09 体を貸して②
しかし、ネックレスを外すと、レイは幽霊に憑りつかれてしまう。だから、彼は肌身離さず、常にネックレスを身につけている。
「レイ。実はお願いがあるのだけれど……」
ロアンナが、かいつまんで事情を説明すると、レイは「英雄トーゴの孫の幽霊!?」とライズの正体に驚いたあとで、あっさり「いいよ」と承諾した。
「ようするに僕の体にライズさんが入って、姉さんとお出かけすればいいんだよね? それならぜひ、僕の体を使ってほしい」
「ありがとう。レイだったら、そう言ってくれるんじゃないかと思っていたわ」
ロアンナは、改めてフワフワと宙に浮いているライズに「弟のレイよ」と紹介した。紹介されたライズは、本をギュッと抱えたまま固まってしまっている。
レイはというと、ロアンナと同じ紫水晶のような瞳で空中を見つめていた。
「姉さん、そこにライズさんがいるの?」
「そうよ。この辺りに白くて丸い幽霊姿のライズさんがいるわ」
「ご挨拶したいのに、まったく見えない」
そっと腕を伸ばしたレイの手から逃げるように、ライズはロアンナの背後に回る。
『よ、予想通りの美形姉弟ですね……』
「そうかしら?」
『そうですよ。本当に俺が体を貸してもらっちゃっていいんですか?』
ロアンナは返事をする代わりに、レイにそのままライズの言葉を伝えた。
「ライズさんが、こう言っているけど?」
「もちろんいいですよ! 姉さんを助けてくれたのなら、あなたは僕の恩人でもありますから」
ニコッと笑ったレイからまるで光でも出ているかのように、ライズは眩しそうに目をつぶる。
『弟さんって、顔だけじゃなくて性格までいいんですね……』
確かにレイは、家族思いで優しい。
「姉さん。せっかくだから、今からライズさんに恩返ししようよ。久しぶりに街に行くのはどう? 僕、団長に外出許可取ってくる」
「急に大丈夫なの? 日を改めてもいいのよ?」
「王太子の婚約者を護衛するって言えば、大丈夫だよ!」
笑顔で走り去ったレイは、しばらくすると明るい笑みを浮かべながら駆け寄ってくる。
「外出許可取れたよ! ついでに馬車も手配してきた。もし、お金がいるときは、少ないけどこれ使って」
レイは、コインが入った小さな革袋をロアンナに見せたあと、自分の鞄にいれる。
「そこまでしてくれなくても……」
「いつも一人で頑張っている姉さんに、たまには気分転換をしてほしいんだよ。さぁ、行こう」
差し出された手を取ると、レイは慣れた仕草でロアンナをエスコートした。婚約者のジークは、国王の前以外でロアンナをエスコートしない。なので、その役目はレイが代わりに担ってくれていた。
ロアンナが馬車に乗り込んだあと、レイも乗り込み向かいの席に座る。
「馬車の御者には、とりあえず広場に行くように伝えたよ」
「ありがとう」
「はい、街に着く前にこれを」
レイは鞄から、茶色のウィッグを取り出した。ロングウィッグをロアンナに手渡すと、自分は同じく茶色の短いウィッグをかぶる。
「僕達の髪色は、無駄に目立つからね」
「なんだか、懐かしいわね」
ジーク王子の婚約者になる前は、こうしてウィッグで変装して街に遊びに行くこともあった。
レイは「もういいかな?」とつぶやいたあとで、ネックレスに手をかけた。
「これを外すのは、いつぶりだろう?」
「何があっても、私が必ずあなたに体を返すわ」
「分かってる。それは心配していないよ」
明るく笑いながらレイは、外したネックレスをロアンナに手渡す。受け取った信頼の証を決してなくさないために、ロアンナはレイのネックレスを身につけた。
(特に何か変わるわけではないのね)
そう思ったとたん、ロアンナのすぐ側にいたライズが何かに弾かれたように馬車の壁をすり抜け飛んで行く。
『う、うわぁ!?』
それが見えていないレイは馬車内をキョロキョロと見回し「さぁ、ライズさん。どうぞ」と両手を広げた。
「レイ、ちょっと待って。今、ライズさんは馬車内にいないわ」
「え?」
『いてて』と言いながら戻ってきたライズを見て、ロアンナは「ごめんなさいね」と声をかける。
「ネックレスの効果範囲を知らなかったの」
『大丈夫です。お気になさらず』
「さぁ、どうぞ。レイの中へ」
ロアンナが進めると、ライズは『本当にいいのかなぁ?』とおそるおそるレイに近づいていく。あと数センチで二人がぶつかるというところで、ライズはヒュッとレイの中に吸い込まれた。
(なるほど。無理に奪おうとしなくても、レイに近づいた幽霊は体の中に吸い込まれてしまうのね)
ロアンナが憑かれやすい体質の理由に納得している間に、レイの頭は気を失ったかのようにガクッと下に揺れた。
ゆっくりと顔を上げたレイが目を開けたとき。そこには、レイであってレイではない人がいた。姿形は確かにレイなのに、顔つきや姿勢がレイではない。
「今はライズさんなのね?」
「は、はい」
ライズは不思議そうに自分の手のひらを見つめたあと、グーパーして動かしている。
ロアンナが「レイは?」と尋ねると、ライズは自分の胸辺りに手を当てた。
「中で眠っているようです」
「私と入れ替わったときのように、レイは幽霊姿にはならないのね」
なぜ違いがあるのか? これもロアンナの持つ英雄の能力なのかもしれないが理由は分からない。答えが出ないことを考えても仕方ないと、ロアンナはすぐに気持ちを切り替えた。
(今は、助けてくれたライズさんへの恩返しをする時間だわ)
二人を乗せた馬車は、王宮を離れもう貴族街へと入っている。大きな建物が立ち並ぶこのエリアには、ロアンナが子どもの頃から暮らしていたクラウチ侯爵家の邸宅もあった。
ロアンナは、久しぶりに家に立ち寄りたい気持ちを抑え、ライズに話しかけた。
「ライズさんは、王都は初めてなのかしら?」
「あっ、はい。俺はノアマン辺境伯領から出たことがなく……」
「どこか行ってみたいところはないの?」
視線を彷徨わせたあとで、ライズは「あっ」と小さくつぶやく。
「できれば、王立図書館に行ってみたいです」