05 ロアンナの様子がおかしい(ジークSide)
一人きりで部屋から出ていったロアンナを見たジークは、ニヤリと口端を上げた。
(今回ばかりは、あの生意気な女も、涙を浮かべながら私に頭を下げることになるだろう)
ロアンナの波打つ艶やかな黒髪が、ジークの頭をよぎる。
(英雄の子孫め。忌々しい……)
数十年前、魔族と戦うために異世界から三人の男が召喚された。珍しい黒髪を持つ彼らは、この世界に来る前に女神の祝福を受けたとのことで、それぞれ不思議な力を与えられていた。
その力で魔族との戦いに勝利を収めることができ、三英雄と崇められることになった。しかし、英雄の一人は戦いが終わると、もう用は済んだとばかりに元の世界へ帰っていった。
もう一人は、戦いの中で辺境伯の娘と恋仲になり、王都から離れた辺境伯領へと婿入りした。
最後の一人は、戦友の王太子が国王になったことで、侯爵という地位を授けられ王都に残った。
その後、残った者の一族の子ども達が皆、黒髪で生まれてきたため、黒髪は英雄の証だと言われるようになった。
(異世界から召喚されてきた者達が活躍できたのは、当時の王家が彼らを支援したからだ。それなのに、奴らは感謝を忘れて調子に乗っている)
ロアンナもそうだった。ジークに敬意を払う様子が一切ない。立ち居振る舞いは洗練されているものの、言動が何かと鼻につく。
(特に私に向ける、ロアンナのあの目)
「ジーク様ぁ……」
愛おしいエリーに名を呼ばれてジークは我に返った。エリーの青い瞳はうっとりしていて、熱がこもっている。
(そう。私に向けられる目は、常にこうあるべきだ)
それなのに、ロアンナの瞳はいつも冷めていた。
(あんな女を妻に迎え入れないといけないなんて、間違っている!)
ピンクブロンドの髪をなでてやると、エリーは嬉しそうに微笑む。
(美しい私の側には、エリーのような女性がいるべきだ。だから、ロアンナがいかに私にふさわしくないかを陛下に知ってもらうために、様々な要求をしてきたのに……)
今まで一度も成功したことがない。
(でも、今回は違うぞ。愛するエリーと共に考えた過去最高の難題だ)
ジークは、お飾りメイド達に『ロアンナの言うことを聞かないように』と命令していた。だから、ロアンナではバラ園の整備はできない。
その後、ロアンナができなかったことを、エリーがメイド達に命令して素早く終わらせるという計画だ。
(これで、ロアンナよりエリーが王太子妃にふさわしいと、周囲も気がつくだろう。あとは約束の時間になるまで、ゆっくり待てばいい)
エリーがジークにローズティーを勧めた。そして、「はい、あーん」と言いながら、バラをかたどった焼き菓子をジークの口元に運ぶ。
「ジーク様。ロアンナ様がいなくなれば、私を婚約者にしてくださいますか?」
「もちろんだ。王太子妃になれるのは、私が愛するエリーだけだよ」
「嬉しいです……」
そっと口づけを交わそうとしたとき、勢い良く扉が開き、去ったはずのロアンナが戻ってきた。
呆然とするジークとエリーをよそに、ロアンナは「あっ、思いっきり開けてしまった」とオロオロしている。かと思えば「え? そんなことは気にしなくていい? そ、そうですか」と、何もない空中に向かって話しかけた。どう見ても様子がおかしい。
ジークは、エリーを守るように背後に隠した。
「なんの用だ!?」
いつもは何を言われても堂々としているロアンナが「あっ、えっと」と口ごもっている。その様子に驚いたものの、ジークはすぐにニヤリと笑う。
(さては、バラ園の整備ができないことを認めて、私に頭を下げにきたな?)
ジークが勝利を確信した瞬間、ロアンナは自信なさそうに手を挙げた。
「えっと……。ここにいるメイドさん達の中で、一番偉い人は誰でしょうか?」
ロアンナの言葉にメイド達は顔を見合わせている。この中では、伯爵令嬢であるエリーの身分が一番高い。
エリーがおずおずとジークを見た。『何があっても君を守る』という意思を込めてジークが力強く頷くと、安心したようでエリーは一歩前に出る。
「は、はい。私です」
「あなたのお名前は?」
ロアンナにそう尋ねられたエリーの瞳に、涙が浮かぶ。
「ロアンナ様、ひどいです! いくらジーク様の寵愛を得ている私のことが憎いからって、名前を知らないふりをするなんて……」
ジークはすぐに「エリーをいじめるな!」と背中に隠したが、それを見たロアンナは「あっ、エリーさんと言うのですね」と、少しも反省していない。
「では、エリーさん。あなたをバラ園の整備責任者に任命します」
ジークとエリーの声が重なる。
「は?」
「え?」
ロアンナは、淡々とした口調で、同じ言葉を繰り返した。
「ですから、メイドさん達の中で一番偉いエリーさんをバラ園の整備責任者に任命します」
「何を言っているんだ!?」
ジークの言葉に、ロアンナはきょとんとした顔をする。
「何をって。ついさっき、殿下がロアンナ様にバラ園の整備を命じたではありませんか」
「そ、そうだ! なのに、なぜエリーが?」
「エリーさんの立場は、あくまでこの王太子宮のメイドですよね? だったら、ロアンナ様の命令を聞く義務があります」
「はぁ!?」
驚くジークを見つめながら、ロアンナは不思議そうに首をかしげた。
(な、なんだその動きは? なんだその無邪気な表情は!?)
今まで一度だって、そんな可愛らしい仕草を見せたことがなかった。戸惑うジークをよそに、ロアンナは話を続ける。
「ロアンナ様は殿下の正式な婚約者です。そして、この王太子宮の管理を任されています。だから、この宮で働く者達は、すべてロアンナ様の管理下にあるのです。エリーさん、バラ園の整備の指揮をとってください」
エリーの青い瞳から、ポロポロと涙が流れていく。
「ひどいわ、ロアンナ様……」
「えっと、何がひどいのか分からないのですが? とにかく、エリーさんはメイドさん達に指示して、しおれたバラの剪定から始めてください。今日中に半分は終わらせておくように。明日の朝、俺……じゃなくて、私が確認します」
傷つけられ震えているエリーを、ジークは優しく抱き寄せた。
「エリー! こんな女の言うことを聞く必要はない!」
ロアンナは、ゆっくりと首を左右に振る。
「この宮の責任者はロアンナ様です。しかも、今回のバラ園の整備は、殿下から直々に命じられたこと。失敗するわけにはいきません。エリーさん、言うとおりにしてください。そうしないと、私はあなたに罰を与えないといけなくなる」
エリーは震えながらジークに抱きついた。
「ジーク様。私、怖い!」
ジークから鋭い視線を向けられているのに、ロアンナは少しも気にする様子がない。
「この生意気な女の言うことは聞かなくていい! さぁ、エリー。あっちへ行こう」
「はい、ジーク様」
その場を立ち去ろうとしたジーク達に、ロアンナは「エリーさん、バラの剪定頑張ってくださいね」と声をかけた。
無視していると、ロアンナは他のメイド達に「あなた達は、責任者に抜擢したエリーさんの指示を聞いてください」と伝えている。
(バカな女だ。エリーはそんな命令を聞かないし、他のメイド達はエリーの指示がないと動かない。ロアンナ、おまえは何もできずに明日の夕方を迎えて、自分が無能であることを晒すのだ)
計画通りになったことを祝い、ジークとエリーは二人きりで甘いひと時を過ごした。




