表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/44

最終話「行ってしまわれるのですか?」(4)

 フェリチタと共に馬車に揺られながら、君主宮殿へと向かう。


(クリュプトンはいる。確かにいる。だから、きっと生きてる……)


 根拠などないが、そんな気がする。出会った時のように、またひょっこり現れて僕を驚かすに違いない。


「ほら、エリコ。見て。ポルタパーチェがとても綺麗。ちょっと見ていこうか」


 今日は混沌がやけに濃いが、それに相反するようにポルタパーチェの輝きが強い。あれもまた、門を越えていった者たちの命の輝きなのだろうか。

 ポルタパーチェの近くまで来た時、僕は思わず叫んだ。


「ねぇ、ちょっと……馬車止めて!」


 馬車から降りた僕は、そこ(・・)へ向かう。


「エリコ! どうしたの? エリコ! 待って!」


 後ろでフェリチタが呼んでいる気がしたが、そんなの関係ない。

 確かにいた。「飛び立つ者達の門ポルタ・ディ・パーチェ」の前に、彼は立っている。


「クリュプトン! 生きてた! クリュプトン!」


 駆け寄る。今日は何という日だろう。胸の奥深くに熱い何かが染み渡るのを感じる。

 僕の声に気づいたクリュプトンは振り返ると、にっこりと微笑んだ。


――ヴィアッジョを……。


 手を差し延ばす。僕はそれを掴む。


「また、旅をするの? 何処へ? 何処へ行こうか、クリュプトン?」


 門が開く。外の世界は光に包まれていた。明るい。これは、命の光だ。眩しい。僕はクリュプトンとともに、この中に飛び込んで行くのだ。

 足を踏み出そうとした途端、腰に重みを感じた。何かが僕にしがみついている。


「いない! クリュプトンなんて人、最初からいなかった! いたのはただの静かな白犬(カーネ・ビアンコ)。エリコ! あなたが、あまりにも見ていられなかったから……アルフォンソには……! お願い! 帰ってきて、エリコ!」


 フェリチタは寂しがり屋だ。このまま放っておけない気もするが、彼女はひとりではない。クリュプトンには、僕以外にいない。


「どうして……どうしてエリコなの? どうしてわたくしじゃないの? わたくしだって狂ってしまいたい! だって、ポルタパーチェの向こうにリータはいないのに! 帰ってきて、エリコぉ! お願いだから! わたくしをひとりにしないで!」


 振り返る。彼女に別れを告げなければ。何だ。フェリチタはいい子じゃないか。


さよなら(チャオ)、フェリチタ」


 優しく彼女の手を振り解こうとした瞬間、熱っぽい何かが胸下を通り過ぎた。


「ーーッ?」


 急に足元が覚束なくなる。足先が痺れて立っていられない。おかしい。腹の辺りが焼けた石を(はら)んだみたいに熱い。

 膝をつく。腹を(まさぐ)ると、温かい何かが手を濡らした。

 赤い。何だろう。今度は足先が寒い。混沌が降りてきたのだろうか。

 誰か、いる。

 ひとりやふたりではない。大量にいる(・・・・・)。滅びたはずの街に似つかわしくない生者の気配がある。

 不自然な静寂。フェリチタが息を呑む音が聞こえてくる。

 彼女の視線の先には、自動弓を構えた兵がいた。

 見慣れない鎧だ。ルーナのものより(チェラータ)が大きい。


「モニカ……。嘘……どうして?」


 驚愕と恐怖で身を震わせながら、辛うじて捻り出した声が聞こえた。


(モニカ……?)


 何故、モニカ兵がここにいるのだろう。いや、何故無事でいられるのだろう。混沌が吹き荒れる廃墟で。

 ふと、ニッチの言葉を思い出す。


ーーいずれ、誰もがルーナを守るものが何もないことに気付くでしょう。


 ああ、彼が言っていたのはこれなのかーーと、得心が行った。ついにモニカがルーナに攻め入ったのだ。しかも守備の薄い天使の街側からという徹底ぶりだ。


「何だ。何が飛び出してくるかと思ったら餓鬼(ラガッツィーノ)か」

「誰でも良い。こじ開ける手間が省けた」


 誰かの声が聞こえてくるのだが、よく見えない。頭の後ろ側が寒気で凍りそうだ。


「もう一人は貴族の子か? どうする」

「騒がれてもつまらん。殺せ」

「了解」


 聞こえているのに、中々頭で理解できない。でも、フェリチタが危ないのはわかった。

 いくつもの足音が近づいてくる。それも、(おびただ)しい数だ。話し声が聞こえたのはほんの一部。彼らのほとんどは寡黙に任務を遂行しようとしている。


「フェリ……チタ、逃げて」


 良かった。どうにか声を捻り出せた。だというのに、フェリチタは僕を抱くように座り込むと、着ていた外套(ペッランダ)をくしゃくしゃにして僕の腹に当てた。自分の顔を同じくらいくしゃくしゃにしながら静かに泣いていた。


