1-2 亮太、未来史をインプットされる
楽しんで頂ければ幸いです。
亮太は、いつもの練る時間である1時間前の午後10時にベッドに入った。『刷り込み』に8時間を要するというナカゾノの言葉を覚えていたので、逆算して7時に起きるのに余裕のある時間としたのだ。
それにしても、ナカゾノそしてアイエボとのやり取りは鮮明に覚えているが、余りに途轍もない話に亮太は、本当にそれらのやり取りがあったのかと、信じられない思いであった。
しかし、ベッドに入ってまもなくナカゾネからのコンタクトが始まった。
『よろしい。準備はできているようだね?』
『ええ、よろしくお願いしますよ』
『実際の刷り込みの作業はアイエボが行う。それでは、今後全部で多分10回、苦痛はないが翌朝に記憶の混乱に悩まされると思う。その点は承知して精神を平静に保つべく頑張ってほしい』
そう言われると、不安が込みあげてくるが、承知した以上は受け入れるしかないので言う。
『僕が耐えられる程度であることを祈っていますよ』
ナカゾノが去っていく感覚と、平坦なアイエボの意識の登場である。
『では、力を抜いて楽にして、そら、気が遠くなっていくだろう。さて…………』
『リョウタ、今日の施療は終わったよ。起きなよ。我は去るぞ。次は明後日の土曜日だな。時間は同じ午後10時に始めよう。ではさらばだ』
このようなアイエボの念話に目が覚める。普通の起き抜けのように最初はぼんやりしていたが、念話が終わる時には意識は明瞭になった。だが、頭の中が渦巻いているような感じで混乱している。そして、何か纏まった記憶の塊が新たに加わったことが解るものの、そちらに意識を向けようとすると、そこはカオスのただ中である。
しかし、それから意識を離せば、頭の隅での混乱を感じるものの、通常通りの思考はでき、恐れていたような苦痛や大きな混乱はない。つまり普通の生活を送ることに問題はなさそうだ。また、加わった記憶の塊が、刷り込みされた知識なのであろうが、現在はカオス状態である。だが、徐々に落ち着いてくることは確信をもって信じられる。
その日は、通学、授業、部活など普通のルーチンを熟し送りながら、できるだけ新たな記憶のゾーンに触れない(意識しない)ように過ごした。そして、翌朝は通常の起床時と殆ど変わらないことを確認して、そっとそれに触れてみる。すると、今度は眩暈がするよう混乱はない。
また、新たな様々な知識毎の事象はクリヤーに浮かんでくるものの、それぞれの位置付けや時系列がはっきりしない。つまり、全体としてのまとまった事象の一部とは捉えられず、知識として、とりわけ歴史としては意味のないものであった。
そこで亮太は、その日は授業の合間など断続的に、短時間ではあるが記憶として頭脳にある事象を客観的に眺めることで、いわば慣らしを行うことにした。さらに、翌日の朝には、各事象はまとまった流れの中の一部として捉えることができた。
これは、ナカゾノが言っていた科学史が確かに亮太の頭脳にインストールされたことが確認できたのだ。つまり、記憶の混乱が落ち着いたのである。
その日は、いつもの日常を過ごしながら、新たに得た記憶のまずは全体の概観を掴んでみた。これは、細部を見ないようにしているので、知識のレベルとしては高校の近代史の教科書程度である。それには、科学史というが社会・経済的な相当に詳しい歴史も含まれていることが解り、中には近未来の株価変動のデータまでもある。
『ふむ、これはこの情報を利用して金儲けをしろということか。ええ!2年後の4月に中部地方で大地震、死者3千人超、家屋が2万戸全半壊か。これは大変なことだ。しかし、解っていれば少なくとも人の被害は防げるし、物理的な被害も、相当防げるだろう。うん、この知識は極めて重要だ。
えーと、それからっと。えええ!さらに2年後の9月、C国がT国に侵攻!同盟A国軍が出動して、日本も自衛隊が出動!死者30万人超え、自衛隊の死者も4千人弱と、T国の市街地にミサイルが落ちて、15万人が死んでいる。さらには、米軍の空母他の8隻が沈み、C国は3隻の空母すべてと25隻が沈んでいる。
