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04 通りすがりの幽霊

『ちょっと、そこのあなた』


 しばらくの沈黙のあとで『……え? 俺?』と戸惑う声が返ってくる。


『そうそう、あなた。私と少しお話ししましょう』

『え? え?』


 本を大事そうに抱えた幽霊がフワフワと近づいてくる。つぶらな瞳をパチパチと瞬かせているので、だいぶ戸惑っているようだ。


『あなたのお名前は?』

『ラ、ライズ、です』

『ライズさんね。私はロアンナよ』

『ロアンナ様……』

『様なんていらないわ』


 ロアンナが微笑むと、ライズは観察するようにロアンナの周りをフワフワと飛んだ。


『でも、どこからどう見ても、貴族のお嬢様ですよね?』

『まぁ、そうなのだけど。幽霊に様付けされてもね』

『ゆう、れい?』


 激しく動揺するライズを見て、ロアンナは気の毒そうに眉を下げた。


『あなたは、自分が亡くなったことに気がついていなかったのね』


 そういう幽霊もたまにいる。ロアンナはできるだけライズを傷つけないように言葉を濁した。


『残念だけど、あなたはもう……』

『お、俺が、死んだ? そんなこと、急に言われても! あっ、そうか、これは夢……』

『現実よ。他の人に、あなたは見えていないの。誰にも咎められず、この王太子宮にいられることがその証拠。空が飛べているのも幽霊だから』

『そんな……』

『本来なら死後の魂は、自分が死んだことに納得したらお空にいくの。でも、強い未練や後悔を抱えていると、そのまま地上に留まってしまうのよ』

『……』


 ロアンナの話が受け入れられないようで、ライズからは返事がない。


『認めたくない気持ちは分かるわ。でも、このまま、自分が幽霊だと認めないことは危険なのよ』


 ロアンナだって、理由がなければわざわざこんな話をして、相手を傷つけたくない。


『ライズさん。よく聞いてね。このまま地上に留まると、生きている者に害を与えようとする悪霊になってしまうかもしれないわ』

『悪霊!?』

『そう。完全に悪霊になったら、自我を失ってしまう。そうすれば、二度とお空にいけないし、人間に生まれ変わることもできないらしいの』


 これらの情報は、今まで関わった幽霊達が教えてくれたので、おそらく間違ってはいないだろう。


『じ、自我を失うって……?』

『自分自身がなくなっていき、幽霊としての形すら保てなくなり、最後は強い悪意だけが残されると聞いたわ』

『そんな……。嫌だ……』


 恐怖で体を震わせている様子は、見ているロアンナまでつらくなる。


『落ち着いて、大丈夫よ。あなたが未練や後悔を手放したら、悪霊にはならないし、お空にもいけるわ。生前のことで、何か覚えていることはないかしら?』 


 ライズは、ハッと何かを思い出すような仕草をしたあとで、独り言のように呟く。


『……そうか。あのとき大量の本を一度に運ぼうとして、階段から落ちて……。打ち所が悪くて死んだ、のか?』


 どうやらライズは、自分の死因を思い出したようだ。


『じゃあ、俺は今、本当に幽霊なのか』


 そう納得してもライズが光の粒になり、お空にいく様子はない。


『次は強い未練や後悔がないか考えてみましょう』

『俺の、未練や後悔……』


 少しの沈黙のあとで、ライズの深刻な声が聞こえてくる。


『一度でいいから……』


 ロアンナは、難しいことじゃないといいのだけれど、と思いながら言葉の続きを待った。


『女性とお付き合いしてみたかった』

『んんっ!?』


 ロアンナの声で我に返ったのか、ライズは慌てている。


『その、俺、ド田舎で育って! 同じ年頃の娘さんがいなくて!』

『なるほど、田舎では過疎化が深刻なのね。もし、私が王太子妃になることがあれば、何か政策を打ち出しましょう。王太子妃にならなくても、実家の侯爵家から働きかけるわ』


 ライズからは『助かります』と返事があった。


『とりあえず、その問題は置いておいて。女性とお付き合いさせてあげるから、私に協力してくれないかしら?』

『ほ、本当に!?』

『本当よ。男女の深い関係になるのは無理だけど、デートぐらいならいいわよ。手を繋ぐまでは許しましょう』

『マジか……』


 感動しているようなライズの声を聞きながら、ロアンナは思考を巡らせる。


(デートのときは、私の体をライズさんに貸せばいいわよね)


 幽霊に憑りつかれやすい弟レイとは違い、自分の意志で幽霊に体を貸すと、ロアンナの都合でいつでも体を取り戻すことができる。それはようするに、体を貸したとしてもロアンナが嫌がることはできないということ。


(クラウチ侯爵家のメイドに事情を説明して、私と街でお買い物してもらいましょう)


 はたから見れば、ロアンナが気心の知れたメイドを連れて街へお出かけしたように見えるだろう。実はロアンナの中に幽霊のライズが入っていて、それがデートだったとしても、ロアンナの評判には一切傷がつかない。


『ぜ、ぜひ! よろしくお願いします』

『こちらこそ。では、さっそくだけど、ライズさんの力を貸してほしいの』

『あっ、はい』


 ロアンナがチラッとジークのほうを確認すると、まだジークとエリーは二人きりの世界から帰ってきていなかった。今は、二人の鼻がくっついてしまいそうなほど顔を近づけているところだ。