「ああ……。ああぁ……エリコぉ……。止まらない。血が、血が止まらないよぉ……」


 なんて馬鹿な子だろう。フェリチタには、自分の命の危機が見えていないのだろうか。彼女の護衛は何をしているのだろう。それに今すぐプリンチペ・フォルトゥナートにモニカの侵攻を伝えないと、ルーナが劫掠(ごうりゃく)の憂き目に遭う。

 不意に、自動弓が構えられるのを感じた。何の音もしないのに、それを感じ取った。

 (ほの)かに怒りが立った。火の粉が頬を掠める程度に仄かな熱。

 こいつらはフェリチタに矢を向けている。あの、虫一匹殺せない、優しいフェリチタに。


(クリュプトン、どこにいるの?)


 呼びかけようにも、腹から何かが抜け出てしまい、声にならない。

 クリュプトンはそこにいるはずだ。彼ならきっと僕とフェリチタを守るように、敵に向かって立ちはだかっているはずだ。

 寒い。

 混沌が足元まで降りてきている。


ーーごぉふ、ごぉふ……。


 唸り声。どこかで聞いたことのあるーー


ーーうわぁッーー!


 金切り声のような何かが聞こえた。


ーー助けて! 助け……!

ーー隊長! あいつ長槍(ピッカ)が通ら……うわッ……逃げッ!

ーー何だ、あれは。聞いてないぞ、あの巨きさは! ぎゃッ!?


 雄々しい(カーネ)の吠え声と、子犬(クッチョロ)が騒ぐような金切り声。それらが次第に混ざり合って聞き取れる声も少なくなる。

 フェリチタの無事を確かめようと、首を動かす。彼女は僕の腹に丸めた外套を押し付けながら、一点を見上げていた。

 フェリチタは、まるで怯えた子犬のような目で、それを見ていた。いや、視線が少しずつ上ずれる。何だろう。かなり(おお)きい。彼女は何を見ているのだろう。


ーーごぉふ、ごぉふ……。


 何かの唸り声と、誰かの叫び声が互い違いに聞こえるたび、フェリチタは身を震わせる。顔が恐怖で引き攣っている。

 眠い。

 瞼が鉛のように重い。急に景色が眩んだと思ったら、目を閉じていたようで、フェリチタに頬を叩かれる。


「エリコ……待って! 駄目よ! 眠っては駄目!」


 駄目だ。眠い。

 それに寒い。額に熱い何かが落ちてくる。

 (ヴェント)が吹いた。混沌の濃い、生暖かくじめじめした、頬に張り付くような風。

 ふと、全身の重さが消え、身体が羽根のように軽くなる。まるで吹き荒ぶ混沌に(さら)われるように身体が浮いた。

 誰かに背負われているのに気づくまで少しかかった。


(ああ、そこにいたんだ。クリュプトン!)


 身体が大きく揺られる。絶叫と唸り声は未だに耳元から聞こえる。クリュプトンは僕を背負って何処へ行こうというのだろう。

 いや、何処だっていい。

 クリュプトンと一緒なら、何処へだって行けるはずだ。

 暖かい。広い背に顔を埋める。

 遠くから、誰かの声が聞こえる。


「逝かないで、エリコ!……逝かないで! わたくしを置いて(エ・イル・ノストロ)逝かないで(・アッディーオ)!?」


 フェリチタかな。やっぱりまだ寒い。声が遠い。もうあまり聞こえなくなってきた。彼女は門の向こうに逃げただろうか。

 ああ、暖かい。

 ねぇ、クリュプトン。何処へ行こうか。

 でもその前に、少しだけ眠らせて欲しい。さっきから眠気が酷いんだ。

 少しだけ……。

 少しだけだから…………。


 ……………………………………………………………………。


 …………………………………………………………。



 ……………………………………………………。



 ………………………………………………。



 …………………………………………。




 ……………………………………。




 ………………………………。




 ……………………。




 ………………。





 …………。




 ………………………………………………。




 ………………………………………………………………ん?



 ……………………………………………………。


 ……………………………………何?



 ふと、クリュプトンが振り向く。


(ダメだよ、クリュプトン。フェリチタは連れていけないよ)


 耳元で心底残念そうな吐息が漏れ出るとともに、どこかで門の閉じる音を微かに聞いた。





「プリンチペ・エ・プリンチペ」了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