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第六話「汝にかかる罪よ、軽かれ」(3)

 プリンチペ・マッシモの葬儀は、貴族街の花園教会で厳かに行われた。周囲に薔薇が植えられた、芳しいこの教会は悲しみの声で満たされたかというと、そうでもない。新しい時代が既に始まっていたからだ。

 死因は心不全と発表された。貴族会議では満場一致で「偉大なる君主(グランデ・プリンチペ)」の称号が、故プリンチペ・マッシモに贈られた。死後の彼はグランデ・マッシモと呼ばれるようになる。

 グランデ・マッシモの功績は、一にもニにもルーナの防衛にあった。街を囲む市壁は彼以前の時代からあったが、毒王によって度々越えられることのあった市壁を補強し、二十年に及ぶ治世中一度もその侵入を許さなかったのは、彼の最も偉大な功績だろう。

 グランデ・マッシモはポルタパーチェを潜ることなく薨去なされた。剣の家系から出たプリンチペ達は皆、彼のようにルーナで薨じた。彼らは天使の街での豊かな暮らしよりも、死ぬまでプリンチペとしての責務を果たすことを選んだのだ。

 葬儀において、グランデ・マッシモの棺に最初に土を盛る役目を言い渡されたのが、他ならぬ西区教会のジュリオ神父だった。故人直々の指名というが、二人に一体どのような接点があったのか、想像もつかない。


「全ての繁栄は、神のご加護と、平和パーチェによってもたらされる。そして全ての平和は、不滅の信仰と、不断の努力によって培われる。全ての闘争は、平和のための祈りと努力の望まぬ形であり、全ての平和と叡智を永劫の闇に葬る危険を内包している。グランデ・マッシモは、このような誰も望まぬ形の街の発展ではなく、一歩ずつ確実に前に進むことを選んだ。二十年に及ぶ長き治世を、私利私欲に走ることなく、市民の命を無駄に散らすことなく全うした点で、ルーナ史上、最も偉大なプリンチペのひとりであった」


 反対の声など、上がろうはずもない。葬儀の場である故の遠慮か、それとも、誰もがグランデ・マッシモの功績を認めているからなのかは、よくわからない。

 神父ジュリオ――じじいは、老いしわがれた手でスコップを持ち、偉大な男が眠る棺に土をかけた。そしてしばし沈黙した後、こう言ったのだ。


汝にかかる罪よ(ケ・ラ・コルパ・ティ)、軽かれ(・シア・リエーヴェ)


 ざわめき。普通ならここは「汝にかかる土よ、軽かれ」というところだ。だが、じじいはそうではなく、罪人が処刑される際に神父が読み上げる一句を言い放ったのだ。誰もが理解できなかった。


偉大なる君主(グランデ・プリンチペ)マッシモ。汝にかかる土よ(ケ・ラ・テッラ・ティ)、軽かれ(・シア・リエーヴェ)!」


 花園教会の神父が、横からしゃしゃり出てそう言わなければ、もしかすると大きな事件になっていたかもしれない。周囲の人々は、単に老いたじじいが台詞を間違えたくらいに受け取り、故人による人選の難を口にしながら、葬儀は無事に終わったのだった。

 葬儀には勿論、グランデ・マッシモの親族も列席する。これまで一度も群集の前に顔を出さなかった、末娘フェリチタも例外ではない。


「こりゃあ、相当な美人だ。誰だろうね。あの御嬢様を嫁にするのは」

「もしかすると、ヴィルトじゃないか? 奴がこのままプリンチペになれればの話だが」

「いや、ニッコロだろう」


 葬儀に似つかわしくない話も、そこらから聞こえてくる。

 うろうろしていると、リータに呼び止められた。傍には涙を枯らしたような顔でリータの裾をつかむフェリチタの姿もある。


「少し、いいか?」


 リータは何故か言葉を濁した。だが、彼女の言いたいことは顔に書いてあった。


――フェリチタ御嬢様を慰めてくれ。


 グランデ・マッシモはあまりフェリチタを可愛がっているようにはみえなかっただけに、彼女の悲しみの深さは意外でもあった。


「フェリチタ……」

「エリコ……エリコぉ……うぇぇ……」


 言葉にならない声で泣くフェリチタの手を取った。涙に濡れる少女には似つかわしくないほど、彼女の手は冷たかった。

 フェリチタの姉であるカタリーナ御嬢様は、貴族の女としてのたしなみなのか、毅然と振舞っている。だが、屋敷での彼女の態度を考えると、父の早すぎる死に哀哭する姿は想像できない。その点、フェリチタは長男のフェリックス様によく似ている。

 誰かがこちらに近づいてきた。よく見るとヴィルトだ。傍にはピオの姿もある。


「この度のご不幸、心中お察しいたします。ルーナはかけがえのない指導者を喪いました」


 帽子を脱ぎ、それを持ったままの右手を胸に当てて、ヴィルトは頭を下げた。それを遮るように、リータが僕たちの間に立った。


「プリンチペ候補者としてのこの度の活躍、グランデ・マッシモもお喜びであろう」

「恐れ入ります。僕はフェリチタ様の悲しみの深さにも、心を痛めております故――」

「フェリチタ様は気分がよろしくない。話なら遠慮してもらおう」


 リータは不機嫌を隠さずに言った。これにはピオが嫌そうな顔をした。カヴァリエーレ・リータに憧れるピオしか知らない僕にとっては意外だった。そして彼は不機嫌を表情に出しただけでなく、あろうことかリータに投げつけたのだ。


「カヴァリエーレとはいえ、いささか無礼ではありませんか?」


 リータも少し言葉が過ぎると思ったのか、「失礼した」と返した上で、こう付け加えた。


「フェリチタ様はただでさえお体が優れないのだ。よからぬ輩に言い寄られて体調を損なわれでもしたら、どうする」


 何故、リータの語気がここまで強いのか、僕には理解できない。


「僕が悪人だと仰る?」


 ヴィルトはピオのように表情を顔には出さない。人の好い彼のことだから、自分が罵られたことにすら気付いていないのかもしれない。


「お前は野心家だ、馭者ぎょしゃ。野心家は皆、悪人なのだ」



            * * *



 葬儀で読み上げられたグランデ・マッシモの遺言は、次のようなものだった。


――私は、後継者を指名しない。だからこそ、私の死で君主競争が滞ることがあってはならない。全ての政策は続行すべきであるし、全ての慶事は祝わなければならない。


 喪には服すなと、グランデ・マッシモは言いのこしたのだ。その後は財産の分配などの話が出たが、ほとんど全てが一人息子のフェリックス様に相続されるという点はわざわざ語らずとも明らかなことだ。


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