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第二話「プリンチペッシーナは退屈にあらせられる」(4)

 次の日の朝、僕は再び君主宮殿に赴くことになった。

 カヴァリエーレ・リータを迎えたじじいの表情は険しかった。


「何をしに来た!」


 急に声を荒げたじじいに首を傾げつつ、僕は神父らしからぬ怒声を放つ彼をなだめた。


「フェリチタ御嬢様のご命令だ」


 彼女の方も中々譲らない。


おひぃ様(プリンチペッシーナ)のか? プリンチペ・マッシモでもマンマでもなく?」

「ああ、フェリチタ御嬢様のだ。マンマもその方がよいと仰っている」


 じじいは何やら黙りこんでしまった。僕は何の話かわからずに、詳細を問うた。


「理由は聞いていない。お前に会いたいそうだ。全く、こんな小僧に――」


 どうやら、カヴァリエーレ・リータにとってはあまり気の進まない仕事らしい。昨日、邸内で聞き及んだところによると、彼女の本来の職務はフェリチタ御嬢様の侍女だそうだから、まあ、素性の知れない人間を邸内に入れたくないのだろう。


「全く……ぬけぬけと言いやがる……」


 呆れと、嫌悪と、そして先ほどまでとは違う、どこか冷めた怒りが、じじいの声とともに漏れ出た。


「エリコ、行って来い」


 少し悩んだ後、じじいの方が折れた。ふたりのやりとりを見ながら、じじいが怒っていた相手はリータではなくプリンチペ・マッシモであるのがなんとなくわかった。

 クリュプトンのことが気になった。彼は一応僕の部屋にいるが、いつまでもあのままにしてはおけない。何の解決も望めないまま、じじいに見つかるのはよろしくない。


「来い。今日は馬車ではないから、馬に振り落とされるなよ」


 カヴァリエーレ・リータは足早に教会を出て行った。


「エリコ、宮殿で何か見たか?」

「えっ?」


 じじいの言葉は、僕を引き止めるわけでもなく、しかし強い口調だった。


「見てないのか?ポルタパーチェには近づいたか?」


 「飛び立つ者達の門ポルタ・ディ・パーチェ」。街の北端にある、天使の街とルーナの街を分かつ巨大な門。飛び立つ者の家族ならともかく、僕はそこに用事などないし、祭りの日以外は行った事もない。

 僕が首を振ると、じじいは満足したようで、溜息をついた後、手で追い払うように出発を促した。



            * * *



「会いたかったわ、エリコ! 美味しい紅茶が上がってるわ。どうぞ座りなすって」


 どうやら給仕達の間では姫屋敷とか呼ばれているらしい、君主宮殿の一角で、僕は謎の歓待をフェリチタ御嬢様から受けていた。


「あの、どういったご用件でしょうか?」


 紅茶をすする。苦い。不味い。


「ごめんなさい。わたくしがわがままを言って無理に連れてきてもらったの。あのね、エリコ。わたくしとお友達になって下さる?」


 あまりにも唐突な誘いに声を失った。思わず振り返ってカヴァリエーレ・リータを見た。


「あの、カヴァリエーレ!」

「その名で呼ぶな。リータでいいと言っただろう」


 不機嫌そうな顔。賛同しかねているのは見るに明らかだ。


「御嬢様がそう仰るのだ。仕方があるまい。お前はどうなんだ?」

「え……ああ、僕は――」


 突然、フェリチタ御嬢様が僕の手をとる。目には嘆願の色を秘めた涙が溜まっている。

 いくら同じ女とはいえ、こうも愛らしい反応をされては無下にできない。


「わ……わかりました」


 苦し紛れに言葉をひねり出すと、今にも泣き出しそうなフェリチタ御嬢様の顔が、混沌の隙間から陽光が射すように明るんだ。どこかの乱暴御嬢様に見習って欲しいものだ。


ありがとう(グラツィエ)ありがとう(グラツィエ・タンテ)、エリコ!」


 無邪気にはしゃぐ彼女を見て、この人は少しだけビアンカに似ていると思った。


「今日は邸内の案内をするので早く来てもらったが、明日からは午後の二時間ほど、御嬢様のお相手をして欲しい」


 その後はリータに邸内の案内をしてもらい、フェリチタ御嬢様が望むままに下町の話を言って聞かせた。フェリチタ御嬢様は、どうやらカタリーナ御嬢様とは違い、他の貴婦人達とはほとんど交流がないらしい。病弱であるからというのが理由らしいが、僕にはビアンカと比べて遥かに健康であるように見えた。フェリチタ御嬢様は僕がピオと馬鹿をやる話をすると最も喜んだ。ビアンカの話をすると「可哀想に――」とまた目に涙を溜めた。


「大丈夫ですよ。ヴィルトが頑張ってますから。お薬代もきちんと稼いでますから」

「エリコはビアンカのこと、何て呼ぶの?」

「ビアンカって普通に呼びます」

「わたくしのことも、フェリチタって呼んでくれないかしら? 御嬢様(プリンチペッサ)姫様(プリンチペッシーナ)も息苦しくて嫌なの。それに、ビアンカに話すみたいに話して欲しい。ダメ……かな?」

「うん、いいよ」


 正直、僕の方が普段使い慣れない言葉を使っているせいで辟易へきえきしていた。御嬢様――じゃなかった、フェリチタの方からそう言ってもらえるなら願ったりだ。


「御嬢様!」


 案の定、リータが目くじらを立てる。


「お願い、リータ!」


 気付いたが、リータはフェリチタに対して相当に甘い。厳しいことを言うが、最後には必ず頷いてしまう。今もそうだ。


「……わかりました。フェリックス様やカタリーナ御嬢様の前では控えるように――」


 ほら来た。鉄面皮と呼ばれる騎士の日常がここにあった。

 カタリーナ御嬢様のおてんばもかなりの問題だが、フェリチタがビアンカに会いたいと言い出した時は、やはり二人が姉妹であることを認めざるを得なかった。そして我らがカヴァリエーレは、かなり難色を示したものの、プリンチペ・マッシモの許可を取ればという条件で呑んだのだ。後で給仕から聞いた話だが、フェリチタは普段から家来に無理強いをするような子ではないらしい。


(そんなに寂しいのかな。この屋敷は――?)


 これほど大勢の人に囲まれながら、フェリチタは何が足りないというのだろう。何というか、わがまま(ヴィツィアータ)だ。ラクリマを無尽蔵に灯すような贅沢の中にいて、こんなにも優しいリータが傍にいて、まだ足りないという。

 明日はフェリチタに何を話そう。今日は楽しい話ばかりした。食卓にベーコンが出ても眉ひとつ変えない少女が、先月の僕が豆のスープと目玉焼きとわずかなパンで食いつないだことを知ったら、どういう顔をするだろう。遊びと喧嘩が混ざったような騒ぎで生計を立てている少年がいることを知ったら何を思うだろう。僕が会いに行くたび、ビアンカがとても嬉しそうな顔をする意味を知ったら、どういう返答をするだろう。


(悪い子じゃないんだけどなぁ……)


 いやはや、姫様は退屈にあらせられる。




第二話「プリンチペッシーナは退屈にあらせられる」了

第三話「プリンチペ・エ・プリンチペ」へ続く


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