しかし、T国の占領はならずと、痛み分けの結果になっている。ナカゾノの言っていた戦乱はこれを指しているのか、いや彼は数千万人の犠牲者が出て、社会が大混乱すると言っていた。この紛争では核は使っていないようだし、その将来には核を使った戦争も起きるのだろうな』
その日は、亮太は授業もそっちのけで頭の中の「未来の歴史」をなぞっていって、その内容に大きな衝撃をうけて考え込んでしまった。
『人類はかくも愚かだったのか!!!』
正直に浮かんできた感想がこの言葉であった。人類は戦争を繰り返した結果、数多くの悲惨な事態を招いた歴史から学んで、『戦争をしないシステム』を作ろうとしてきたはずなのだ。
しかし、タガが外れたのは、R国のP大統領の自らを歴史に残そうとする私欲によって起こされた、R国によるU国への侵略戦争である。R国は、公称1500発余りの核ミサイルを持つとされている。そのため、その力を背景に他国が軍事行使ができないようにしている。
そして、他国が軍事的なその状態でU国への全面的な軍事侵略をおこなって、勃発後3年を過ぎてもまだ戦っている。
R国は、長く続く経済の落ち込み、技術レベルの停滞により、公称ほど実用できる核ミサイルを持っていないことは明らかとされている。しかし、少なくとも大陸間弾道弾を含む数百の可動の核ミサイルをもつことは確かであろう。そのような国に対しては、核を使うという決断させるほど、追い詰めることはできない。
だから、戦争を止めたい諸国もR国の非を鳴らしても、正面きっての軍事対決はできないのだ。この戦争では双方で100万人以上の戦死傷者が発生し、U国の民間人も4万人以上の死傷者が発生している。
しかしR国は莫大な戦費や西側諸国を中心とした経済・社会上の締め付けによって、R国は仮に勝ったとしても、破壊した建物・インフラの復興はできず、国内の経済の落ち込みは確実であり、今後の没落は避けられない。結局愚かな指導者を選んだ、R国民が今後苦しむことになる。
もう一つは中東のI国が、侵略して属国状態においているP自治区の一部である200万人が住む地区Gに侵攻して町を破壊して、人々を殺している件である。I国は、U民族が2千年前に住んでいたということを理由に、住んでいたP人を追い出して、死海周辺の地区にI国を建国したものだ。
その侵略の手法は相当に悪辣なものであり、追い出されたP人は侵略者のU民族に深い憎しみを抱いている。だから、G地区に住むP人が、I国への武力闘争を掲げる組織Hを地区の統治者として選んだのは、無理のない所であった。
しかし、武装組織HはI国に侵攻して千人以上の市民を殺して、数百の人質を連れ去るという暴挙を犯した。明らかにやりすぎである。
それも、Hのその暴挙の原因が、どうもHへの同志たるアラブ諸国からの献金が減っているのを、派手な活動をして注目を集めれば、また財政的に復活できるという目論見であったとされる。その結果は、Hにとっても彼等に統治される地区Gの住民にとっても悲惨なことになった。
敵であるアラブの国に囲まれて常に緊張状態にあるI国は、“舐められたら終わり”という国是である。そのテロ事件は、I国指導部への国民からの強い批判に繋がった。I国は直ちに軍事的に中東ではトップの軍事力を駆使してG地区に攻め込んだ。
近代的で強力な歩兵部隊、戦車、戦闘機、戦闘ヘリを投入した数万のI国軍に、単なる武装組織であるHに抗う術はなく、逃げ隠れするしかない。
結果として、P人の死者のみで7万人に近く、200万人が住む都市の60%以上が破壊されるという事態を招いた。そして、A国の仲介で和平条約を結んだものの、I国は未だ様々な理由をつけて散発的に都市への爆撃を繰り返している。
その目標はHの構成員が紛れているという理由で、病院や学校も躊躇うことなく選んでいる。
