42 騎士団長からの謝罪
――そうだ! ロアンナ様が表立って動いたら、王妃様の恨みを買ってしまうので、ここからは騎士団長にお願いするのはどうでしょうか!?
そんな話をしていたからだろうか。
王妃と入れ替わるように、デュアンから「改めて妹の件で謝罪に伺いたい」とメイド経由で伝言があった。
ロアンナは、「すぐに来てもらってかまわないわ」とメイドに伝える。
以前デュアンから送られてきた手紙には「父が王都に着き次第、共に謝罪に伺います」と書いてあった。
ライズが『なんて都合がいい』とクルクル回りながら喜んでいる。
『ライズさんは、オーデン子爵とお会いしたことはあるの?』
『ありません』
『私もよ』
『あそこは、俺達の領地の真逆の位置にありますもんね』
王都から見て西の外れにあるのがノアマン辺境伯領で、東の外れにあるのがオーデン子爵領だ。ちなみにクラウチ侯爵領は、西側にあるものの、ノアマン辺境伯領よりは王都に近い位置にある。
『オーデン子爵は、王都でも見かけないから、どんな方か分からないわ』
『でもまぁ、謝罪に来るのだから、それほど警戒しなくてもいいんじゃないでしょうか?』
『そうね』
客室の扉がコンコンコンとノックされた。
ソファーに座ったままロアンナは「どうぞ」と返す。
「失礼します」と一礼してから入ってきたのは、銀髪の騎士団長だ。ここまで案内してきたメイドが、デュアンの横顔にうっとりと見惚れている。しかし、デュアンのあとに続いた野太い声で、メイドの顔はサッと青ざめた。
「失礼する!」
部屋中に大声が響き、驚きのあまりロアンナとライズの体が同時に小さく跳ねた。
声の主は、背の高いデュアンよりさらに背が高く、筋肉の厚みも二倍くらいあるように見える。真っ白な髪を後ろでひとつに縛り、あごには立派な白髭を蓄えている様子から、だいぶ年齢を重ねていることが分かった。しかし、老いを感じさせない鋭い目が、ロアンナを睨みつけている。
『ひっ! 謝罪と思いきや、まさかの敵襲!?』
ライズは、勢いよくロアンナの目の前に飛び出すと、射殺すような視線から守るように小さな両手を広げた。
『ここは俺に任せて、ロアンナ様はお逃げください!』
必死なライズに、ロアンナはジトッとした目を向けた。
『ライズさん。前が見えにくいから、話し終わるまで私の横にいてほしいのだけど?』
『すみません……。一回、このセリフ言ってみたかったんですよね!』
へへっと照れながらライズは、ロアンナの横にフワフワと移動する。
『それにしても、オーデン子爵家の当主は、迫力がありますねぇ』
ロアンナが返事をする前に、デュアンが胸に手を当て会釈した。
「当主である父が伺う予定だったのですが、体調が悪く領地から離れることができず、急きょ祖父に来てもらいました」
ライズが『お、おじいさんでしたか……。そういや、うちのじいちゃんの周りもあんな感じのゴツイ人が多かったな』と呟いている。
ロアンナは「そうですか」とデュアンとライズに同時に答えながら、ソファーから立ち上がった。
「クラウチ侯爵家の長女ロアンナです。オーデン子爵は、体調が悪いとのことですが大丈夫なのですか?」
その問いには、いかつい前オーデン子爵が答える。
「お気遣いくださりありがとうございます。息子の体が弱いのは生まれつきでして、どうかご容赦ください」
「もちろんです。前オーデン子爵にお会いできて光栄です」
「こちらこそ、英雄のお孫さんにこうしてお会いできるなんて……夢のようです」
一瞬だけ人の良さそうな笑みを浮かべたあと、前オーデン子爵は、勢いよく両膝を床につけ、そのまま腰を下ろした。
ライズの体が驚きで跳ねている。
『わっ! 正座だ』
『正座ね』
この世界にはなかったが、異世界から召喚された英雄達が持ち込んだ文化はいろいろある。膝を揃えて畳んだ状態で座るこの姿勢も、その中のひとつだ。
前オーデン子爵は、両手を床につけると、そのままゆっくりと頭を下げていき、額を床につけた。続いてデュアンも同じ動作で、同じ姿勢をとる。
『ど、土下座だ!』
『これが土下座……』
両手をピョコピョコさせながらライズは早口で説明した。
『土下座は、異世界のごく一部の国で行われている最も丁寧なお辞儀です! 深い謝罪や心からの感謝を表す最敬礼の姿勢ですね!』
『聞いたことはあるけど、見るのは初めてだわ』
ライズが『俺はじいちゃんが、泣きながらばあちゃんに土下座しているのを見たことがあります』と言ったので、ロアンナは戸惑った。
(ライズさんのおじい様、いったい何をやらかしたのかしら……)
気になるが今はそれどころではない。
ロアンナが「顔を上げてください」と声をかけても二人はそのままの姿勢から動こうとしない。