 ロアンナは、再び心の中でライズに話しかける。


『あそこで堂々と浮気をしているのが、私の婚約者であるジーク殿下よ』

『殿下って、この国の王子様ってことですよね?』

『そうよ。その王子様が、私を陥れて婚約破棄しようと、毎回、無理難題を吹っかけてくるの』


 ライズからは『は、はぁ……。なんというか、都会はすごいですね』と感心した声が返ってくる。


『すごいのは都会じゃなくて、あの王子の頭の中よ。あなたもあの場にいたから聞いていたと思うけど、今日は、そこに並んでいるお飾りのメイド達に、広大なバラ園の整備をさせろと言われたわ』

『お飾り、なのですか?』


 ライズが驚いたように上下にフワフワと動いた。


『そう。彼女達の目的はジーク殿下の寵愛を得ることなの。私の言うことなんて聞かないわ』

『え? それって……ハーレム的な? そ、そんなことが許されるんですか? それが都会ルール?』


『まさか! 本来なら許されることではないけど、娘をお飾りメイドにするために貴族達は裏で様々なものを王家に貢いでいるの。そのせいで国王陛下は見て見ぬ振り。王妃様は、一人息子のジーク殿下を溺愛しているから好き勝手させているわ』

『お、おお……。なんて無茶苦茶な』


 どこか気遣うような声を聞いたロアンナは、人のよさそうなライズに少し安心した。


『こういう状況なのだけど、どうにかできないかしら?』

『ど、どうにかって……』


『幽霊はどこにでもいけるの。壁もすり抜けられるし、普通の人には姿が見えない。そのことを使って、例えば、あの中のメイド達の弱みを見つけて――』

「ロアンナ!」


 声を出していないロアンナとライズの会話を、急にジークがさえぎった。二人きりの世界を存分に楽しんだようで、ジークもエリーも満足そうだ。


「言い忘れたが庭園の整備は、明日、日が暮れるまでに終わらせてくれ。賢いロアンナならできるよな?」


 時間指定までしてきたことに内心腹が立ちながらも、ロアンナは優雅に微笑む。


「もちろんですわ。では、さっそく取りかからせていただきます」


 お飾りのメイド達はクスクス笑うだけで、誰もロアンナについてこない。一人で廊下に出たロアンナは、ライズとの声を出さない会話を再開した。


『ライズさん』

『はい』


 ロアンナの右隣でライズがフワフワ浮かんでいる。


『ロアンナ様、現状を把握しました。ご協力いたします。その前に何点かお聞きしたいのですが?』

『何かしら?』


『ここは王太子宮とのことですが、ロアンナ様はどういう立場の方で、どのような権限を持っていらっしゃいますか?』

『権限?』


『はい、例えばあのお飾りのメイド達を管理するのは誰でしょうか?』

『それは……』


 本来なら未来の王太子妃であるロアンナだ。しかし、今はジークが好き勝手している。


 ロアンナを支えてくれるはずのクラウチ侯爵家は、両親が事故に遭い、急きょ兄が当主を引き継いだもののまだ若く求心力がない。家門をまとめることに苦労していることをロアンナは知っている。そんな兄に助けを求めることはできない。


 そもそも王太子宮は、将来王妃になるときの練習をするための場所だ。この宮をうまく管理できなければ、王妃になんてなれない。逆に、この王太子宮を管理できるものこそが未来の王妃ともいえる。


 ロアンナも、この状況をなんとかしなければと思っていても、ジークからの度重なる無理難題のせいで、なかなか思うように動けないでいた。自らの無力さを恥じながらもロアンナは、ライズに説明する。


『王太子宮の管理者は、婚約者である私よ。まさか、言うことを聞かないメイド達をその権限を使って辞めさせるつもり?』


 そんなことをしたら、王太子の婚約者失格の烙印を押されるだけではなく、クラウチ侯爵家があちらこちらに無駄に敵を作ってしまう。


『いえ、そうではなく。……こういうのはどうでしょうか?』


 ライズがロアンナの耳元で囁いた作戦は予想外だった。これはいい幽霊を引き当てたかもしれないと、ロアンナの口元に笑みが浮かぶ。


『面白いわね。あなた、それ、自分でやってみる?』

『えっ!?』


 ロアンナからすれば、生きている人間より、お空に行きたくて協力してくれる幽霊のほうがよっぽど信頼できる。ロアンナを裏切れば、未練や後悔を手放すことができず悪霊になってしまうから幽霊達は必死なのだ。


 驚くライズにロアンナは自分の体を明け渡した。

 意識の入れ替わりの瞬間、一瞬だけ透けたライズの本当の姿が見えた。


 ライズは、これといって特徴のない、どこにでもいそうな青年だった。服装は、庶民が着るようなシャツにズボンなので貴族ではないようだ。ジークとは違い、誠実そうな顔をしている。


(この真面目顔で「女性とお付き合いしてみたかった」と言っていたのだと思うと、申し訳ないけど面白いわね)


 ロアンナの体に入ったライズが「は? え?」と戸惑っている。ライズの代わりに幽霊姿になったロアンナは、ライズの周りをフワフワと飛んだ。本物の幽霊ではないせいなのか、ロアンナは丸くならず人型のままだ。


『少しの間、私の体を貸してあげるわ。あっ、ちなみに私が嫌だと思ったことは、その体ではできないわよ』


 ライズが入ったロアンナは、どこか自信がなさそうに見える。先ほどの奇抜な作戦を思いついた人には思えない。


『とにかく、ライズさんのお手並み拝見ね』

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