30 ロアンナからの提案
弟レイのあとに続き自室を出たロアンナは、エリーが療養している使用人用の部屋へと向かう。その間、ライズに耳打ちされた言葉を思い返していた。
『エリーさんをこちらの味方に引き入れてください。そして、これでもかとエリーさんを優遇し大切にする様子を周囲に見せつけるのです。エリーさんもロアンナ様に忠誠を誓うふりをしてくれればなお良しですね』
これなら確かにジークを挑発できそうだ。
(問題は、私がエリー様を説得できるかどうかね)
今までのことを謝罪してくれたエリーに、ロアンナが思うことは何もない。しかし、エリーがロアンナに対して何を思っているのかは分からない。
なぜなら、エリーをムチで打つように仕向けたのはロアンナだし、ロアンナさえいなければエリーは王太子妃になれていたかもしれないのだ。そんな輝かしい未来を潰した相手と手を組みたいと思わせるにはどうしたらいいのか?
ロアンナのため息に気がついた幽霊ライズが、フワフワと近寄ってくる。
『大丈夫ですか? 気が進まないのなら、別案を出しますよ?』
心配そうなライズに、ロアンナは声を出さず心の中で返事をした。
『あなたの作戦には大賛成よ。でも、エリー様が私の味方になってくれるとは思えなくて』
ライズは、不思議そうに身体を傾ける。
『えっと、その心配はいらないかと。だって、ロアンナ様はエリーさんの命の恩人ですから。それに、なんというか……』
少し貯めてから、ライズは遠慮がちに言葉を続ける。
『その、ロアンナ様って、俺が考えていた理想の主そのものなんですよね』
『どういうこと?』
ライズから返事を聞く前に、エリーがいる部屋に着いてしまった。
『とにかく、いつも通りのロアンナ様でいてください。それで大丈夫です!』
レイが部屋の扉をノックすると、中から「はい」と儚げな声がした。
(護衛騎士を引きつれて部屋に入ったら、エリーさんを怖がらせてしまうかもしれないわ)
そう考えたロアンナは、レイに「エリーさんと二人きりで話したいから、あなたは扉前で待機してね」と伝えた。
「分かったよ、姉さん。何かあったらすぐに呼んで」
ロアンナが室内に入ると、ベッドに腰をかけている弱々しいエリーの姿が見えた。
ピンクブロンドの髪は、整えられることもなく乱れるままになっている。地味なワンピースに身を包み縮こまっている姿は、ジークの側に堂々と侍っていたときのエリーとは別人のようだ。
部屋の中に漂っている独特な匂いは、きっと背中に塗っている薬のものだろう。
ロアンナに気がつき慌てて立ち上がろうとしたエリーは、「痛っ」と苦痛に顔を歪める。
「無理をしないで。座ったままでいいから」
「すみません……」
この部屋には来客用のソファーなんてない。あるのは窓とカーテン、簡素なベッドに飾り気のない一人用のテーブルと椅子。そして、使い込まれたクローゼットだけ。それでも、専属メイド用の部屋なので、相部屋ではなく一人部屋というのは使用人にしては豪華な部類だった。
「私に会いたいと聞いたのだけど?」
「は、はい」
エリーの両手は、小刻みに震えている。
(こんなにも怯えている相手を協力者にするのは、さすがに難しいわよね)
交渉する余地を探すべく、ロアンナはエリーのたどたどしい言葉に耳を傾けた。
「ご、ご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありません」
「気にしないで。少しは気持ちが落ち着いたかしら?」
コクンとエリーは頷く。
「昨日は、あんなにも苦しくて消えてしまいたかったのに、温かいスープを飲んだらなんだか泣けてきて……。ぐっすり眠って起きたら、川に飛び込もうとしたことが、すごく恐ろしくなって……。助けてくださりありがとうございます」
「そう思ってもらえるのなら、良かったわ」
エリーは、ロアンナの顔色を伺うようにチラチラと見てくる。
「こ、このようなことを、ロアンナ様にお願いできる立場ではないことは分かっているのですが……。私は王太子宮を追い出されてしまうと、行く当てがありません」
「生家のハイド伯爵家には戻らないの?」
「罰を受けた私を受け入れてくれるような家ではありません。それに、私はあそこには戻りたくないのです。下働きでもなんでもしますから、王太子宮の隅に置いていただけないでしょうか」
エリーの表情は暗い。
(なるほど。まともな親は、自分の娘をお飾りメイドにしようなんて思わないものね)
ロアンナが「詳しく聞いていいかしら? もちろん、言いたくなければ言わなくていいわ」と伝えると、エリーは青く美しい瞳を大きく見開いた。
『ライズさん。私、何かおかしなことを言ったかしら?』
内心であせるロアンナにライズが『ほら、こういうところが理想的なんですよ。自分より地位の低い人間の話をしっかり聞こうとする人って、なかなかいませんから。やっぱり、お仕えする主は話が通じる人がいいですよね』と、小さな腕を組んでウンウン頷いている。
エリーは「わ、私は」と呟いたあと、堰を切ったように話し出した。
「生まれたときから、いらない子どもでした。一度はお飾りメイドになるために磨かれましたが、そこに親の愛情なんてありません」
「そうだったの……」
両親からの愛情を一身に受けて育ったロアンナでは、エリーの苦しみを想像することしかできない。
「あの家には居場所がなくて……。だから、ジーク殿下に愛を囁かれたときは、本当に嬉しかった……」
小さく笑ったエリーの頬を大粒の涙が流れていく。
「こんな想いは、許されることではなかったのに。ロアンナ様には、どうお詫びをすればいいのか」
「ジーク殿下を愛していたのね」
コクンと頷いたエリーは「私の一方通行だったようですが」と自嘲する。
「もしかして王太子宮に残りたいのは、こんな目に遭わされてもジーク殿下のお側にいたいからなの?」
ロアンナの問いに、エリーは必死に首を振った。
「まさか! ここまでされたらさすがに目が覚めました。ジーク殿下には二度と近づきません!」
その言葉に嘘はないように見える。
「ここに残りたいと思ったのは、ロアンナ様に今までのお詫びと、命を救っていただいた恩返しがしたいからです。でも私が持っている物は何もないので、せめてこれからは一生懸命働かせていただこうかと」
ハッとなったエリーは、「ロ、ロアンナ様が、私を視界にも入れたくないのなら、すぐにでも消えます!」と顔を青くする。
「あなたの状況は分かりました。それを踏まえた上で私からあなたに提案があるのだけど」
涙目のエリーに、ロアンナは優しく微笑みかけた。
「あなた、私の専属メイドにならない?」