野太い声が部屋中に響き渡った。
「この度は、うちの孫ルルが大変申し訳ございませんでした! オーデン子爵家が、クラウチ侯爵家に敵対する意思はありません! 子の責任は、教育した者の責任。どうか、このおいぼれをお手討ちください」
ライズは『何もそこまで……とは言えませんね。今回のことは、なんの根回しもなく子爵家が、侯爵家にケンカを売ったと考えれば大事ですから』とため息をつく。
ライズの言う通りで、他のお飾りメイド達の話を聞いたところ、ルル以外のお飾りメイド達は、形式上は国王陛下の許可を得てジークの世話係として採用されていた。
『その許可をもらうために貴族達は、いったいどれくらい貢いだのかしらね』
ロアンナは、膝を折ると前オーデン子爵の肩にそっと触れる。
「顔を上げてください。ルル様がお飾りメイドをすることになった事情は、デュアン卿からの手紙で知っています」
王太子であるジークから「お飾りメイドになるように」と誘われたのだ。ルルから断れる状況ではなかった。
ロアンナに反論したのは、頭を下げたままのデュアンだ。
「しかし、妹は嫌がりもせず、むしろ喜んで自分からお飾りメイドになりました。そして、長年に渡りロアンナ様に無礼な態度を取り続けていたことを本人が認めています。本来なら、この場にルルを連れてきて、ロアンナ様に引き渡すのが道理。しかし……」
デュアンの声は、かすかに震えている。
「妹は、まだ幼く……」
その言葉でロアンナは、いつまでも自分のことを子ども扱いする兄マックスのことを思い出した。
(兄から見れば、妹はいつまでも幼いままなのね)
顔を上げたデュアンの瞳には、うっすらと涙が滲んでいる。
「私も騎士団長の職を辞する覚悟です。どうか、これで収めていただけないでしょうか?」
ロアンナは、小さく息を吐いた。
「オーデン子爵家の謝罪を受け取ります。とにかく顔を上げてください」
前オーデン子爵は、ためらいながらも顔を上げる。
「デュアン卿が騎士団長を辞める必要はありません。もちろん、前オーデン子爵の命もいりません」
「しかし、罪を償わないわけには……」と言うデュアンに、ロアンナは意地悪そうに微笑みかけた。
「だれが、償わなくていいといいましたか? もちろん償ってもらいますよ」
ロアンナの横で『いい流れですね』とライズがワクワクしている。
「実は、先ほど私の元に王妃様がこられて、侍女長の罪をなかったことにしろと言われました」
「なっ!?」
裏取引に驚いているデュアンを見るかぎり、彼は真面目な性格のようだ。
「取引の結果、侍女長の罪はなくなりました。まぁ、元から冤罪でしたからね。私はこれで良かったと思っています。そこで、改めてデュアン卿には目撃者としてジーク殿下を訴えてほしいのです」
「もちろん、そのようにいたします。しかし、私だけの証言では、どうすることも……」
デュアンの言う通り、いくら騎士団長でも子爵家が王族を訴えて罰することは不可能だ。
「デュアン卿は、訴えるだけでかまいません。訴えたら、また揉み消すために王妃様が動くでしょうから、そのときに私の都合がいいように交渉してください」
「と言いますと?」
そう尋ねたのは、前オーデン子爵だ。
「オーデン子爵家には、一年間、ジーク殿下の監視と牽制をしてほしいのです」
「監視と牽制……ですか?」
「はい、私はこれからしばらく王都を離れないといけません。その間、ジーク殿下にまた王太子宮で好き勝手されては困ります」
そう言いながらロアンナは、そっと瞳を伏せた。
「これ以上、お飾りメイドにされる可哀想な子も増やしたくありません」
「ロアンナ様……」と呟いたのは、前オーデン子爵だ。
「なので、私が戻るまでジーク殿下を抑え込んでくれる協力者が必要なのです」
「そういうことなら、お任せください!」
前オーデン子爵が、ドンッと自身の胸を叩いた。
「わしも可愛い孫に手を出したクソガキを殺し……ではなく、痛めつけて反省させてやりたいと思っておったところです! これ以上、色ボケに好き勝手はさせませんぞ!」
「あら、私達、気が合いますね」
ホホホと微笑んだロアンナの細い手首を、前オーデン子爵が大きな手でガッシリと掴んだ。
「あのクソガキをどう痛めつけて……いや、抑え込んでやりましょうか?」
グッフッフと笑う、前オーデン子爵を見たライズが『ものすごく顔が怖い……』と素直な感想を言っている。
『ライズさん、笑わせないで』
苦情を言いつつ、ロアンナは話を続けた。
「方法は、そちらにお任せします」
「でしたら、わしの得意な方法でやらせていただきましょう! 大船に乗ったつもりでいてください」




