32 どうしてこうなった!?(ジークSide)
バラの香りが漂う部屋の中で、ソファーにふんぞり返りながら、ジークは眉間にシワを寄せた。
「エリーが見つからないだと?」
少し離れた場所に佇んでいる侍女長が、静かに答える。
「はい。ひと月前に門番が王宮から出ていくエリー様の姿を見ているので、外に出られたのは確実です」
「実家には戻っていないのか?」
「そのようです」
ジークは、思わず舌打ちをした。
(せっかく呼び戻してやろうと思ったのに)
エリーの次に美しいルルは、兄のデュアン・オーデンに連れられ王太子宮を去ってしまった。ルルを無理に呼び戻すと、オーデン子爵家だけでなく、王宮騎士団まで敵に回してしまう可能性がある。
(もうルルのことは、諦めるしかないな)
ジークは「引き続きエリーを探してくれ」と命令し、侍女長を下がらせた。すぐに残っているお飾りメイドの三人が、ジークにお茶を注いだり、お菓子を運んだりする。
(この三人のメイド達も美しくないわけではないが、エリーやルルと比べると容姿が劣っているのが気になる。誰よりも美しい私の側には、美しい女性がいるべきなのに……)
お茶にもお菓子にも手をつけず、ジークは立ち上がった。お飾りメイド達がついてこようとしたので「こなくていい」と伝える。お飾りメイド達は、何か言いたそうにそれぞれが視線を交わした。
「なんだ? 何かあったのか?」
ジークが尋ねると、お飾りメイドの一人が遠慮がちに口を開く。
「あの、エリー様が王太子宮から追い出されたという噂を聞いたのですが……?」
その表情には戸惑いだけでなく、かすかに怯えのようなものも見えた。ジークは安心させるように微笑みかける。
「手違いがあったんだ」
お飾りメイド達は、一斉にホッと胸を撫で下ろした。
「そうですよね。エリー様は、あんなにも殿下のことを愛しているんですもの」
「エリー様が追い出されるなんて、殿下はそんなひどいことしませんよね」
まだ話しているメイド達を残して、ジークは私室を出た。
(そうだ。エリーは私を愛しているのだから、必ずここに戻ってくる。そのときにまた愛を囁いてやればいい)
気分転換のために乗馬でもしようかと歩いていると、廊下の反対側から見たくもない女が歩いてきた。
忌々しい黒髪に、他人を見下すような冷たい瞳。
(ロアンナ……)
いつもなら先にロアンナが気がつき、ジークに挨拶するのに今日は違った。
ロアンナの腕に、なぜかメイドがピッタリと貼りついている。
お飾りメイド達とは違い、髪はきっちりまとめてメイドキャップの中に入れているし、メイド服のスカート丈も足首辺りまであるので、王太子宮で普通にメイドとして働いている者だと分かった。
(王太子宮のメイドには、ロアンナと親しくしないように伝えているのに。新人か?)
メイドは「さすがロアンナお姉様です! 本当に素敵ですわ」などとロアンナを褒めたたえている。
ロアンナもまんざらではなさそうな顔をしていた。口元には珍しく優しげな笑みまで浮かんでいる。
「あら、そう?」
「あーん、その笑顔にクラクラしちゃいますぅ」
そんな頭の悪そうな会話をしている二人は、まだジークには気がついていないようだ。
「おい、ロアンナ!」
呼びかけると、ようやくジークはロアンナと視線が合った。
「ジーク殿下にご挨拶を申し上げます」
ロアンナの声に合わせて、頭の悪そうなことを言っていたメイドも優雅に淑女の礼を取る。メイドキャップの下には、ピンクブロンドの髪が見えた。頭を下げているので顔は見えないが容姿は整っている。
「面を上げよ」
なかなか顔を上げないメイドに苛立ち、ジークはメイドの顎に指をかけ、無理やり上を向かせた。
見る者をハッとさせるほど整った顔立ちに、透き通るように白い肌。青い瞳は、宝石のように輝いている。
「……まさか、エリーか?」
エリーだと断言できなかったのは、そのメイドが今まで見たことがないくらい冷ややかな目をしていたから。そんな目を、ジークは一度だって、エリーから向けられたことがない。
「エリーは死にましたよ」と、美しいメイドは自嘲するようにつぶやいた。
「いや、おまえがエリーだろう?」
メイドにうっとうしそうに手を払われて、ジークは目を見開いた。驚きすぎて『不敬だ!』と怒ることすらできない。
「いいえ、確かに死にました。ジーク殿下を愛していたエリーは、もうこの世のどこにもいないのですから」
エリーはパッと表情を切り替え、満面の笑みを浮かべてロアンナの腰に抱きつく。
「今はお姉様に愛を捧げるエリーしかいません。お姉様ぁ、頭を撫でてくださーい」
「あらあら、エリーは甘えん坊さんね」
「甘えるのはお姉様にだけですぅ!」
ジークは目の前に広がる悪夢に眩暈がした。エリーがロアンナに向けている熱い視線は、これまでジークが向けられていたものだ。
「ど、どういうことだ! ロアンナ!」
エリーに抱きつかれるままになっているロアンナは、困ったように自分の頬に右手を当てた。
「どういうことかと聞かれましても……。エリーが路頭に迷っていたので、私の専属メイドとして雇っただけですよ」
「エリーが、おまえの専属メイドだと!?」
ロアンナの代わりに、エリーがとびきりの笑顔を浮かべる。
「はい! 私はお姉様だけのメイドです」
ジークが頬を引きつらせながら「何を言っているんだい? エリー、こっちにおいで」と優しく伝えたが、返ってきたのは先ほども向けられたあの冷ややかな目だった。
さらに、エリーからフンッと鼻で笑う声までも聞こえてきたので、カッとなったジークは我を忘れて怒鳴った。
「メイドの分際で、ふざけたまねをっ!」
ジークが勢いよく右手を振り上げた瞬間、ロアンナの後ろから一人の騎士が飛び出す。そして、ジークの腕を掴み、そのまま捻り上げた。
「痛っ! くそっ、離せっ!」
騎士がパッと手を離したので、体勢を崩したジークはよろめいて尻もちをつく。騎士は、ロアンナとエリーを守るように立ち塞がり、恐ろしい顔でジークを見下ろしていた。
「ぶ、無礼だぞ!」
騎士の代わりに、ロアンナが「あらあら、うちの弟がすみません」と答える。
「お、弟だと?」
言われてみれば、無礼な騎士の髪色もロアンナと同じ黒色だ。
「弟には私の護衛騎士をしてもらっているんですよ。殿下がこの前、許可をくださいましたものね?」とロアンナは優雅に微笑んだ。