながらするから効果はない。
薄いカーテン越しに外を見やるけど暗い。
朝と呼ぶにはまだ早すぎる時間帯だ。
暖房もない部屋は狭いながらも大小さまざまなの寝息が響いていた。
今この施設には乳飲み子はいないのは幸いだ。昼夜問わず頻回にしなければならないミルクとおむつ替えは睡眠を削る。
子供達が肩を寄せ合い眠っている。
20人ほどの子供が眠るには手狭な部屋をりんは巡回する。
本来職員がするはずのそれをりんがするのは最早日常となって1年になる。
寝崩している布団を直しながら可愛らしい寝顔を眺めるのは苦ではない。それだけは子供が好きりんにはご褒美だ。子供は身体の基礎代謝が高いからか布団をよく蹴飛ばしてしまうのだ。
真冬はとうに過ぎた。
けれどまだまだ寝冷えしてしまう。
お腹が出ている男の子は念入りにタオルケットを巻き付けるようにした。
そうしないと身体が冷えた子は隣の子の布団を奪ってしまうから。
本来なら腹巻きがあれば良い。
せめて子供一人のうち一つのベットに人数分の布団があればもっとよい。
でもそんなことは土台無理なので工夫するしかない。
タオルケットだって近所のフリーマーケットで格安で手に入れたものだ。
ーーー|贅沢はしません勝つまでは《・・・・・・・・・・・・》。
そんな言葉が戦時下ではない平和な日本でつぶやきたくなる。そのくらい今のりんの取り巻く環境は楽とは言えない。でもりんは嘆いたことはない。
ーーー嘆いたところでお腹は膨れないしね。
頬を叩いて眠気を覚ました。
「うん。今日も私は元気に生きてるね」
薄いカーデガンを羽織りかわいい寝息を置き去りにして廊下に出た。
決して広くはない廊下を音もなく進まなくてはならない。施設長は夜ふかしをする割に深くは寝てはくれないのだ。
子供達が寝静まったほうが捗る仕事はある。
ーーー夜ふかしできる身体ならもっと稼げるのに。
と、りんは歯噛みしたくなる。
りんはどうも眠りが深かった。
眠りにつくと、てこでも起きない。
夜更かししたくてもすぐどこでも寝入ってしまう。
ーーー食い汚くて、寝汚い。
よく施設長に言われる言葉を反芻する。
正しいから苦笑いするしかない。
その割に施設長は自分の不摂生のせいで眠りが浅いのに、いざ睡眠を妨害するようなことをしでかしたらーーー。
りんは想像しただけで身震いした。
それらも1年この施設にいればコツが掴めるというものだ。
人間死ぬ気で行えば出来ないことはない。
この施設の廊下は鶯張りをしているのかと思うぐらい軋む。
りんの気分はさながら見つかったら死ぬ敵兵のそれだ。
軋む音に泣きそうになる幼子ではないけど、りんも恐怖を感じる。
けして心霊的なものを恐れているわけではない。
生きている人が一番怖いのを知っているだけだ。
ただこの施設では経年劣化の可能性が限りなく高い。
所々床は抜けてるし、床下から羽が生えたアリが這い出てきたのを見たことがあるからだ。
いるのは確実だろう。
木を食べる白い悪魔が。
廃材をツギハギのように釘で打ち付けたりはしている。
食費と日用品すら満足にないのに施設の修繕費など夢のまた夢だ。
この施設は外部の侵入者よりも警戒しなければならないものが多すぎるのだ。
ーーー内部の裏切り者を逃さないという意味ではこの施設らしいわね。
小さな厨房の棚の影。
そこに備え付けたものを見てりんはほくそ笑んだ。
それを袋に詰め込んでりんは裏口からそっと外に出た。
まだ白モヤがかかっている。
子供達が生活している棟は表から隠れるように位置している。
表には老朽化した施設には過剰なほどの立派な門がある。外のお客様を出迎えるようなのは確かだ。
そこには「幸福の家」と艷やかな墨色で記されている。
|生きているだけでも幸福だ《・・・・・・・・・・・・》。
ーーーそう言い聞かせなければ折れてしまう。
そんな最低限の幸福しかないのがりんの暮らしだった。




