21 早がけ勝負
ライズに身体を貸したロアンナは、幽霊の姿で空中をフワフワと漂っていた。しかし、幽霊といっても白くて丸い姿ではなく、人型のままうっすら透けている。
馬を選ぶためにライズが厩舎に入っていく。後をついていこうとしたロアンナは、ジーク王子がルルを連れて戻ってきたのを見て、そちらに飛んでいった。
(結局、ルル様の服装はどうなったのかしら?)
服装で悩んでいたルルは、うまく解決できなかったようで、いつも通りの華やかなメイド服を着ていた。それでもマシなものを選んだのか、スカート丈は短いが、胸元は大きく開いていない。
涙目のルルがジークに「殿下、やっぱり部屋に戻って着替えたいです」と言うと、ジークは不機嫌になった。
「もしかして、さっき着ていたサイズの合っていない地味な下級メイドの服を、また着るつもりなのか?」
「あ、あれは、他のメイドの子に借りたもので……」
どうやらルルは、急ぎ普通のメイド服を借りたが、ジークがそれを着ることを禁じたようだ。
「ルル。私の隣に立つのなら、それ相応の装いをするべきだ」
王子にそう言われてしまえば、ルルはもう何も言えない。
(こう見ると、エリー様はジーク殿下の機嫌をうまくとっていたのね)
ジークがエリーを見捨てたのは、いくらでも代わりがいる、と思ってのことだと思うが、物事はそううまくいかないようだ。
結果、ルルがいつも通りの派手なメイド服を着ることになったが、それはロアンナとライズにとって都合がよかった。
ロアンナが厩舎に戻ると、ライズもデュアンも馬を選び終わったところだった。どちらも立派な白馬を引いている。
(さて、ライズさんの作戦はうまくいくかしら?)
ここに来る前に、ライズはこう言っていた。
『そのヘイケモノガタリでは、ササキ タカツナとカジワラ カゲスエという騎士達が、どちらが先にウジ川を渡り切り、先陣を切るか勝負をするんですね』
このときのササキ タカツナは、今のロアンナのように、絶対に勝負に勝たなければならない状況だったそうだ。
『ササキ タカツナが考えた必勝法は、先を走るカジワラ カゲスエに【馬の腹帯が緩んでいるから締めたほうがいい】と嘘をつくこと。そして、まんまと騙されたカジワラ カゲスエを追い抜き勝利を収めました。これを参考にして、私達がすることは……』
ライズとデュアンは、それぞれ馬に跨り、スタート位置についた。辺りには緊迫した空気が漂っている。
スタート地点にいた使用人が、ジークに視線を送る。ジークが頷いたのを見てから、使用人は手を上げた。
「お二人とも準備はいいですか?」
ライズとデュアンが同時に頷く。
「私が手を下ろしたらスタートしてください。行きますよ? 3、2、1……」
使用人が手を下ろした瞬間、馬上のライズが「ああっ!?」と大声を出しながら、ジークとルルがいるほうを指さした。
「ルルさんが危ない!」
とっさにデュアンは、ライズが指さしたほうを振り返ってしまった。そこには、デュアンからすれば信じられない恰好をしている妹がいた。
なぜか丈の短いメイド服をきて、足を出している。しかも、そんな破廉恥な格好をしたルルの腰には、ジークの腕が回っていた。
「ルル!」
デュアンの怒声が辺りに響き、ルルがビクッと身体を震わせた。
そのことに、一番驚いたのはジークだ。
「デュアン、何をしている!? おまえ、今、勝負中だぞ!」
デュアンがハッと我に返ったときには、ライズの馬はだいぶ先を行っていた。慌てて馬を走らせて距離を詰めていく。
「卑怯だぞ!」
馬上でそう叫ぶデュアンは、恐ろしい形相をしている。二人の距離はどんどん縮まっていった。
背後からデュアンのとんでもない威圧を感じているのか、馬上のライズは「わ、あわわ」と謎の声を漏らしている。
(このままでは、ゴールする前に追い越されてしまうわ!)
ロアンナは、急いでライズの側に飛んでいった。
『ライズさん、交代よ!』
「お願いします、ロアンナ様!」
涙目になっていたライズと入れ替わり、ロアンナが馬の手綱を握る。馬の動きを妨げないようにバランスを取り、風の抵抗を少しでも減らすためにロアンナは身を屈めた。
その瞬間、馬がぐんっと早くなった。それでも、デュアンを引き離すことはできない。
(さすがね。でも、負けないわよ)
さらに追い込みをかけるために、ロアンナは馬の首が少し下がるように手綱を操った。そうすることで、馬の尻位置が高くなり、馬の脚はより前へと出るようになる。
ジワジワとデュアンとの距離が開いていく。それでも食らいついてくるデュアンはさすがだった。
結局、その距離が縮まることなく、ロアンナが先にゴールした。続いてゴールしたデュアンは、馬上から「卑怯者! この戦いは無効だ! 正々堂々勝負しろ!」と叫んだ。
ロアンナは内心で、そうよね、と思ってしまった。なぜなら、ライズの提案を聞いたとき、ロアンナも同じことを言ったからだ。
『それって、さすがに卑怯じゃない? 正々堂々勝負したほうがいいんじゃないかしら?』
すると、ライズはこう言ったのだ。
『戦場では、卑怯などという言葉はありません。実際、ササキ タカツナは、この先陣争いに負けたら死ぬと自らの主に宣言していました。これは決して負けられない、命がけの戦いだったのです。ロアンナ様も負けられない戦いなのですよね?』
『そうね……』
ライズの言う通り、今は手段など選んでいられない。
『面白いわね。それ、やってみましょう』
ロアンナは、卑怯者だと罵られる覚悟を決めてその提案を受け入れた。だから、デュアンに何を言われても謝るつもりなんてない。謝る代わりに、優雅に微笑みかける。
「デュアン卿。ここが戦場でも、あなたは同じことを言うのかしら?」
敵の言葉に惑わされ、策に嵌まり負けた。ここが本当の戦場なら、デュアンはすでに命を落としている。
「ぐっ」と言葉に詰まったデュアンは歯を食いしばり、それ以上、何も言わなかった。