03 殿下からの無理難題
少しも動揺しないロアンナを、忌々しそうに睨みつけたあと、ジークは鼻で笑う。
「威勢だけはいいな」
ジークがソファーから立ち上がると、静かにメイドが近づいてきて、バルコニーへと続く窓を開けた。そのとたんに、風が吹き窓の近くにいたメイドの髪を揺らす。その珍しいピンクブロンドの髪に、ジークは優しく触れた。
「エリー」
「ジーク様」
婚約者のロアンナがいる前で熱っぽく見つめ合う二人。ロアンナは、何度目になるか分からないため息をこっそりついた。
(この王子は、浮気していることを隠す気すらないんだから……)
エリーは、ハイド伯爵家の令嬢だが、今の立場は王太子宮のメイドだ。エリーだけではない。この宮には、他にも四人の貴族令嬢がお飾りのメイドとして入っている。
彼女達の目的は、この国唯一の王子であるジークの目に留まり寵愛を受けること。
そのため、どのメイドもロアンナよりも若い。一応メイド服を着ているものの化粧やアクセサリーで自身を華やかに見せている。本来のメイドの仕事なんてしていない。
そんな自称メイド達の中でも、輝くピンクブロンドの髪に、王子と同じ青い瞳を持つ可憐なエリーはジークのお気に入りだった。
ジークはエリーの手を取るとバルコニーへとエスコートする。
「もっと早く君と出会っていたら、どんなに良かっただろう」
「そのお言葉だけで私は満足です」
「エリー……」
「ジーク様……」
二人だけの世界に入ってしまったジーク達をロアンナは冷めた目で見ていた。
(まるで私が二人の仲を裂いているとでも言いたそうね。早く終わらないかしら)
そのとき、ロアンナのすぐ近くで男性の声がした。
『うわぁ、すんごい美人がいるな……』
ロアンナが声のほうに視線を向けると、白く丸い生き物がフワフワと浮いている。普通なら驚くところだが、ロアンナは慣れたものだった。
(また幽霊ね)
本を大事そうに抱えているので、生前は本好きだったのかもしれない。
(どうして、私にだけ見えるのかしら?)
同じ英雄の血を引いているのに、ロアンナの両親や、兄、弟は幽霊を見ることができない。
(幽霊が見えても、いいことなんてないと思っていたけど、ジーク殿下の婚約者になったとたん、この能力をこんなに使うことになるとは思わなかったわ)
なぜなら、ロアンナはジークの無理難題を幽霊達の協力を得て解決しているからだ。
「聞いているのかロアンナ!」
ジークの冷たい声で、ロアンナは考えることをやめた。やっと二人の世界が終わったようだ。いつの間にかジークの腕がエリーの腰にまわり、しっかりと抱き寄せている。
「ここから庭園が見えるだろう?」
ジークの言う通りバルコニーからは、王太子宮の見事な庭園が見渡せた。
「優秀なロアンナなら、私が選んだ王太子宮のメイド達にバラ園の整備をさせられるはずだ」
「庭師ではなく、メイド達にですか?」
そう質問したロアンナを見て、エリーがクスクスと笑っている。ジークの口元にも意地の悪そうな笑みが浮かんでいた。
「王太子宮の管理は、私の婚約者であるロアンナの仕事。メイド達を統率できていて当たり前だ。できないはずがないよな?」
エリーがパンパンと手を叩くと、室内に煌びやかなメイド達が四人入ってきた。彼女達は皆、ジークの寵愛を得ようとしているお飾りのメイドだ。
(貴族の令嬢達が、庭仕事なんてするわけないじゃない。そもそも、彼女達から見れば婚約者の私は邪魔者。私の指示に従うはずがないわ)
それが分かっていて、ジークは彼女達にバラ園の整備をさせろと言っている。この無理難題を解かなければ、ジークはロアンナが王太子宮を管理できておらず「無能だ」と言いふらすだろう。そして、この婚約自体を国王に考え直させる気でいた。
(ジーク殿下との婚約に少しの未練もないけど……)
ロアンナの瞳がスッと細くなる。
(やり方が気に入らないわ)
ジークに抱きついたエリーが「ロアンナ様、怖い」と震えた。
「ロアンナ、エリーを睨むのはやめろ! こうなったのはおまえに魅力がないせいだ」
「エリー様を睨んではおりません」
ロアンナが睨んでいるのはジークだ。
(確かに私は魅力がないかもしれないけど、私からすればジーク殿下にも魅力なんてこれっぽっちもありませんからね?)
そう言ってしまえれば、どれだけいいか。
エリーは泣き真似を始めたが、涙なんて一滴も出ていない。
「私が、私が悪いんです……。いけないことと知りながらジーク様を心から愛してしまったから」
「エリー……」
二人がまた自分の世界に入ったことを確認してから、ロアンナは心の中で側にいる幽霊に話しかけた。