どちらも、力が勝るものが好きなようにしているということであり、周りはそれに対して武力を使ってまで、止める術はないということである。U国侵略に関しては、R国の侵略は、世界からの支援を受けたU国の抵抗によりはかばかしく進んでいない。
そのことから、R国の核が使われない保証はないと言われている。これもP大統領の気まぐれで使われる可能性があるのだ。
とは言え、世界が非難する中でのU国侵略は、R国の将来の立場及び経済を著しく劣化させることは明らかである。一方で、「孤立上等!」のI国については、それでも続く超大国であるA国の援助は途切れることはなく、さほどの苦境に陥ることはないと考えられる。
いずれにせよ、このように力の強い者が他を蹂躙するということが、大々的に人々に見せ付けられたわけである。それを、周辺に対して全方位的に恫喝をしているC国が、注意深く見ているわけである。
C国が自分の一部と宣言している島国であるT国に対する関係は、R国のU国に対する関係に似ている。
U国は、共産国として大きく拡大したR国を主体とし前大戦後に形成された連邦に取り込まれていた。しかしその連邦においては、あくまでR人が主人でありU人はその従属者あり、その従属はU人にとって不本意なものであった。
とりわけ、全世界大戦後、R国の指導者が豊かな穀倉地であるU国から意図的かつ過剰に穀物を輸出して、数百万人と言われるU人の餓死者を出したことはR人を嫌う原因である。
しかし、R人、とりわけP大統領は、U人がR国に従属すべきと考えている。ただし、U国のほうがR国より近代化において優れている面が多く、むしろ生活は豊かである。いずれにせよ、P大統領はかつて連邦の一部であったU国はR国の属国であるべきと思っている訳だ。
C国も嘗ての世界一の帝国時に、島であるTもC国の一部であったので、自分の国の一部と固執している。だが、C国は国連の常任理事国であり、国力もそれなりに強いこともあって、世界はT国がC国一部というC国の主張を表面上認めている。
しかし、T国に住む人々の大部分は共産党に支配され、選挙がなく言論の自由もないC国の一部とは全く思っておらず、併合されたいとは思っていない。
従って、T国の人々が同意してC国に併合されることはあり得ないために、C国の指導部は軍事進攻によって征服するつもりである。実際に彼我の国力、戦力から言えばT国のみで自国を守りきることは無理であると見られている。
日本にとっては、C国とT国の間の海峡は重要な貿易ルートでもあり、国益のためにその軍事侵攻は座視できない要件である。さらには、民主的なT国がC国に軍事侵攻されることがあれば、嘗ての沖縄がC国に朝貢していたことを理由に沖縄への侵攻に繋がることも十分考えられる。
何より、大部分の日本人は、民主的なT国の人々が、散々その傲慢な態度を見せている共産C国に征服されるところを見たくはない。もっとも、多くは“自分が安全であれば”という条件が付くが。その軍事進攻が2年後に迫っている。知った歴史と、与えられる知識でなんとかなるか。
亮太は、その日は部活を休むことをサッカー部の同じクラスである中川誠二に伝えた。ちなみに、半分ほどの3年の部員は、2年の冬の大会で退部するが、亮太と中川は残っている。部活を続ける者は余程受験に自信があるものか、推薦で受かったものだけだ。中川は推薦で地元の私立に受かっている。
「え、どうしたよ、亮太」
「うん、ちょっと体調不良ということで、頼むわ」
「ああ、昨日、一昨日と少しおかしかったな。判った、栗谷(2年生のキャップテン)に言っとくよ」
家に帰った亮太は、部屋にあるパソコンで、知識として蓄えられている直近10年の大きな出来事を打ちこんでいった。途中、夕食を挟みながらである。父が午後7時半に帰るのに間に合わそうとして、A4で3枚ほどになった打ち込みを続ける。




