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第四話「マッシモ・ノネ」(2)

 プリンチペ・マッシモの評判はほどほどに良い。いや、正確には悪くない。だが、じじいに言わせてみれば、「下手に良かったりするよりは、悪くないくらいがいい」ということらしい。

 ところで、このプリンチペ・マッシモの政策は実に堅実だ。堅実なあまり地味で、例えば彼の君主競争での宣誓でもあった市壁の強化工事が完了したのはプリンチペ就任から十年が経ってからだった。市民たちは彼に賛同しながらも、彼の気の長さをなじった。

 突拍子もないことや、実現不可能なことに対して、「そんなの、プリンチペ・マッシモでもやらないね」という言い回しが流行り、短くなって「マッシモじゃないね」というようになった。もっとも、由来については博識なビアンカから聞いたことだ。


「全く、とんでもない(マッシモ・ノネ)!」


 僕が知る限り、フェリックス様がビアンカに会ったのはたった一度しかない。それが、急に家を訪ねてきて「結婚してくれ」だから、全くもってマッシモじゃない。

 ヴィルトは、二人の結婚に賛成らしい。唯一の肉親が認めるのだから、障害などあろうはずもない。問題は家格の違いだ。


「いや、そうでもない」


 と、姫屋敷で同じ話をした僕に対して、リータが言った。何故が凄まじく不機嫌そうだ。いや、この人はいつもどこか不機嫌に見えるが。


「それは、どういうことですか?」


 身を乗り出して問うたのはビアンカだ。彼女は彼女なりに、やはり気にしていたらしい。

 この話を聞いてからのフェリチタは「まぁ! まぁ!」といって彼女なりにはやし立てるだけで、実のところ少し邪魔だ。

 リータの話には、僕も興味がある。


「これは私が幼い頃の話なので詳しくはないのだが――」



            * * *



 僕が生まれる頃の話だ。

 五代続けてプリンチペを輩出した名門貴族である剣の家系に、クララという(むすめ)がいた。彼女は下町の青年に恋し、親類の猛反対を押し切って結婚した。


「だからこそ、反対することもあるんじゃないの?」


 特に考えもせずに、そう言ってみた。理由らしきものがあるとすれば、今のフェリックス様とヴィルトは、互いにプリンチペの位を争っている。そんな中でフェリックス様とビアンカが結婚するのに漠然と違和感を覚えた。

 笑い飛ばすと思った。「生意気なことを言うな」とリータに怒られて終わりだと思った。

 だが、リータの反応は違った。何故か口をつぐんだのだ。フェリチタの表情も晴れない。僕は何かまずいことを言ったのだろうか。


「あの――」


 不意に、ビアンカが口を開く。


「そのクララという人、どうなったんですか?」


 欲している。ビアンカはまだ始まってもいないことの結果を欲している。クララという女性に、自分をかぶせている。あるいは相手の男に。


「えーっと、どうだったかな。幸せにやってると思うんだが……」


 リータが口を濁す。何故だろう。口調とは裏腹に先ほどよりも苛立っているというか、意地悪に見える。


ーー下賎な(むすめ)が高望みをするな。


 と、嘲笑っているように思えて、少しだけ嫌な気分になる。カタリーナ御嬢様にくってかかった(ように見えた)彼女が果たしてそんな悪意をビアンカに向けるだろうか。


「何処にいらっしゃるのです? 私にも会えますか?」


 リータの沈黙が、先の話の結末が悲劇であることを物語っていた。僕も、フェリチタもそれに気付いているのに、ビアンカだけがしつこく問うた。


「安心して、ビアンカ。わたくしからも御父様に頼んでおくわ」


 フェリチタは、宮殿内での彼女の権威からみれば、口約束の域を出ないことを平然と言った。僕は少しむっとしたが、ビアンカにとってはありがたい言葉だったらしい。


「そんなにへこむなよ、ビアンカ。心配なのはわかるけど、みんなビアンカの味方さ。何も君をとって食おうという連中なんていやしないさ」


 あるいは、フェリチタ以上の軽口だったのかもしれない。ビアンカは僕を拒絶するわけでもなく、しかし暗く低い声で、彼女だけの確信を語った。


「いいえ、エリコ。私、わかるの。この街は――いつか私を殺すわ。それだけはわかるの。()()()()()()()()()。フェリックス様は、救って下さるのよ。私を救って下さるの」


 ビアンカがここまで怯える意味がわからない。ただ、彼女が普段から不安そうな顔をしている理由が、これなのかも知れないと思った。いつ死ぬともわからない生活を、ビアンカは毎日送ってきたのだ。彼女にとっての街とは自らを蝕む病そのものなのかもしれない。


「そんなこと、ヴィルトが許すはずがない。僕もさせない」


 僕は、自分が無視されたのだと思った。ヴィルトも無視されたのだと思った。ビアンカは親友だ。この街がビアンカを殺そうとするのなら、僕は脅威の前に立ちはだかるだろう。

 ふと、自分の想像が飛躍しすぎていることに気付いた。周りを見れば、フェリチタとリータがきょとんとした顔つきで僕とビアンカを見ていた。


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