雑用係の少女たち
何かの書類にサインをさせられた後、目の前にいた男によって分担された。
そして雑用係に回された者たちは、それぞれ与えられた持ち場へと散っていった。
ミレイナは、中庭の掃除と水運びを命じられた。
作業を始めてすぐ、周囲から向けられる視線に気づいた。
ちらり、ちらりと、陰からのぞき見るような目線。
露骨に話しかけてくる者はいなかったが、
それでも、好奇の色が隠しきれていなかった。
ミレイナだけが、あまりにも異質だった。
金色の髪。
青く澄んだ瞳。
白く透き通った肌。
ここにいる誰とも違う顔立ちだった。
だからだろうか。
与えられる仕事は、ほんの少しだけ、他の者たちより軽かった。
割れた桶や、壊れかけた箒は与えられず、必要な道具も、それなりに使えるものを選ばせてもらえた。
食事も、ほんの少しだけ、温かいものを出された。
明確な優遇ではない。
けれど、無意識のうちに、周囲とは違う扱いを受けていることは、ミレイナにもわかった。
それでも、ミレイナは自分に与えられた仕事を、淡々とこなした。
働き口があるのだから。
それだけで、十分だった。
屋根の下で夜を越えられること。
粗末でも、食事にありつけること。
誰に感謝されるわけでもないが、誰から咎められることもない。
ここにいる限り、明日の居場所を心配せずに済む。
彼女の住んでいたあの国には侍女に自由がなかった。それに比べれば、今いる国の方が人間としての扱いは幾分かはマシだ。
ミレイナは、黙々と手を動かした。
汚れた床を磨き、割れた瓦を拾い、水場と中庭を往復する。
手のひらは乾き、指先には細かな傷が増えた。
マントの裾は、いつの間にかすり切れていた。
それでも、誰よりも静かに、誰よりも確かに、ミレイナはそこにいた。
作業が一段落した頃、短い休憩が与えられた。
水場の隅、日陰になった石段に腰を下ろす。
飲み水をすくいながら、ミレイナはそっと手のひらを見つめた。
乾ききった皮膚と、細かな傷。
そのとき、軽い足音が近づいてきた。
「ねえ、あなた、ミレイナって言うんでしょ?」
弾むような声だった。
顔を上げると、あの日、馬車の中で肩を寄せていた少女、栗色の髪を二つに結んだ子が、いた。
ミレイナは、少しだけ瞬きをして、うなずいた。
「やっぱり! わたし、璃芙っていうの。」
少女――璃芙は、にっと笑った。
その笑顔には、警戒も下心もなかった。
ミレイナは、静かに尋ねた。
「……何で、私の名前を知ってるの?」
璃芙は、悪戯っぽく肩をすくめた。
「宮中で噂になってたよ。変わった顔だって。」
あっけらかんとした言い方だったが、
そこに悪意は感じられなかった。
「金の髪に、青い目なんて、こっちじゃ滅多にいないからね。」
璃芙は、そう付け加えると、また笑った。
どうやら宮中では、文字の読める者がいて、ミレイナが書いた字を、どこかで見た者もいるらしかった。
確かに思い返してみれば、ここへ連れてこられた初日に、粗末な帳面に名前を書くよう命じられたことがあった。
渡された筆は粗末なものだったが、
ミレイナは迷いなく、自分の名前を記した。
誰かがそれを目にしたのだろう。
しかし、ルヴェリア帝国で使われている文字だというのに、それを読める者がいるとは思わなかった。
この国では、ルヴェリア帝国式の文字を理解できる者は、何人かいるという事になる。
耳に入る響きは馴染み深かったが、ところどころ、訛りが混じっているような話し方だった。
「……ここ、嫌じゃない?」
言葉は軽かったが、その奥には、かすかな本音がにじんでいた。
ミレイナは、水面に映る自分の顔を見つめたまま、わずかに首を横に振った。
璃芙はぱっと笑った。
「そっか! だよね、じっとしてるより、体動かしてたほうがマシ!」
小さな拳を胸の前で振って見せる。その仕草に、悲壮感はなかった。
「……あたしなんか、人攫い三回目だし。」
あっけらかんとした声で、さらりと言う。
「最初は七つのとき。次は十一。それで今、三度目!」
指を三本立てて笑ってみせる璃芙を、ミレイナは静かに見つめた。
「ま、こうして生きてるし、案外運はいいのかも!」
璃芙は、明るく笑った。
まるで、不運さえ笑いに変えてしまうような、そんな笑顔だった。
「何かあったら声かけてよ!あたしこう見えて、結構面倒見がいいんだから!」
璃芙は軽く手を振って、にっこりと笑った。その笑顔は、どこか親しみを感じさせるものだった
ミレイナは、小さく頷く。それ以上、言葉は交わさなかった。
それでも、ほんのわずかに胸の奥が温かくなるのを感じた。
璃芙は軽い足取りで、ぱたぱたと持ち場へ戻っていった。
ミレイナも静かに立ち上がり、水場を後にする。乾いた石畳を踏みしめながら、与えられた持ち場へ向かった。
中庭には、まだ朝の名残を引きずる薄い光が漂っていた。遠くで、誰かが桶を倒す音が響く。
いつもの、変わらない日常。けれど、ほんの少しだけ、世界が違って見えているような気がした。